第11話 壊したかった心と、壊れたもの。
「心を壊したかった」
そう話す氷雨澤青の話を詳しく聞いてみると、氷雨澤青という人物のぶっ飛び具合というか、絶対に私なら選ばない選択肢を悉く選ぶ正反対な考え方というか、まぁ聞く分にはとても興味深いものだった。
氷雨澤青は「氷雨澤財閥」というとんでもない金持ちの次男坊だった。
先祖代々続く由緒正しき大金持ち。その次男坊ともなれば、跡目争いとかで命を狙われたりするのでは?と思ったが、そういったものは氷雨澤家には無縁の話らしかった。
というのも歳の離れた長男長女があまりに優秀であり、すでにいくつかの事業を継承していること、優秀な妹弟もおり経営どころか政略結婚なども超安泰、次男坊青が漫画家になるという夢を追うことについて、一族全員が応援しているらしかった。
氷雨澤財閥の力を使えばどんな大手の出版社にでも圧力をかけて青の漫画を世界的に売ることは難しくないらしいが、それだけは絶対にやめてほしいと断っているのだと話してくれた。
雲上の話だな、と思いながら聞いていると、氷雨澤青が何故ロボットになっているのかという話になった。
そもそものきっかけは「愛ララ」という雑誌が廃刊になったことだった。
「愛ララ」はうちの会社が出版していた少女向け雑誌で、全盛期は毎月数百万部の発行を誇った超人気雑誌だったが、ここ十年世間を騒がすような人気漫画が出なかったこともあり、三年ほど前に廃刊となった。
雑誌の売れない現在では、過去超人気を誇った雑誌でも廃刊になることは珍しくない。出版業界にいる私としてはすでに慣れてしまったことだったが、子供の頃から愛ララを定期購読していた氷雨澤青にとっては天地がひっくり返るくらい衝撃的なことだったらしい。
愛ララの廃刊で「絶対安泰な雑誌なんか無いんだ」という危機感を持った氷雨澤青は、漫画の完成を決意した。
幼い頃から漫画家になりたいという夢を持ってはいたものの、好きなように描くだけで誰に見せるということもなく、そもそも一つの漫画として完成させることも、それまで無かったのだという。
約二年の歳月をかけ、初めて漫画を完成させた氷雨澤青は、半年前、震える足でジュエル編集部に持ち込みに行ったらしい。
ジュエルを選んだ理由はやはり、自身が最初に読んだ漫画の作者「鳴宮麗子」の存在が大きかったという。
鳴宮麗子と同じ雑誌に載ることを夢見て、ジュエル編集部の門を叩いた。
だが彼が丹精込めて描き上げた漫画がジュエルに載ることは無かった。
シンプルに「面白く無かった」からだが、ジュエル編集長に「アナタには宝石のような光り輝く才能がある。新しい作品ができたらいつでも持ってきて」と言われたことにより、毎月作品を作り上げては持ち込みを繰り返すようになったのだという。
だが氷雨澤青の漫画に下る評価は常に同じだった。「絵はうまいが話が面白くない」というものだ。
繰り返される酷評に何度も改善を試みようとしたが、どうしたら話が面白くなるのか全くわからなかったらしい。
そんな中、受けたアドバイスの一つが彼の心に突き刺さった。
そのアドバイスとは「君には心があり過ぎる」というものだった。
自分の産み出したキャラクターを愛し過ぎるがあまり、どのキャラクターも主人公にしたくなるし、その背景を描いてあげたくなるし、誰も悪役にしたくないし、誰一人悲しい思いにさせたくない。その優しき心が氷雨澤青の漫画を駄作にしている、と言われたそうだ。
そのアドバイスを受けた氷雨澤青は、具体的にどうするのかというところで、私なら絶対に選ばない手段をとった。
「心があり過ぎて面白い漫画が描けないのなら、心を壊せばいいはずだ!」
そう思った氷雨澤青は、心を壊す手段として、氷雨澤財閥が手掛けている事業の一つ「医療ロボット事業」の担当者にコンタクトをとったのだという。
医療ロボットとは、事故や病気などで体を思うように動かせなくなった人たちの脳波を読み取り、新たに『脳波で動かせるロボットの体を与える』というものだ。
身動き一つ出来ない人でも、脳波さえ読み取ることができれば、ロボットの体を使って再び元気に動き回ることができ、社会復帰はもちろんハードなスポーツだって楽しめるようになるのだという。
だが医療ロボットはまだ一般的に売られている代物ではない。
人類の夢の最終形態ともいえる商品だが、人と同じ動作が出来る高性能ロボットを使用するにあたり、解決していない問題がとても多いためだ。
例えばロボットが誤作動を起こし、過失や犯罪を犯したときにどういう刑罰が下るのか、脳波を送っていた個人に責任はあるのか、本当にロボット側の誤作動だったのか、脳波による過失では無いとどうやって証明するのか。
その辺りの事情が氷雨澤青にとって都合が良かった。
氷雨澤青は自身の体と脳波を生体サンプルとして差し出すことにしたのだ。
体を病院に預けてロボットに脳波を送り、これまでと同じように暮らしてみる。月に一度漫画の持ち込みに行く以外、ほとんど外に出ない自分なら、ある程度安全にサンプルを集められるし、これまでなんの役にも立てていなかった氷雨澤財閥の事業の一つに有益な情報をもたらせるかもしれない。
