第18話 8月②

なんでこんなに特許出願者として昭和おじさんの名前がでてくるんだろう?

先日、ボーナス額を偶然見たときほどではなかったが、それでもおじさんの知らない面を期せずして知ってしまい、軽くショックを受けた。

そこにソフト設計課長の諸星課長、確かおじさんはダンと呼んでいた、が通りかかった。私に話しかけてくる。


「面道さんいる?

 あれ? 席外しているのか」

恐らく何かの相談事だろう。私はいらっしゃったこと伝えておきます、と言いながら別のことを考えていた。

「あの、諸星さん」

「ん? なに?」

「面道さんって、なんであんなに特許持っているんですか?」

品質保証部なのに、という部分はさすがに飲み込んで聞いてみる。昔からの知り合いだから知っているはず、と女の勘が告げていた。


「ああ、面道さんって元々、俺と同じでソフト設計にいたんだよね。

 俺の何年か先輩で。

 当時は面道と諸星で『うるせい』コンビなんて言われていたよ」

なるほど、『うるさい』コンビか。おじさんがうるさいのは昔からなんだな。諸星さんは落ち着いて見えるけど、昔は違ったのかな? なんて思いながら続く言葉を待つ。

「面道さんって昔はものすごいハードワーカーだったからね。

 商品設計しながら特許も何本も書く、みたいな。

 確か、何度も社内表彰されていると思うよ。

 今はあそこまでやる人、いなくなっちゃったね」

私はそうなんですね、ありがとうございますと簡単にお礼を言って、おじさんの過去に思いを馳せた。


講義3日目、おじさんによると今日が最終日らしい、がやってきた。

「宿題やってきたね。

 どれどれ......」

おじさんは家永作成、咲山監修の資料を読み始める。しばらくして資料から顔を上げると言った。

「これとこれは関連で上げているけど概要を見る限り関係ないと思う。

 残りの10件について深堀ふかぼりしていこう」

そう言ってやるべきことの詳細説明を始める。

「やることはこの10件について、何が抵触ていしょく、つまり引っかかるポイントなのかを明確にするのが第一。

 次に今回の発明がこの10件に抵触しないようどこまで広げられるかを考える。

 これは各自個人作業でやって結果を午後に持ち寄ろう」

そう言って、午前の部はこれまた短時間で解散した。


「みんな、宿題やってきた?」

おじさんがついさっきと同じようなセリフで口火を切り午後の講義を開始する。

みんなの宿題を画面に映しながら、おじさんと家永君のやりとりが始まった。

「この特許は今の原案のままだと引っかかる可能性が高いから、こう表現を変えれる?

 そうそう。

 それなら先願をかわして権利を主張できると思う」

家永君は画面に原案を表示し、リアルタイムで出願案を書き換えてゆく。

「この部分はこう表現した方がもっと広く権利を主張できそうな気がするんですが?」

家永君も勘所をつかんできたようだ。私は若干蚊帳の外ながら、それでも二人の会話をがんばって理解しようとする。

「そうそう、いいね。

 それ」

おじさんはなんやかんや言ってもチューターに指名されるくらいだ。教え方は上手い。そうこうするうちに特許の原案が完成した。


「ここまできたら、あとはこれを出願するだけですか?」

私はやり切った! という思いでおじさんに確認する。だが、おじさんははぁ? という顔だ。やれやれといった感じで説明を始める。

「ここまできてスタート地点だよ。

 ここから先は特許部による正式な先願調査と弁理士べんりし事務所の人と打ち合わせが必要になる。

 それが終わったら出願用文章を弁理士が作ってくるので、それをチェックしてようやく出願ってのが流れだな。

 まだまだ先は長いよ。

 とはいえ、俺の役目はここで一旦終了。

 ここから先は家永君ひとりでやってもらう。

 かおりチャンも講義出席お疲れ様!」

なんと、まだスタート地点だったとは。私は勉強になったなと思いつつ、自分は特許を当面書くことはないなとも思った。


「ところで......」

「ん?」

私はなるべく自然に自然に、おじさんの特許のことを質問してみる。

「面道さんは、どうしてあんなにたくさんの特許を保有しているんですか?」

すると、おじさんはあれ? バレちゃった? という顔をして言った。

「ああ、あれね。

 あれは昔取った衣笠きぬがさってやつだよ」

『きぬがさ』? 『きねづか』じゃなかったっけ? そんな風に思い顔にいくつかの?マークを浮かべているとおじさんは急にしょんぼりして言葉を続けた。

「いや、昔はさ、特許の鉄人って言われていたの」

それを聞いて、それなら知ってると思い、努めて明るい声で返事をした。

「鉄人って料理のやつですよね!

 そんな風に呼ばれていたんですね!」

だが、おじさんはなぜかさらにしょんぼり度を高めて

「鉄人といえば衣笠なのに......」

とつぶやきながら、いじけてしまった。



三週間後、おじさんが説明していた一通りの処理が終わり弁理士から特許の出願用文章が出てきたそうだ。家永君が課定例で嬉しそうに報告する。だが、岡田課長の一言に場が凍り付いた。

「家永さん、お疲れ様。

 じゃ、共同出願者として私の名前も載せておいてね」

え? 私は何かの聞き間違いだと思った。だが、周りを見ると同様の顔をしている者が数名いる。なにか言った方がいいのかな? でも私が言ったところで意味あるかな? そんな逡巡しゅんじゅんをしているとおじさんが立ち上がった。

「岡田さん、それは違っちゃいませんか?」

おじさんには珍しく強い口調だ。顔は少し怖い、いや怒っている。

「違うとは?」

岡田課長は涼しい顔だ。

「この発明は家永君のものです。

 彼以外の名前を発明者に書くのは違うんじゃないですか?」

さらにおじさんの声が大きくなる。

「別に面道さんも書いてもらえばいいんじゃないの?

 手伝ったんでしょ。

 咲山さんも」

私の名前が特許に!? だが一瞬喜んだ自分をすぐに恥じた。おじさんは本気で怒っていた。

「そういう問題じゃないです。

 どう考えたっておかしいですよ、こんなのは」

「おかしい? 私はそう思わないけどね。

 だいたい、私が特許にしてみればと言わなければただのアイデアで終わったんじゃないですか?

 ねぇ、家永さんはどう思いますか?」

家永君は急遽勃発した争いに巻き込まれて、おろおろしている。そこに岡田課長がとどめとばかりに追い打ちをかけた。

「別に私はいいんですよ。

 私が許可しなければ出願できないだけなので」

家永君は全面降伏した。


会議が終わった後、会議室に残っていたおじさんに私は声をかけた。

「あんなやり方ないですよね。

 卑怯だと思います」

おじさんの心に寄り添ったつもりだった。だが、

「すまない。

 ちょっとひとりにしておいてほしい」

おじさんはそう言ったきり黙り込んでしまった。

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