ぬらりひょん警部補は後ろから刺す

筆崎泰平

第壱部 ぬらりひょんの初恋

降霊る/こっくりさん、こっくりさん

「「こっくりさん、こっくりさん、お越しください」」


 舌足らずな声が四つ重なって聞こえてくる。微かに声変わりを迎えた声が二つ、未だにあどけなさを残す高い声が二つという比率だ。

 それに混ざるのが、僕の喉から漏れ出した声。

 明らかに低く、まるでオクターブの一段下を意図的に担当しているかのような低い声色は、四つの音と重なり合って夕暮れの教室に響き渡った。

 正直なところ、場違いな感じが否めない。ハッキリ言って気まずい。

 まぁ、彼ら彼女らは全くもって気にしないのだろうけど。


 今、僕の周囲には四人の中学生がいて、僕の目の前には勉強机があって、僕の人差し指の腹は十円玉に触れている。

 その十円玉は、僕を含めた五人の指に抑え込まれ、A4の白紙に押し付けられていた。まるで虐められているようで、ちょっと可哀そうに見えてしまう。

 十円玉からすれば、ただそこに居るだけなのにこんな儀式じみた行為に巻き込まれているのだから、人間というのは情け容赦ない生き物だ。むしろバケモノと言った方が良いかもしれない。


 そんなことを考えてしまうのも、僕とこの十円玉が似ているからだ。向こうがどう思っていようと、少なくとも僕はこの銅の塊に共感ができる。

 誰にもなんとも思われない、そこに居るだけの存在。当たり前の結晶みたいな。



「「もしお越しになったら、『はい』に動いてください」」


 僕が陰険なことを考えている間に、“こっくりさん”は次の手順へと進んでいた。

 いつの時代からか広まったこの合コンゲームめいた降霊術は、抑え込んでいるはずの十円玉が参加者の意図しない方向へと進んでいくことに、最大の面白みがある。

 まるで、本当に十円玉に“何か”が宿ったかのような非日常的体験。それが“こっくりさん”の本分だ。



「––––––お、おぉ!? おいおい!! 誰だよ動かしてんの!!」


 右側手前の男子、奥山おくやま館也かんやくんが驚愕を喘ぐ。

 理由は至ってシンプル。五本の指で抑え込まれたはずの十円玉が、紙に書かれた『鳥居』から『はい』に動き始めたからだ。

 チャラそうに見えるが、意外と小心者なのかも知れない。


「え! マジ!? 怖い怖い怖いぃぃっ!!」


 左側奥の女子、裏寺うらでら芦那あしなさんも冷や汗を垂らす。

 本当に動くだなんて思ってもみなかったのだろう、ふんわりとしたボブカットが恐怖に揺れている。


「うわ、なんかワクワクしてきちゃったよぉ~!」


 裏寺さんと僕に挟まれて座る女子、綿貫わたぬき茶花ちゃばなさんは非常にワクワクしている様子。

 後ろで束ねた茶髪が左右に振れているため、なんだか大型犬のような印象だ。


「……いや、館也くんが動かしてんじゃないの?」


 最後の一人、右側奥に位置する竹群たけむれ弧仙こせんくんは、一周回って冷静に状況を見ているようだ。

 癖なのか、丸眼鏡をひっきりなしにカチャカチャ弄っている。



 巷で噂の“こっくりさん”は大抵、どんな質問にも答えてくれる上位存在のような扱いを受けている。

 誰かの好きな人を教えてくれたりとか、誰かの秘密を明かしてくれたりとか……年頃の子供がハマりがちな占いじみたシステムだからこそ、紙と十円玉さえあれば再現できるお手軽さも相まって爆発的に広まったのだ。


 ただ本当にそれだけだったら、これほど全国的には広まらない。

 繰り返して言うようだが、“こっくりさん”はまごうことなき降霊術だ。ふざけ半分やら遊び感覚で手を出していいようなことじゃない。そもそも遊びじゃない。

 はきっと、それをわかってないんだ。



「ねぇねぇ、何聞いてみよっか?」

「えぇ……続けるの? ホントに動くと思ってなかったからさ、ビビっちゃったんだけど……」


 やはり非日常感に興奮しているんだろうか、綿貫さんは上機嫌に語り掛ける。

 対する裏寺さんは場の不気味な雰囲気に呑まれているようだ。自分たち以外に人気のない放課後の教室は、あまりにもそれっぽい空気が整い過ぎている。

 そういえば彼らはどうして教室の電気を付けていないんだろう。暗いよ怖いよ。

 

「いや、続けようぜ。本物だったらマジでヤバいっしょ!」

「……じゃあ、とりあえず俺が質問してみようかな」


 空気を読んだからこそなのか、あるいは読めていないのか、奥山くんは元気良さそうに続行を宣言する。

 そんな彼に呆れたような表情を見せたが、竹群くんも続行することには賛成のようだ。というか君って一人称「俺」なんだね。なんか意外だわ。解釈違いです。

 