そして何より彼を突き動かしたのは「ロボットになれば心を壊せるかもしれない」という思いだった。
脳波と心。同じものかもしれないし、違うものかもしれないもの。
面白い漫画を描くため心を壊したいと願う氷雨澤青は、できる限り昭和っぽいロボットに脳波を移すことにしたそうだ。
漫画が描けるだけの性能さえあれば、他には何もいらない。
一番いらないのは心。
心がある限り面白い漫画は描けないのだから。
私にしてみれば奇想天外というかなんというか、とんでもなくぶっ飛んだ話だが、先日持ち込んだ漫画がやはり酷評だった氷雨澤青は、家族の反対を押し切るようにして昨日ついにロボットになったのだという。
猫脚王族デスクに似合わぬキャスター付きの椅子に腰かけて話す氷雨澤青の頭頂部を、私はじっと見つめていた。
いやいくらなんでも、そんな理由でロボットになんかなる?と思ったが、私はほんの少し負い目のようなものを感じていた。
氷雨澤青がロボットになる最後の一押しをしたのは、おそらく私だ。
先日私が「君の漫画全然面白くない。才能無いから漫画家はすっぱり諦めてイラストレーターに転向したほうがいい」と言ったから、どうしても漫画家になりたかった彼は、心を壊すためロボットになるという最終決断をしたのだろう。
心を壊したい、か。
近未来SF話のようで、どこか御伽話のような現実の話。
心を壊してまでも面白い漫画家になりたいと願う氷雨澤青をじっと見つめた。
その視線を感じてか、ロボットは半球状の顔を上げたが、私の視線に威圧的なものを感じたのか、ガラスの瞳がそっと逸れていく。
「氷雨澤さん」
視線が合わなくなることを感じた私の問いかけに、ドラム缶は「ひゃい」と発して身を震わせる。明らかに私を怖がっている。「怖がる」という行動はどうにも人間的に思えて、やはり心が壊れているようには見えない。
「面白い漫画、描けそうですか」
聞いてはみたものの、答えはなんとなく分かっていた。
予想通り氷雨澤青は銀の頭を横に振った。
「どうしてそんなに面白い漫画が描きたいんですか?」
その問いかけは氷雨澤青にとって意外なものだったようで、逸れていた目が丸く見開かれたので、私は続けて聞いてみることにした。
「貴方の家はとてもお金持ちで、優秀なご兄姉がいて、貴方は働かなくても食べていくことに不自由しない。それなのに何故漫画にこだわるんですか」
都内から少し離れた避暑地とも呼べるような場所にある大豪邸。ここに来てから氷雨澤青以外の人間に会ってはいないが、美しく清潔に保たれている大空間には「お手伝いさん」というか「メイドさん」というのか、どう呼ぶのが正しいかわからないけど複数人の仕事の匂いがする。
そんな恵まれた環境でロボットになってまで漫画を描くことに、一体なんの意味があるのだろうか。
「…わかりません」
キィっと小さな音を立てて、ドラム缶は俯いた。
「優秀な兄姉がいてくれるおかげで、母も父も僕には「好きなことをしていい」と言いました」
蛇腹の腕の先、両手をO字にして合わせながら氷雨澤青はポツリポツリと声を溢す。
「ですが、誰からも期待されず、ただ生きることは、それほど楽しいことではありません」
思い出すことがあるのか、だんだんと小さくなっていく声に耳を傾けていると、ロボットは途端に顔を上げた。
「でも姉さんに「虹の窓」を貸してもらった時、僕の人生は変わりました。こんなに面白い世界があるんだって、こんなに自由で美しくて、心が締め付けられるほど切なさや、胸が弾けんばかりの幸せな気持ちを届けてくれる。少女漫画ってなんて素晴らしいんだろうって」
ガラスの瞳を輝かせるロボットの銀色の頬がピンクに染まる。そんな機能もあったのか。
「それから僕はお小遣いの全部を漫画に費やしました。バトル漫画もスポーツ漫画も異世界漫画も素晴らしくて、僕はどの漫画の虜にもなりましたが、やっぱり少女漫画は格別で。いつか僕も少女漫画を描ける人間になりたいって、そう思って毎日絵の練習をして…」
そこまで話して、ドラム缶は胸の前から手を下ろした。だらんと伸びる蛇腹の腕が哀愁を感じさせる。
「だけど、僕の漫画は面白くなくて」
確かに氷雨澤青の漫画は面白くない。それは真ごうごとなき事実だ。だが彼にはずば抜けた絵の才能がある。
「貴方の画力はとても素晴らしいものです。あとは物語さえ上手く構築できれば、きっとすごい漫画家になれます」
ほとんど反射的に声を上げた。いつの間にか拳を握っては前のめりになっていた。
だがそんな私の視線から逃げるように、氷雨澤青は銀の頭をがっくりと下げる。
「絵は、練習すれば上手くなりますから」
自信無さげに吐き出される言葉に、だんだん腹が立ってきた。
練習すれば上手くなるなんて言葉じゃ表せないほど素晴らしい画力を持っているのに、美術品を見てもなんとも思ったことなかった私の心を震わせたほどの圧倒的才能なのに、なんでこいつはこんなに卑屈なんだ?
