第10話 5月⑥

いよいよ出張最終日だ。昭和おじさんは先に帰国してしまいさすがに心細くなったが、楊さんをはじめとした中国人現地スタッフのサポートもあり無事に過ごすことができていた。遅れていたテストだったが対策と現地スタッフのがんばりもあり前倒しで5月中に終わる目処めどもついた。ハードな二週間だったがゴールは目の前だ。

「咲山サン、じょサンのテストケース実行が終われバ、全て完了デス」

楊さんがそう声をかけてきた。

「うん、みなさんお疲れさまでした」

まだテストは終わっていないのだが、徐さん以外のメンバーはテスト実行が終わってしまい評価ルームの中は弛緩しかんした空気が流れている。私の立場としてはそうした空気を引き締めるべきなのだが、この二週間のことを考えると私の気持ちも緩みがちだった。

「終わりました。不具合ゼロです!」

徐さんはテストを終えると同時に大きな声で報告した。楊さんに比べるとかなり流暢な日本語だ。日本のアニメが大好きで字幕組という、日本アニメに中国語字幕をボランティアで付ける組織に所属しているらしい。彼女と出会えたことも今回の出張の収穫だったといえるかもしれない。中国にこんなに日本のことが好きな人がいるというのは、日本にいるだけでは絶対にわからなかったことだ。


まだ午後3時を回ったばかりだが、部屋の中はすっかりお祭り騒ぎだ。みんなお菓子を食べたりジュースを飲んだり、自由に過ごしている。私はコーラの入った紙コップを片手に、テストメンバーひとりひとりに感謝の言葉を述べて回った。

しばらくこの雰囲気を楽しんでいたが、落ち着き始めたタイミングで楊さんが声をかけてきた。

「ソウいえば今日の夜のフライトでしたネ?」

私は申し訳なさそうに答える。

「そうなの。あわただしくてごめんなさい」

本当は明日のフライトでもよかったし、なんなら観光してきてもいいぞとクマさんからは言われていたが、初の海外出張で二週間も家に帰らないといろいろなことが気になる。もう少しここにいたいという気持ちと早く日本に帰りたいという相反あいはんした気持ちを抱えながらスタッフのみんなに改めて挨拶をしてオフィスを出た。


空港には玉田さんと楊さんが送ってくれた。楊さんにはずっとお世話になっていたこともあり別れは後ろ髪を引かれる思いだった。空港で軽くハグをして、また絶対会おうね! 日本にも必ず来てね! とエールを交わした。正直少しうるっときてしまったが、そこは何とか我慢した。ハグをほどいて楊さんを改めて見ると、普段色白の彼女も今は少し顔が赤い。


玉田さんとも最後の挨拶を交わす。

「面道のこと、よろしくな!」

「いやいや、私が後輩なので。それに面道さんは私になんか面倒みられたくないでしょうし」

面道めんどう面倒めんどうをみる、変な日本語だと思いつつ私は答える。

「そうか? 面道は咲山さんのことかなり大事にしていると思ったがな。大事にしている奴に背中を守ってもらうってのは嬉しいもんだよ」

「大事、にされていますかね?」

そう私は言いながらこの二週間のことを思い出していた。そういえば、この玉田さんからのセクハラ発言だったり、私がよく理解しないまま出張の目的を話そうとしたとき守ってくれたのかな? そもそもこの出張自体がそうだったのかな? そんなことを思いしばらく無言でいると玉田さんが続けた。

「面道は咲山さんに自分の娘のことを重ねているんだろうな。だってあいつは......」

そこまで言うと玉田さんも黙り込んでしまった。

期せずして知る昭和おじさんの過去だ。そういえば歓迎会の席で、プライベートでもいろいろあったって言ってたな。今は独身だけど結婚してたんだな。娘さん、何歳くらいだったのだろう? なんで亡くなっちゃったのかな? いろいろなことが頭を巡る。と、玉田さんが両手をパチンと音を立てて合わせ言う。

「すまんすまん。こんなしんみりさせるつもりはなかったよ。今回のことは咲山さんはもちろん、我々中国側にとってもいい勉強になったと思う」

すぐそばで楊さんもウンウンとうなずいている。

「また、何かあったらいつでも来てくれ」

そう言いながら玉田さんは右手を差し出した。私も右腕を差し出し、大人の男の人ってこんなに強く握ってくるんだなと思いつつ握手を交わした。


夜の10時過ぎ、ようやく日本の自宅にたどり着いた。行きの羽田とは違い帰りは成田着となったこと、突然の雨に降られてしまったことで余計に時間がかかってしまったように感じる。すぐにベッドに飛び込みたい衝動に駆られたが会社関係者、クマさんやおじさん、同じ係のメンバーにメールを投げる。すると1分も経たずにおじさんから返信があった。

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お疲れ様。

週末はよく休んで。

細かな出張報告は週明け月曜日に。

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ぶっきらぼうなメッセージだったが気遣いや、なにより普段残業をしないおじさんがこの時間まで、来るかどうかもわからない連絡を待ってくれていたという事実が単純に嬉しかった。玉田さんの「大事にされている」という言葉もあり長旅の中、雨に打たれて冷えた私のこころと身体を温めた。

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