愛犬

 これは、知り合いのKさんから聞いた話。

 Kは夫と横浜で二人暮らしをしていた。夫が医師だったこともあり比較的裕福な生活を送っていた。


 多忙な夫は家を空けることも多く、寂しさからか、二年ほど前にKさんはペットにトイプードルを飼うことにした。


 ペットを飼うこと自体が初めてのことだったが、愛らしく、無垢な存在にKさんはペットを溺愛するようになっていった。


 程なくして。ペットを通して動物愛護の活動をするOさんと交流を持つようになった。そして、自身も徐々に動物愛護活動に参加するようになっていった。


 それは愛護活動を始めてから一年ほど経った時のこと。住んでいる地域でショッキングなニュースが舞い込んできた。


 いつもペットを連れて散歩に行く公園で、動物の死骸が見つかるようになったのだ。最初に見つかったのはカラスの死骸だった。棒か何かで滅多打ちにしたように、死骸は相当損壊していた。


 次は無数のハトの死骸が広場に転がっていた。

 どうやら餌に毒を混ぜたのではないか、ということだった。


 それからと言うもの、翌週も、その翌週も、決まって死骸は見つかった。


 「ねえ、Kちゃん聞いた?もう、考えられないわよね」ペットを散歩している途中でOさんが言った。

 「こんなことするなんて信じられない。早く捕まってほしいですよ」


 「どうせタチの悪い若者か何かでしょう。ここら辺も物騒になったわよねえ」

 「団体としてもパトロールすることになったんですね。私もぜひ参加させて下さい」


 死骸が見つかるのはいつも朝方だったことから、犯行は深夜から明朝にかけての時間で行われていたのだった。


 翌日からKさんを含めた有志の間で交代でのパトロールが始まった。しかし、一向に犯人らしき人は見つからなかった。


 それどころか、より虐待は過激化していったのだった。最初は小動物がターゲットになっていたのだが、この付近に住む野良猫や、飼い主の元を逃げ出した犬などが標的になっていった。

 

 「ねえ、もういい加減にしてほしいわよね。なんで捕まらないのかしら」

 「本当ですよね。警察も本気で動いてくれないし。私たちが巡回するのだって限界があるし…」

 早朝のパトロールをしながらKさんとOさんが話していた。


 その時──


 黒い人影が遠くで走り去っていくのを見た気がした。

 「あれ、今…誰か通りませんでした?」

 「え?気づかなかったわ。どこかしら?」


 「あの、向こうのベンチのある、植え込みのあたりです」

 急いで向かって行ったところ、そこに横たわる犬の死骸が転がっていた。


 「あの、この子って…」

 「ええ、この首輪間違いないわよ、Cさんのところのワンちゃんよ」


 最近喜寿を迎えたCさんは近所に住んでいた愛犬家であった。よくこの公園の散歩ですれ違う仲であり、歳こそ離れているものの、ペットのことや生活の悩みを何でも相談し合える、頼りになる人だった。


 そんな老人の愛犬が被害に遭ってしまったのだ。

 すぐにCさんに連絡を取り、事実確認をしたところ間違いなくCさんの愛犬であった。


 取り乱し泣き崩れるCさんにはOさんが付き添い、その日は解散することになった。


 帰り道、Kさんは考えていた。


 公園を走り去っていくあの影がどことなく夫に似ていた気がしたのだ。遠目であったが、長年見慣れた姿だ。間違える訳はなかった。

 何をしていたのか。


 いや、私がパトロールしていることは知っているはずだ。きっと私に何か用があったのだろう。

 

 家に帰ると、既に夫は出かけた後であった。今日から三日間、遠方の学会に出席することになっていた。

 

 夫婦の予定帳を見る。当たってほしくない予感が当たった。

 夫は家を空ける日が多いのだ。

 夫が家にいる日に限って動物の死骸が見つかっていた。疑惑がより濃くなる。

 でもなんであの人が。

 

 夫が帰ってきてから暫くが経った。あのことは今だに聞けずにいた。具合が悪いと言ってパトロールへの参加も辞めてしまった。


 ある日の夕方。

 夫がご機嫌で病院から帰ってきた。こんなに機嫌がいいのは久しぶりだ。


 「ちょっと仕事があるから部屋に入らないでね」

 そういいながら夫の書斎に歩いて行く。その主人のシャツの裾に──赤い血がこびりついていた。

 やはり夫が動物達を……


 ソワソワしていると愛犬のトイプードルがいないことに気づいた。

 慌てて声をかける。

 「プーちゃん、プーちゃん、何処!?」

 愛犬は夫の書斎から顔を出していた。


 「プーちゃん!よかった!」

 すぐに駆け寄り抱きしめた。心から安堵した。


 すると、犬の口元が赤く汚れていることに気づいた。

 何か口に詰まっているようだった。

 犬の口を開き覗き込んでみる。

 

 ボトッ。

 

 何かが落ちた。

 それは、人の、人間の指だった。

 

 振り返ると、夫が書斎から顔を出していた。

 「あれえ、お腹空いてなかったあ?」

 すぐに夫は書斎に戻ってしまった。

 

 私はこの事を言えないでいる。


 夫婦以外、誰も知らない秘密の話です。

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