第4話 4月④

「なんだか魔法みたい……」

横浜のオフィスに戻る帰り道、私は独り言をついつい声に出してつぶやいていた。

「魔法? 魔法かー、そりゃ面白い。俺ら世代だとああいうのは寝技っていうけどな」

昭和おじさんは私の独り言をおじさんへの発言だと思ったのだろう。せっかくなので乗っかってみることにした。

「寝技ってなんですか?」

素直な質問をしてみる。おじさんの日本語は時々不可解だ。

「寝技ってのは魔法のことだな」

おじさんは小さくうんうんと頷きながら答えたが、いかにも馬鹿にした回答だ。私は若い女性の特権、頬を膨らませて無言の抗議をする。

「いや、冗談冗談。寝技ってのは正攻法で落とせない相手を裏からも攻めて攻略することだな。今回は検査機関でさすがのキョさんも歯が立たなかったから、事前に手を打ってみたよ」

それを聞いて私はやっぱり! と思った。あんないいタイミングでおじさんの都合よく先方のお偉いさんが来るはずがないのだ。ひょっとすると私たちがオフィスを出る前には方針はすべて決まっていて、私たちはおじさんの書いたシナリオに沿って演じただけなのでは? とすら思い始めた。そんなことを電車に揺られながら考えているとオフィスのある横浜駅に到着した。


横浜駅からオフィスまでの間、歩きながらしんちゃんとおじさんが会話を始めた。

「僕、戻ったら許さんに日程が短縮できたことを伝えて、さっそく商品設計と日程調整をしてもらうことにします」

最悪の事態を脱したのだから当たり前だろう。表情に精気が戻ってきた。だが、おじさんは素直にうなずきはしなかった。

「その前に一緒に商品設計フロアに行こうか? ついでだから交通整理しよう」


「そりゃお疲れ様。ただ、オリジナル日程から遅れることには変わりないから課題には挙げさせてもらうけどね。『品証部が検査結果を受領するまでは判定保留』って。明後日の判定会議ではそう発表するけど、特に異論はないよね?」

オフィス到着後、自分たちの品証部フロアにすら立ち寄らず商品設計部フロアに来てしんちゃんは最新状況の説明をした。丁寧にどれだけの遅れがどこまで短縮されたかを説明したのだが商品設計の担当者、遠山さんの対応には冷や水をぶっかけられた気分だ。遅れの原因を作ったのは確かに品質保証部なので仕方のない部分はあるのだが、2週間の遅れを3日間にまで縮めた努力を少しは評価してくれてもいいのでは、というのは傲慢ごうまんだろうか。

そんな風に私は一人怒っていたのだが、しんちゃんはそれでいい、それでいいと担当者に感謝することしきりだった。そして昭和おじさんはそんなしんちゃんと私をニコニコして見守るだけだった。



量産判定会議当日、会議には遠山さん、しんちゃんを始め商品設計部課長、品質保証部課長など、このフラッグシップモデルに関係する面々が集まった。昭和おじさんと私は二日前にお手伝いをした縁で末席に座らせてもらっている。しんちゃんの様子を見ると、会議の後半で課題関連の質問が飛ぶ可能性があるのだろう。緊張で顔がまた青白くなっている。


会議が始まった。説明は先日の商品設計、遠山さんだ。年の頃は35歳前後といったところだろう。慣れた様子でよどみなく説明を続けていく。後半の課題・リスクのページが会議室のスクリーンに映し出された。課題は......ない。

私はしんちゃんと会議中にもかかわらず思わず目を合わせ、なんで? と目を何度もぱちぱちさせた。遠山さんはあんなに不機嫌そうだったのに、あんなに課題に載せると言い張ったのにだ。


その後間もなくして会議議案は無事承認された。私は出席者が一人二人と退出していく会議室に残っていた昭和おじさんに質問した。

「なんで遠山さんは課題に挙げなかったんでしょうか?」

それに対しておじさんはこう答えた。

「なんでかな? 一つ可能性があるとしたら、俺が昨日遠山君に事前連絡してあげたんだよね」

「事前連絡ってなんですか?」

被せるように私が質問を継ぐ。

「課題についてウチのクマさんから質問が飛ぶかもって。『検査の結果を受領していない間、商品設計は何をしていたんですか? 刈り取りはいつしたんですか?』ってね」

なるほど。これは効果的なやり方かもしれない。課題に挙がるだけなら依頼を失念していた品質保証部の責任だが、結果を期限までに「刈り取り」、これは受領の意味だろう、をしていないのは商品設計部の責任だ。商品設計部の遠山さんとしては遅れている理由を品質保証部だけに押し付けたかったのが、その論理が成り立たないことを知って設計確認結果をもって課題なしに変更したというところだろう。

そんなことを考えているとおじさんの背後から黒い影、熊、もといクマさんが襲い掛かった。

「お前、また俺の名前勝手に使ったろ! 課題の質問のこと商品設計課長に聞かれて最初なんのことかさっぱりわからなかったぞ。そのあと遠山から『おたくの面道さんから質問の事前通告が』って言われてようやく理解したわ!」

首を締め上げられている昭和おじさんこと面道さんを見ると息ができないのだろう。顔が紅潮こうちょうしている。おじさんは首を絞めているクマさんの腕を何度もタップしながら

「ギブ! ギブ!」

と苦しそうにうめいている。相変わらずおじさんの言うことは意味不明だ。何をくれるギブのだろう? そんなことを思いながら私は両の手のひらを差し出し、おじさんが何かくれるのを待った。


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