第13話 6月③

そういえば、いつしかクマさんのおじさんへの呼称が「あいつ」になっている。以前誰かから、ふたりは同期だって聞いたことある。そして、今の話は玉田さんの言っていたプライベートのいろいろの部分だ。

「家庭をかえりみなかった結果、あいつは家族を失い、心の方が先に限界を迎えた。昇格のタイミングはすぐそこだったが休みがちになり、最後は有給もなくなって欠勤するようになった」

私は無言でうなずく。


「ここから先は会社の内規の話になる。内規というのはやっかいなものでな。社員一般に公開されていないのだけれど、時々俺たち社員の足を引っ張る。そして公開されていないので誰かが引っかかってから存在に気付くことになる。いわば地雷のようなものだ」

私は内規の話がよくわからず首をかしげる。


「難しいか? 具体例を話そう。まず、この会社では欠勤、つまり有休を使い果たした上で休んでしまうと2年間昇格が見送られる内規があるといわれている」

なるほど、先ほどの心を病んで休んだ話と符合する。

「そしてもう一つ。グレード3以下のまま50歳を迎えた社員は以後、昇格を認めない内規があるといわれている」

私は声には出さなかったが、口を開いて驚きを示した。


「もちろん、こんなルールは就業規則にも人事規則にも書かれていない。だが、あるということはわかっている。何年かに一回、こういう見えないルールに足を引っ張られてしまう社員が出てくる。あいつの場合、この見えないルールに少なくとも二度引っかかっていると俺は考えている」

「そんな、ひどい!」

私はつい我慢できず、声に出して抗議した。

「そうだな、会社って非情だよな。俺も何度か人事に抗議したことはある。だが、結果としてひっくり返せたことは一度もなかったよ」

そう言ってクマさんは悲しそうな顔を見せた。


「それで、この話と面道さんのボーナスの話はどうつながるんですか? 基本給が低いのであれば普通に考えるとボーナスも低くなると思うんですが」

素直な疑問を口にする。

「そこがこの会社の制度の変なところでな。ボーナスの査定には人事はあまり口を出してこないんだ。もちろん、課全体としてのおおよその枠はあるがな。そして、あのボーナスについては正当な査定の結果であると俺は考えている」

クマさんは自信ありげに断言する。確かに私も昭和おじさんのことはシゴデキとは思う。けど、支給月数でいえば基本給の約6カ月分に相当するはずだ。いくらなんでも多すぎない? そんな考えが顔に出ていたのだろう。クマさんが言った。

「多すぎると思うか? だが、こう考えるとどうだろう。うちのような上場企業の50代社員の年収が1000万円と聞いたらどう思う?」

「それは......普通だと思います」

私はなるほど、と思いながら答えた。


「俺はあいつの仕事に満足している。俺の課はあいつがいなくなると成り立たないんじゃないかとまで思ってるよ。今度、時間のある時にあいつの所に誰が来るか観察してみるといい。ソフトウェア設計者だけでなくハードウェア設計者や品質保証部のほかの課の面々、カスタマーサービスや企画部の人間も来ているはずだ。もちろん、ソフトウェア係のジョブディスクリプション、日本語でいうと職務記述書には彼らと仕事をしろ、なんて一言も書かれていないけどな」


それは観察する価値があるかもしれない。たが、疑問も生まれる。

「なぜ面倒さんは誰からも指示されていない仕事を担当職務とは関係の無い人とするんでしょうか?」

クマさんは考えるように低くうなった後、しゃべり始めた。

「それは、あいつが会社全体の利益を見ているからだと思うよ。いや、ひょっとするとそこも超越しているのかもな。仕事の先に、常にうちの製品を使うユーザーを見ている、そんな風に感じることがあるよ」

最後は自分に言い聞かせるような言い方だった。私もうなずき、納得した意を示す。

「長い独り言だったが、これで咲山の心配事は消えたか?」

クマさんはそう言いながら机の上の筆記用具やパソコンを片付け始めた。だが、私は言った。

「すみません、実はもう一つあるんです」


「なるほど、今度は俺の異動の話か。うわさになっていたんだな」

半ば異動が事実であることを認めるような言い方だ。

「人事情報についてはオープンの日が決められていてな。まあこれは直前で人事が変わることがあるため、ということらしいが。これについては今月中にちゃんと話をするから少し待っててくれ。あ、これもオフレコな」

クマさんがそこまで言うと、長かった個人面談は散会となった。

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