降霊る/ぬらりひょんのキツネ狩り

 もしも貴方の目の前で自分のクラスメイトの首が飛んだら、一体どんな反応を示すと思いますか?

 綿貫さんの場合は「叫ばないで」って言ったのに思いっきり叫ぶそうです。


「いやあああああああっっっ!!! うわああああああああっっっ!!!」

「いやいや、ショッキングだって言ったじゃないの」


 もしかしてショッピングと聞き間違えたのかな。

 僕はコミュ障が故に無意識に声が小さくなりかねないから、ハッキリ忠告できたのか自身が沸かない。なんか申し訳ないかも。

 たしかに買い物に行こうと息巻いていた矢先に知り合いの首が飛んだら叫ぶに決まっている。

 だが安心して欲しい。

 僕は別に人殺しになったわけではないし、あれは彼女の知り合いとは別物だ。

 だって殺気が隠せてなかったんだもん。とも。


「ほれ、見てみ」

「ぎやあああああ…………あぁぁぁぁ……?」


 僕の示した指の先、綿貫さんの視界に映ったのは床に伏した首なし死体。

 切断面からは赤黒い血液がゴポゴポと溢れ出し、身体が既に痙攣している様子を見るに即死だろう。

 だが、そこには先ほどまで着ていた制服は見えないし、肌色の身体からは黒く澱んだ“毛”が蠢き始めている。

 化けの皮が剥がれたな。これで彼女の誤解も解けるだろう。



「端的に言うとね、君は騙されてたんだよ」

「騙されてたって、誰に!?」

「君以外の四人全員に」

「君以外って……館也くんと芦那ちゃんは––––––」


 この教室において何も知らなかったのは、きっと綿貫さんだけだろう。

 でも、僕の行動に驚いているのは奴らも同じだ。

 何故ならば、僕が騙していたのは彼女だけではないからだ。



「ナ、何が起こってイる!? 貴様、誰ダ! オレタチの仲間ジャないのカ!?」

「何処かラ入った!? エサを独り占メするつもりカ!! 裏切り者カ!!」


 空気も読まずにそう叫び散らかすのは、裏寺さんと竹群くん……だったもの。

 「だったもの」と形容したのは、人間らしい外見をしていなかったからだ。奥山くんの死体と同じ、ドブのように澱んだ色合いの体毛が全身を覆い、目鼻が細長く伸びている。そして、側頭部には大きな耳。

 まるで、黒いキツネが人間サイズに膨張しているような見た目だ。

 僕に対する憎悪の視線を向け、鋭い牙を剥き出しにして低く唸っている。



「––––––正体見せたな、低級指定怪異譚“狐狗狸こっくりさん”」



 “狐狗狸”というのは、“こっくり”の漢字表記。

 降霊術を介して現世に降りて来た、心を見透かすキツネの低級動物霊だ。

 もともとは“狐憑き”という、キツネが人間に憑依して好き勝手暴れてしまう怪異譚から派生したらしく、キツネとしての狡猾さや人間に化けるスキルを受け継いだまま出現形式を変えて現代まで生き残ったのだ。

 好奇心旺盛かつ心のブレーキを踏み切れない子供にターゲットを絞ることで、“こっくりさん”はキツネたちにとって、エサの方から寄って来てくれる最高の狩場になったわけだ。


 実際に、綿貫さんの好奇心を利用した奴らは彼女のクラスメートを騙り、逃げられない状況を作り上げた。

 「“こっくりさん”を途中で辞めたら呪われる」というのは、キツネ側からしたら都合のよすぎるルールだ。適当に怖がらせるだけで、その条件を踏ませることが出来る。先ほどの綿貫さんのように。


 だが、今は違う。先に十円玉から手を放したのは彼女じゃない。

 この場合、キツネにつままれるのは、僕の方だ。

 ルールに則れば、彼女は襲われる対象に当てはまらない。



「邪魔するナ!! こっちハ、腹が減っテルんだよオォォォ!!!」

「お前ヲ、食ってヤルぞオオオッッッ!!!」


 ひどいなぁ。さっきまで一緒に楽しく遊んでいたじゃない。

 完全に僕を敵と認識した二匹のキツネは、漆黒の爪で刺し殺そうと迫って来る。

 冷や汗が背筋を撫でて、強い殺意が目前から迫って来る。

 怖い。やっぱり慣れない。

 だけど、大丈夫。



『怪異との戦いってのはなァ、つまりはよォ、“解釈の押し付け合い”なんだぜェ』



 尾上さんがまず最初に教えてくれたことだ。

 怪異というのは、自身と周囲からの認識で成立している。だから信じない人には基本的に見えないし、怪異の方からも介入は出来ない。

 では、この状況ならどうだろうか。

 僕は“狐狗狸さん”を知っているし、今もまさに認識している。ノーガードのままであの爪を受ければ、傷は出来るし出血もするだろう。


「死ネ、余所者オオォォォ!!!」

「––––––––––《踊刀喰肉ようとうくにく》!」



 しかし、僕に傷は付かなかった。

 その代わりに、伸びて来たキツネの右肘から先が、左手が、そのままの勢いであらぬ方向へと飛んでいく。

 やはり“狐狗狸さん”は、あまりにも––––––



「––––––あまりにも逸話が、薄すぎる」



 だって名前からして中途半端だ。

 名前というのは、認識と解釈を決定づけるうえで超重要な要素だ。会話で情報を交換する際、名前があれば物品そのものがなくても情報を届けることが可能になる。

 その前提を踏まえて、改めて“狐狗狸さん”の字面を見てみよう。キツネ以外に、イヌとタヌキが混ざっている。

 イヌに人に化けるスキルがあるなんて認識は一般的に広まってはいないし、極めつけにはライバルポジションに設定されがちなタヌキまでいるのだから、「凶悪なキツネの怪異」って情報が全く伝わってこないグチャグチャの名前だ。

