第5話 5月①

私、咲山香さきやまかおりは困っていた。

品質保証部 品質保証課 ソフトウェア係に配置替えとなって早くも1カ月が過ぎたが、肝心の担当商品のテストができないのだ。原因はわかっている。ソフトウェア設計でのトラブルだ。設計は技術的に確立できていない部分が含まれているため、多少遅れることは仕方がないと思っている。だけれども我慢にも限界がある。元々4月の中旬にはリリースされているべきソフトウェアなのだ。

それが今日、5月15日になっても出てこない。これでは商売あがったりである。仕方がない。この手だけは使いたくなかったが背に腹は代えられない。意を決して自分の席を立ち上がった。昭和おじさんへの相談である。


「というわけで業務に必要なソフトウェアがまだ提供されていないんです。面道さん、この間みたいにうまくやる魔法はないですか?」

私は面道さんこと昭和おじさんにお伺いを立ててみた。

正直なところこの昭和おじさん、食えない人なのであまり近寄りたくないのだが、課長の命令で私のチューターに指名されているので無視するわけにもいかない。それに私が出会ったオンダ社員の中でも問題解決能力自体は群を抜いて高い。あの頭脳明晰で日本語を一カ月でマスターしたという噂のあるキョ課長をしのぐのだ。ここは我を捨てて助言を求めるべきだろう。だが、私はすぐに後悔した。


「魔法? 魔法ってあの魔法? サリーちゃんが使う?」

サリーちゃんがよくわからないが、きっと昔の魔法少女なのだろう。だが、私は魔法少女について昭和のおじさんと語り合いたいわけではない。なんと答えるべきかとまどっているとおじさんがさらに話を続けた。

「かおりチャンは純真なんだね。魔法なんてものはこの世に実在しないんだよ。ひょっとしてサンタクロースとかも本気で信じているクチ?」

一見本気で聞いている風で目が笑っている。だいたい、この前自分も寝技のことを魔法って言っていただろうが! 怒りを抑え私自身の発言を修正する。

「いえ、魔法は魔法でも寝技の方です」

だが、この言い換えはさらにおじさんを調子づかせただけだった。

「寝技? なんかエッチだね。かおりチャンにはあんまりそんな言葉使ってほしくないなー」

ダメだ、こいつ。私は我慢できなくなり自分の席に戻ろうとする。

「あ、待って待って。状況は理解しているから。あとでソフト屋さんと話してみるよ」

それを私は背中で聞きながら、ソフトクリームでも食ってろ! と心の中で毒づいた。


翌日、ソフトウェア担当者からようやくリリース時期の連絡があった。来週の月曜日には必ずリリースするとのことだった。ひょっとしたら昭和おじさんが動いてくれたのか? そんな風に思い一度深呼吸をしてからおじさんに話しかけた。

「ソフトリリースの件、面道さんが調整してくれたんですか?」

そう私が聞くと、昭和おじさんは一瞬天井を見つめ真面目な顔で話し始めた。ひょっとして昨日私が怒ったから真面目? と思いつつ聞いた。

「ああ、調整ってほどのことでもないけどね。ソフト設計課長のダン、ああ諸星もろぼしのことね、に聞いてみたんだ。いつまで待たせるの? ウチのかおりチャンが困ってるんだけどって」

なんで諸星課長がダンなんだろう? 下の名前は確かわたるだったはずだが。そんな疑問が解消されないまま話は続いた。

「そしたらグダグダ言うからさ、遅れてもいいけどその分、追加費用出してねって。一日遅れるごとの金額を目の前で読み上げ始めたら、来週月曜日の朝には必ずって約束してくれたよ。お金の力って偉大だね」

まるで自分自身が諸星課長に直接貸し付けをしているような言いぐさだなと思いつつ、やはりこの人はシゴデキだという認識を深めた。そして、「昭和のサラ金」というあだ名をおじさんに心の中でプレゼントした。


翌週、ソフトウェアは担当者の約束通りリリースされた。だが、一カ月以上遅れてのリリースだ。当然、元々の日程には間に合うはずがないのだがそこについて設計者は知らんぷりだ。海外にあるテスト現場にはテスト人員の追加投入だとか残業のお願いもしているがこんなものは焼石に水でしかない。テスト完了予定日の6月中旬に対して、今の体制だとどんなにがんばっても7月上旬の完了だ。これはもうどうにもならんと思い、おじさんに相談した。

「なるほど、かおりチャンの言い分はわかったよ。ただ、俺からすると日程変更って割と最終手段なんだよね。これを触りだすと、次また何かある度に日程を触っちゃうみたいな」

言わんとしていることはわかるが、かといって私も無理なものをできるとは言えない。

「でもそれって設計も同じですよね。彼らのせいで遅れているのに、なんでいつも私たちが貧乏くじを引かされるんですか?」

私はそう反論した。

「わかるけどね。でも土俵際まで追い詰められてからうっちゃるのも仕事の醍醐味だよ」

おじさんはそう言って下手なウインクをした。片目だけを閉じたいのだろうが、もう片方もつられて半分閉じかかっている。それに相変わらず意味不明な日本語だ。だけれど、ウインクするくらいなのだから何とかするあてがあるのだろうとも思った。

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