第17話 8月①

量産判定会議で岡田課長が醜態しゅうたいさらしてからしばらくの間、私は昭和おじさんが逆恨みされるのではと不安な日々を送っていた。だが、一週間経っても二週間経っても目に見える形でそれが現れることがなく、不安は日が経つにつれて安堵に変わっていった。

岡田課長が来てから一カ月以上経過したということもあり、課のメンバーの中にも変化が見られるようになった。岡田課長の方針に順応しようとする者、ひたすら事務的に中立の立場をとろうとする者、私のように、そしておじさんもそうだろう、反発しつつも波風を立てないようにする者、人それぞれだった。


そんな8月のある日、ひとつの出来事があった。

週に一度の課定例の時のことだ。課のメンバーからそれぞれ進捗や現在の課題が報告される。同じソフトウェア係の家永いえなが君、私の一年後輩だ、から一風変わった話があった。彼はディスプレイオーディオ、つまり車に搭載されるナビや動画を再生する画面の担当なのだが、効率的なテスト方法を思いついたという。

なんでもそれぞれの画面、例えばナビ画面だったりラジオの受信画面だったり、動画の再生画面だったりに一つずつIDを割り当て、そのIDがテストの期待値と同じかどうかを照合することで合否を判定するというものだ。もちろん、画面にはいろいろなものが映し出されるので完璧な合否はわからない。それでも画面全体を確認せずに済み、機械による判定や自動化ができるということで私は感心していた。それは岡田課長も同じだったようだ。


「面白いね、このアイデア。

 これ、ひょっとして特許になるんじゃない?」

そんなことを岡田課長は言い出す。え、特許? と私はびっくりした。品質保証部は開発や設計をする部署ではないので特許など海の向こうの話と思っていた。だが、何人かの課員は確かにとか調べてみる価値ありそうだとか、ひそひそ話を始めた。昔、設計部に所属していた課員だと、そのあたりの勘所かんどころがわかるのだろう。

「特許を書くとなると誰か暇そうなのは......」

岡田課長は独り言のようにしゃべりながら課員の顔を見回す。と、おじさんの所で動きを止めた。

「面道さん、家永君に特許の書き方を教えてやってもらえますか?

 特許は書いたことありますよね?」

なんだか失礼な言い方だ。まるでおじさんが暇みたいじゃない! おじさんは私のチューターで忙しいのだ、そんなことをひとり思い憤慨ふんがいしていたのだが、おじさんは意に介さないようにわかりました、とだけ返事をした。


「じゃあ、説明しようか」

おじさんはチェックのシャツに眼鏡のいかにも理系男子である家永君に説明を始める。と、私が割り込む。

「あの、私もここにいていいんですか?」

特許はうらやましいしすごいなと思ってはいるが、私はこの発明に何も関わっていない。おじゃま虫のような気がする。

「特許の書き方は覚えていて損はないから。

 まるっとまとめて教えた方が効率いいしね」

そんなおじさん独特の言い回しで、私もおじさんの即席特許講座を受講することになった。


「まず特許で大事なのは今までがどうだったかだ。

 で、次にこの発明でどうなったかだ。

 特許文章でよくあるのは『従来、なになにという問題があった。本発明はこの問題をこれこれという方法で解決する』だな」

家永君はノートにメモをとりながら、はい、はいと返事をしている。

「それで、次はどうすればいいんですか?」

餌をせがむひなのように家永君がおじさんの次の言葉を待つ。

「以上!」

おじさんはエッヘン! と言わんばかりに腕を組んでふんぞり返る。家永君がぽかんとしてしまったので私が代わりに言う。

「いや、以上! って簡単すぎませんか?」

するとおじさんは、んーーーと考えるそぶりであごを触り、再び口を開く。

「いや、本当にそれだけなんだよね。

 特許の基本って。

 あとは全部枝葉えだはなんだ。

 特許の先願を調べたり、かわしたり、権利範囲を広くとったりするのは。

 まずは今の内容に沿って書いてみてよ」

その日は本当にそれだけでお開きになった。


翌日、講義が再開した。

「お、書いてきたね。

 どれどれ......」

そういって家永君の文章を確認する。

「うん、基本はこれでいいよ。

 じゃあ今度は、この文章にあるこの言葉とこの言葉、あとこれもかな? を検索キーワードにして先願特許を探してごらん。

 内容からして先願がないってことはないと思う。

 5から20件くらいになるように絞り込んで出願番号とタイトル、概要をまとめて」

さらっと、だが的確な指示を出す。

「あの、私も検索を手伝った方がいいですよね?」

私は念のために確認する。だが、おじさんの答えは否定的だった。


「いや、ここは家永君ひとりでやってもらって。

 検索は意外にセンスが要求されるしな」

私にはセンスがない? 口にこそ出さなかったが不満が顔に出てしまったのだろう。

「いや、かおりチャンにセンスが無いって意味じゃないよ」

おじさんは珍しくあわてて言葉を継ぐ。

「どの先願を土台に特許を組み立てるかで、特許にできるできないが左右されちゃうからさ。

 他人の調査不足とかミスで特許にならなかったら、それは凄く嫌な気持ちになるでしょ?」

確かに、言われてみればその通りだ。私は無言でうなずく。

「じゃあ、今日の講義はここまで。

 家永君は宿題をよろしく。

 かおりチャンは家永君が抽出ちゅうしゅつした特許の概要を確認して、要約が正しいかチェックをよろしく」

二日目の講義も想定より短時間でお開きとなった。


なんで昭和おじさんは品質保証部所属なのにこんなに特許に詳しいんだろう? 私は特許検索システムでちょっとしたイタズラ心からおじさんの名前を入力し検索してみた。

すると、画面にはなんと30件以上の特許が表示された。

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