「面白い漫画って、どうやって描くんでしょうか…」
ため息混じりに溢れた氷雨澤青の声に、私の心の中で何かがプツンと切れるような音がした。
「…練習やろ」
切れた音に導かれて、何かが胸の奥底から湧き上がってくるような、血が逆に流れるような、足の先から頭のてっぺんに向かって熱い何かが駆け抜けるような思いがする。
「絵は練習すれば上手ぁなる?やったら物語作りだって練習すれば上手ぁなるに決まっとるがな!」
自分の耳にすら煩いと感じる程大きな声が出ていた。だけど何故か止められない。
私の急な大声に、ブルブルと震えているドラム缶に詰め寄った。
「最初は研究から始めたらええ」
目の前数センチにガラスの瞳があり、瞳に私が映っているのが見える。
「おめぇが好きな漫画がなんでおもろいんか、どういうところをおもろいと感じとるのか、それを洗いざらい羅列する所から始めたらええ」
「ちょちょちょっと待ってください」
ガラスの瞳が遠ざかる。銀のドラム缶は猫脚王族デスクに駆け寄り、白い紙を引っ張り出しては羽ペンを掴んだ。
「お願いします」
メモを取る体制に入ったドラム缶を追いかけて、私は指を突きつけた。
「おめぇが一番おもろいと思っている漫画の「何がおもろくて」「何が好き」なんかを徹底的に洗い出したら、次はそれを真似せえや」
「えっ?真似ですか」
「そう、とことん真似するんや」
「でもそんなのパクリじゃないで…」
「黙れぇい!」
言葉のお尻を聞く前に、私は声を荒げていた。
「ええか、真似を馬鹿にしたらあかん。今おめぇが言葉を話しているのはなんや?親の話してた言葉を真似して学んで自分の言葉にしたんやろが」
拳を握ってなおもドラム缶に詰め寄る。
「この世の中にはなぁ、他の何からも影響を受けてねぇ神域みてぇなもんはもはや存在せぇへんのや。せやけどオリジナルって呼べるもんは数多ある。親を真似て学んだ言葉使うて今おめぇが自分の意思を伝えとる、それは親の意思じゃねぇ、おめぇ意思や、それこそがオリジナルってことやろうが」
一呼吸でそう言った私は、息を思いっきり吸い込んで吐くと同時に、王族デスクを握り拳で叩いていた。
「漫画だってなんだってそうや。真似て学んでオリジナルになっていく。お前さんが持ってる沢山の経験を織り混ぜ合わせて、描く漫画をオリジナルに昇華させるんや。それが良い漫画家ってことやろがいっ!」
ほとんど無意識に私は腕を振り回していた。もしも今着物を着ていたのなら、肩から桜吹雪が出ていただろう。
「おめぇにその覚悟があるんなら、私と一緒におもしれぇ漫画を作ろうやないかぁっ!」
結構な高さがある王族デスクに片足を乗せて、肩から見えない桜吹雪を出した私は、目の前の銀色ドラム缶に向かって手のひらを差し出していた。
「さぁ覚悟決めろ!この手ぇ取っておもろい漫画家への道を進むか、綺麗さっぱり諦めるか!」
永遠とも呼べるような静寂の後、私の手のひらをU字の手がそっと掴んだ。
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