第22話 10月

昭和おじさんが会社を去ってから二週間が経過した。

おじさんがいない職場は静かで、私は心にぽっかりと穴が開いたように感じられた。小説や漫画ならおじさんが去った時点で


昭和おじさんが去った後も咲山香の戦いはつづく

これまでのご愛読、ありがとうございました!


で終わるのだが、ところがどっこいこれは現実だ。私は生き続けねばならない。

私は心に空いた穴を埋めようと目の前の仕事に没頭する日々が続いた。



クリスマス商戦の目玉商品「サイレント・イヤー」のソフトウェアテストに私は注力していた。名前の通り、ノイズキャンセリング機能に特化したモデルだ。今月末のリリース判定会議に向けて順調にプロジェクトは進んでいたのだが、1件の不具合がその行く手を阻んだ。

いわゆるBランク不具合という奴だ。不具合にはAランク、Bランク、Cランクの3つがある。Aランク不具合は即出荷が停止するレベルのもの、Cランクは修正することが望ましいもののスケジュールや費用対効果によっては見送ることが許されるもの。Bランクはその間に位置するものだ。

AとCの間といっても、基本的には修正しないと出荷はできないし、そのまま売りにだせば間違いなくクレームにつながる。

そんな不具合が9月の末から1件だけ残り続けていた。

不具合の内容は音楽を聴いていると稀にノイズ、人によってはびっくりしてしまうような異音が発生するというものだった。だが、やっかいなことに問題が中国のテスト拠点でしか発生しておらず、日本にいる私や設計者はやきもきさせられていた。


「徐さん、今日は例の不具合、発生しましたか?」

「はい、今日も一度だけ発生しました。

 昨日は二度起きています」

徐さんは中国の現場にいるテストリーダーの一人だ。私が前回中国でお世話になった楊さんの部下にあたる。

「再現条件はまだ特定できない?」

「はい、まだ条件はわかっていません。

 ビデオにも撮っているのですがおかしな点はありませんでした。

 念のためサーバーに動画を置くので確認してみてください」

「わかった、ありがとう。

 あとで私の方でも動画を確認してみる」


こうやって毎日再現試験をしてもらい毎日現象は起きているのだが、肝心の再現条件がまったくわからずにいた。設計者にも、もちろん連絡しているのだが、一週間ほど調査した後に再現できない問題には対処不可能と連絡があり、品質保証課に差し戻されていた。

私は徐さんから送られてきた動画を見る。映像には中国人テスターが耳にサイレント・イヤーの試作品を装着して音楽を聴いている様子が映っている。時々音源となるスマホをいじっているが特におかしな点はない。しばらく動画を見ていると急にびっくりした顔になって徐さんを呼ぶ。中国語でテスターと徐さんが話している場面で動画は終わった。

これじゃあ確かに何もわからないな、ある程度予測はできていたが改めて認識をする。

さて、どうしよう?

関係者も量産判定会議を二週間後に控えて、にわかに騒がしくなっていた。


「それで、サイレント・イヤーの足長あしなが不具合の対応状況はどうなっていますか?」

岡田課長が課定例で私に聞く。

「ここ一週間、ノイズ問題の再現テストに集中しています。

 ほぼ毎日、中国では問題再現しているものの、再現条件はわからないままです。

 日本でも有志を募って再現テストをしていますが、こちらは未だ再現ができていません」

私は事実だけをつらつら述べる。

「で、設計はなんと言っていますか?」

「現在は品質保証課の再現待ちとなっています。

 一週間ほど調査して問題を発見できなかったことから、我々のテストに問題があるのでは? と設計の一部から声が上がっています」

「なんだよ、それは!」

普段は冷静な岡田課長が珍しくイライラしている。おそらく、岡田課長はどこか別の場所で責められているのだろう。


おじさんならどうするか......。

私は心を決めて、あるアイデアを口にする。

「提案なのですが、不具合再現のために中国に行ってもよいでしょうか?」

おじさんならきっとそうするはず、そう思って勇気を出して発言する。だが、岡田課長の反応はかんばしくなかった。

「は? たかだか1件の不具合のために海外出張ですか?

 勘弁してくださいよ。

 出張に一体お金がいくらかかると思っているんですか?」

まあ、岡田課長ならそう言うだろう。コストカッターとしての実績を認められ出世した人なのだ。予想の範囲内だったのでショックはなかった。私はおとなしく引き下がり、昨日までと同様の再現テストを継続した。


翌日、出社して不具合管理ツールを開くと不具合がすべてクローズ、つまり解消していることに気付いた。つまり、再現や修正すべき不具合がなく、いつでも量産判定会議を開催できる状態だ。いったい誰が? 操作ログを確認するとそこには岡田課長の名前があった。私は何が起きたのかと岡田課長の元へ向かった。


「岡田課長、例の不具合がクローズされているんですが」

「ああ、あれね。

 再現せずで閉じておきましたよ」

「え、中国では毎日再現していますよ?」

すると岡田課長は、はぁ......とわざとらしい深いため息をついた後、口を開く。

「あのね、日本で再現できていなかったらそれは再現せずですよ。

 中国のテスターなんて不具合を出すことに一生懸命なだけで、ビジネスのことはこれっぽっちも考えていないでしょう。

 これ以上、無駄な再現テストにお金は払えません」

「しかし......」

私は食い下がる。万が一、市場でも起きる問題だったら? という不安からだ。だが、岡田課長は言い放った。

「この問題に引きずられてクリスマス商戦に間に合わなかったら、あなたは責任を取れるんですか?

 これは課長命令です。

 今すぐこの問題のことは忘れて判定会議の準備を始めてください」


私は従うほかなかった。

不安を抱えたまま......。

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