第15話 7月①
6月末、熊野課長ことクマさんはマレーシアに旅立った。一週間の課長不在期間を経て7月、新しい課長が私たちの品質保証課に着任した。
品質保証部オフィスのフリースペースを利用して新任課長の紹介が始まった。
「みなさん、初めまして。岡田といいます」
小太りの男性がかん高い大きなよく通る声でしゃべりだす。この会社の男は声が大きくないとえらくなれないのか? と心の中でつっこむ。
「以前はコンシューマーソフトウェア開発課というところでパソコン用のソフトウェア評価を担当していました。いわゆるパソコン用のアプリです」
昭和おじさんよりちょっと若いかな? 背は少し低くてゲームに出てくるマリオみたいだな、なんてことを思う。
「わからないことも多いのでみなさんにご迷惑をかけることも多いかと思いますが、よろしくお願いします」
岡田課長は笑みを浮かべながら頭を下げた。だが、私には細めた
着任からの数日、私たち品質保証課メンバーと岡田課長はお互いの距離を測るような、ややギクシャクした関係だった。岡田課長には申し訳ないが、これまで付き合いの全くなかった人がいきなり課長になったのだ。ある程度は仕方ないだろう。
二週間ほど
私とおじさんが業務について相談をしていた時のことだ。岡田課長がやってきて、おじさんに声をかけた。
「面道さん、いま担当されているヘッドフォンですが」
岡田課長よりおじさんの方が年長なのだろう。しゃべり方自体は丁寧だ。
「はい、何か問題がありましたか?」
「いえ、もう判定会を残すのみですよね?」
岡田課長はうつむき加減の上目遣いでおじさんに確認する。
「まあ判定会のあと、いくつかやることはありますが
「では、発表は私に任せていただいて次の商品に着手していただけますか?」
え!......私はびっくりした。判定会自体は大した作業ではない。我々の仕事としてはそれまでの過程が大事なのであって、判定会は結果を発表するだけだ。だが、プロジェクトとして最後の作業でもあり、そこだけを他人に引き継ぐなど聞いたことがなかった。それはおじさんも同様だったようだ。
「いや、プロジェクトとして最後の作業ですので、そこだけお願いするというのは......」
おじさんも警戒しているのか、私と話すときよりも二段階ほど丁寧な言い回しになっている。すると岡田課長は声のトーンを一段上げた。
「判定会の発表なんて誰がやってもいい作業は任せて、もっと付加価値のある仕事に時間を使ってほしいんですよ。それだけのお給料、もらっていますよね?」
私はその言い草を聞いて眉をひそめた。あまりに一方的で失礼な言い方だ。
「しかし、判定会の後にも作業が......」
おじさんが最後の抵抗を試みたが言い切る前に岡田課長が
「だから、それは私が引き取ると言っているんです! だいたい、面道さんは仕事に関係のない無駄時間が多いですよ。今日も我々の業務と無関係の企画担当と話されていましたよね?」
話しかけてきているのは企画担当の方なのに。そもそも業務と無関係ってなんで言えるのさ、そんな風に私はひとり
「......わかりました。では、お願いします」
おじさんにはそう言う以外の選択肢はなかった。
翌日、私とおじさんが次の商品についての打ち合わせをしているとまた岡田課長がやってきた。昨日の今日なので私は最初から警戒感マックスだ。
「面道さん、あれ、どうなっていますか?」
「あれ、とは?」
おじさんも警戒をにじませながら聞き返す。
「資料ですよ、明日の判定会の」
岡田課長はやれやれ、といった感じで説明する。
「それは岡田課長が昨日引き取られたのでは?」
おじさんが回答し、私もそうだそうだ! なに言ってんだ、このマリオ! と心の中で毒づく。すると岡田課長ははぁーっ! と大きなため息をわざとらしくついてから言った。
「私が引き取ったのは『発表』から先。そこまでの仕事はそれまでの担当の仕事です。今日の定時までにお願いしますよ!」
私は
「わかりました。用意します」
とおじさんは言い、その場を収めた。
岡田課長が私たちの元を去り姿が見えなくなったことを確認してから、今度は私がおじさんに文句を言った。
「なんであんな理不尽、聞いちゃうんですか?」
「理不尽、か」
おじさんは私の言った言葉を
「まったく理がないわけじゃない。それにここで言い合っても空中戦だしな。もう少し時間が経てば落としどころが見えてくる、そんな風に考えているよ」
おじさんは相変わらずの謎の単語を使って議論を締めくくった。だが、その表情はいつもよりも力が無いように感じられた。
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