 そんな中途半端な名前に縛られている以上、この二匹は僕を殺すほどの性能なんて持てない。


 加えて言うならば、「低級動物霊」という情報を握っている僕は無意識下で“狐狗狸さん”を見下している。

「自分たちで作ったルールに縛られた、頭の足りない雑魚怪異」だって。

 尾上さんのアドバイスを事実として記憶している以上、その認識は確固たる結果として出力される。


 強い確信を伴って振るう技––––––《踊刀喰肉ようとうくにく》はその分かりやすい例だ。

「この刀は、怪異の肉体を斬り裂ける」という解釈を、刃と一緒に押し付ける。

 極めて一方的に。



「グワああァァァッッッ!!? ギヤあああああアッッッ!!!」

「クソッ、何なンだ貴様ァァァ!!」


 失った片腕を驚愕の表情で見つめるキツネを尻目に、左手の欠けたもう一匹が怒号をぶつけながら吠えてくる。

 仕方ない。一方的に強い解釈を押し付ける名前ってやつを、僕が教えてあげよう。

 確固たるビジョンを込め、言霊をハッキリと口に出す。




「––––––警視庁異譚課介入係、鮎川恒吾あゆかわひさご

 お前たちを狩りに来た、怪異“”だ」



「うわぁ、アイタタタ……」


 綿貫さんが若干引いてる。助けるの辞めちゃおうかな。




  ◆◆◆




 怪異“ぬらりひょん”。

 最も古い情報として江戸時代に描かれた妖怪絵巻が該当するのだが、それでも詳細は不明のまま。

 東北地方を中心とした民間伝承によれば、後頭部の大きなお爺さんとも、巨大なタコの怪物とも言われている。


 そして、「百鬼夜行の先導者である」と言及した資料も、「怪異の首領だ」と断言された記録も、何一つ存在しない。



 しかし、この怪異譚で一番のポイントは外見の話ではない。

 “ぬらりひょん”の持つ特異性……異常性とも言っていいが、この怪異には驚異的なスキルが備わっている。

 それこそが、「その場に居るのが不自然だと認識させない」こと。

 “ぬらりひょん”と相対した者は、彼をその空間に居て当たり前の存在・仲間だと誤認識するのだ。

 伝承によると、彼はその特異性を悪用して家屋に上がり込み、休息やら食事やらをタダで済ませてしまうらしい。不法侵入ならぬ合法侵入だ。


 ––––––味方も敵も欺ける、天衣無縫のデタラメな怪異“ぬらりひょん”。

 鮎川恒吾は、18歳の誕生日にその怪異譚を



 三匹の“狐狗狸”は、ターゲットである綿貫茶花のクラスメートに化け、彼女を確実に仕留めるための罠を拵えた。途中棄権するのであればルール違反で呪えるし、最後まで十円玉から指を離さなかったとしても“こっくりさん”の危険性を強く認識してしまえば低級動物霊でも簡単に食い殺せる。

 降霊術を始めた時点で必勝の罠が出来上がった––––––はずだった。


 鮎川の介入を許してしまったのは、“ぬらりひょん”のスキルの影響だ。

 奴らは三匹揃って、アイツを仲間だと認識してしまった。ついでに綿貫茶花までクラスメートの一人と信じて疑いもしなかった。


 百鬼夜行を描いた絵巻物において、彼が先頭に陣取り、我が物顔で闊歩していたのも、この能力を有していたからなのだろう。

 その背後に並ぶ数多の妖怪たちは、“ぬらりひょん“が先陣を切っている事実に、不平不満はおろか違和感すら感じ取れないのだ。


 しかし、キツネの一匹を斬り捨てたことでスキルの効果が切れたようだ。

 いくら“ぬらりひょん”とはいえ、その場の輪を乱すような行動をしてしまえば、どうしたって認識の中に疑いが生じる。誤認させていた親近感や好感度を全部ひっくり返し、「騙されていた」という事実を一瞬で理解してしまうのだ。





「たがまァ、アイツなら大丈夫だろぉよォ……」


 アイツは陰キャだし根暗だが、暗くとも真面目な根っこを持っている。暗い事には変わりないが。

 俺が直々に怪異とのバトり方を教えてやった訳だし、きっと一人で残りの二匹も始末できるだろう。

 いけない、いけない。あの事件から五年近く経ってんのに、まだ変に心配しちまう。子供に対して過保護になっちまう人間共の気持ちも、わからないでもない。



「––––––尾上さん、」

「んァ……?」


 感傷に浸っていたら、俺の隣で教室内の状況を監視していた竹永という女が双眼鏡を手渡してきた。

 なんだ? 想定外の事でも起きたんだろうか? だとしても、竹永がいつも通りのお淑やかモードだから緊急性はないんだろうけど。




「ひーくん、取り逃がしちゃったみたいです。“狐狗狸”」




 …………今日の晩飯は抜きだなァ、オイ。

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