「そうだな、最初の質問は……」


 僕を含めた四人が、彼の次の言葉に注目する。将来の夢的な話をするのか、恋愛話に転ぶのか……この不気味で暗い雰囲気を塗り替えるためにも彼が投げる質問はかなり重要になりそうだし、それを全員が理解している。

 ここまで唇を真一文字に閉じたままの僕ですら、竹群くんの滑り出しに期待しちゃっているくらいだ。


「こっくりさん、こっくりさん––––––」


 そうだな……見るからに真面目そうな彼のことだし、きっと最初から本題に入ってくれるはず。

 僕としてもさっさと話を進めてくれないと困る。こうやって大人数で遊ぶのはやっぱり気まずい。

 いや、自分も含めて五人というのは「大人数」とは言わないのか。こんな調子では、また尾上さんから陰キャだの根暗だのなじられてしまいかねない。

 僕としては、そういった個人の価値観を弄ったりせず、八恵さんみたいに一度肯定してから意見交換を––––––





「––––––今日のオレタチの生贄エサを教えて下サイ」





「…………エサ? どういうこと?」


 疑問が音になって聞こえて来た。綿貫さんの声だ。

 そう思うのも仕方ない。竹群くんの質問は学業方面の話でも、恋愛方面の話でもなかったからな。

 だけど、僕からするとこの展開はやっぱりありがたい。気まずい。早く帰りたい。


「––––––え、ちょ、動いてるって……ねぇ、みんな!?」

「は? お、おい! 弧仙!? どうしたんだよ!!」

「ね、離しちゃダメなんだよね!? 離したら呪われちゃうんでしょ!?」


 綿貫さんと奥山くんの悲鳴が響き、冷静に振る舞う裏寺さんだって声色に怯えを隠しきれていない。

 ちなみだが、“こっくりさん”において「勝手に十円玉から指を離していけない」というのは本当のルールだ。

 正式な手順を踏んでからでなくては、この儀式を降りることは出来ない。


 既に十円玉は、紙面上の五十音をもの凄い速度で滑り始めている。

 流石に僕もこれには驚いた。だって普通なら紙がクシャってなってそうな速度で滑ってるんだもん、意外と繊細なテクニックが求められるものなんだろうか。

 そんな僕の関心も気にすることなく、「わ」から真横の「た」へとズレた十円玉は、既に「ぬ」に向かって挙動を開始している。


「––––––おい、離すなよ! 絶対離しちゃいけねぇからな!!」

「え、ねぇ、嘘でしょ、さすがに怖いって! ねぇ!! ちょっと!!!」

「弧仙くん!! 弧仙くんってば!!」


 ほどなくして「き」に停車した快速急行十円玉。

 ちなみに、非難を浴びる竹群くんは全くもって反応を返さない。目を開けたまま気を失ったかのように、虚ろな目で左側前方を凝視している。僕と裏寺さんの間にいる彼女の方向だ。

 そういえばみんなしてギャーギャー騒いでいるけど、十円玉が「わ」「た」「ぬ」「き」の順番で巡っていることには気づいているんだろうか。綿貫さん、狙われちゃってますけども。


「や、辞めるから!! アタシ、帰るから––––––」

「離さない方がいいよ。離したら、問答無用で負けだから」



 朗報。僕、ようやく喋る。

 もしかして僕は実は存在していない、みたい風に見えてしまったかな?

 残念。僕はちゃんと生きております。

 流暢にコミュニケーションができないだけです。悲しい。

 しかしこのタイミングでちゃんと喋れてよかった。ここを逃すと、僕は中学生をみすみす見殺しにしていたかもしれない。

 比喩とかじゃなく、文字通りに。


 十円玉は速度を落とすことなく、「ち」を通過し、「や」に迫る。


 だが期せずして良いタイミングだ。

 相手側はやる気満々のようだし、僕に対して警戒している様子もない。

 綿貫さんは最高のリアクションを見せてくれし、だからこそ二度とこんな馬鹿な真似はしないって確信ができる。

 尾上さんに言われたことは大方守れたかな。



「あのさ、今からちょっとショッキングだから、叫んだりしないでね」

「ふぇ––––––––––––」


 こんな状況で落ち着いている僕のことが気になるのだろうか、竹群くん以外のみんなは「は」へと突き進む十円玉をもう気にしていない。涙の浮かんだ両の瞳を僕の右手に向けている。

 熱視線を一身に浴びる僕の右手は、握った刀を鞘から引き抜き、その勢いのままに、極めて無造作に。




 その先にあった、の首を斬り落とした。




「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 うるさっ! 叫ぶなって言ったでしょうが!

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