第14話 6月④

昭和おじさんのボーナスの秘密を知った翌日、私はおじさんを観察してみることにした。おじさんの席は隣の島にあるが私の席から通路を挟んで斜めに位置するため観察はしやすい。どんな人がどんな案件を持ってくるか意識を向けながら、自分の仕事を始めた。


朝10時、朝のソフトウェア係内定例が終わると早速来客があった。ハードウェア設計課長の高田たかたさんだ。聞き耳を立てる。

「よう、トーマじゃん。久しぶり。どした?」

と、これは昭和おじさん。高田さんは下の名前が冬馬とうまだからトーマとよばれているようだ。

「面道さんにちょっと相談があって。接続性認証でこのスマホを追加で入れたいって企画から要望があって。どんな手続きが必要ですかね?」

「正しいやり方は企画が作成している接続性確認依頼書を更新してもらうことだけど、1機種だけなら今やってる他の機種の検証にまぎますよ。まるっとやっちゃった方がこっちとしても楽だし」

「話が早くて助かります」


ここまで聞いて早速私は感心する。これは私にはできない芸当だな、と。仕事は基本ルールに沿って進めるものである。逸脱いつだつが一切許されないわけではないが、おじさんのように自分の裁量で進める人は少ない。うまくいっている時はいいが、何かトラブルが生じたら自分で責任を取る必要が生じるからだ。このバランス感覚は私にも、多くの課のメンバーにも無いだろう。


数十分後、また来客があった。あまり見ない顔だが話を聞いているとカスタマーサービスの担当者らしい。その小柄な女性は樋口ひぐちと名乗っていた。

「お客様からこんな問い合わせが複数件来ているのですが、カスタマーサービスでは不具合の再現ができなくて......」

割と深刻な相談にみえる。それに対しおじさんは答える。

「症状からするとウチの商品側の不具合に見えますね。いいですよ。一旦ウチで引き取ります。再現できるかやってみます」

「依頼書はどうしましょう?」

樋口さんは若干不安そうだ。

「現時点では問題がどちらにあるか確定していないのでよしなにやりますよ。そもそもカスタマーサービスから直接仕事を受けるルートもないですし」

おじさんは笑いながら快諾した。


私はなるほどなー、と思わずうなずいてしまう。こういう曖昧あいまいな仕事は扱いが難しい。人によっては、それは自分の仕事ではないので、と全力で回避する人もいるだろう。そもそも、相談先がこの部署で正しいかどうかも怪しい。カスタマーサービスが自己解決したり、あるいはソフトウェア設計が確認する、でもいい内容だ。

おそらく今日の相談者たちはおじさんのところに話を持っていけばなんらか解決のために動いてくれることを知っているのだろう。そして、それは会社にとっても正しい選択だと思えた。


その後もおじさんの元には相談者がひっきりなしに訪れた。中には仕事と関係のない車の購入相談だったり、スマホの機種変更相談だったりしたが、こういったものすべてにおじさんは対応していた。私はその度に感心し、そりゃみんなここに来るよねと思ってしまった。

問題を抱えている人は解決の糸口を、他愛のない無駄話をしに来た人は来る前よりも笑顔を持って帰っているのだ。私はクマさんの言った「俺の課はあいつがいなくなると成り立たない」の意味をなんとなく理解した。




6月の中旬過ぎの課定例、遂に例の発表があった。クマさんの異動話だ。クマさんが自ら語る。

「既に一部でうわさになっているようだが、俺は6月いっぱいでこの課を離れることになった。俺としても後ろ髪惹かれる思いだが会社の命令だ。マレーシアで品質保証サイトを立ち上げることになり、その責任者を任された。任期は不定期だが半年から最長で二年くらいになるとみている」

ここまで話してクマさんは課員の顔を見回す。私は残念だなと思い視線を落とした。


「咲山、そう残念そうな顔をするな。会社員にとって人事異動は日常だ。こんなことで一喜一憂してたら持たんぞ」

私は急に自分の名前が呼ばれびっくりして顔を上げた。

「それにお前には最強のチューターを付けた。俺がいなくても安泰だろう」

そこまで言うと周りから笑いが起きた。間髪入れずおじさんがしゃべりだす。

「どうしよう? かおりチャン。最強のチューターだって。いつの間にそんな人に乗り換えたの?」

さらに笑いが大きくなる。クマさんもそれに乗っかる。

「すまんすまん、最強に面倒なチューターの間違えだ」

面道さんの名前にひっかけて茶化すと部屋の笑いが臨界点を迎えた。それにつられて寂しいのに私も笑顔になる。おじさんは、そりゃーないよ! とこの話題を笑い話として締めた。

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