婚約破棄だという口癖はよろしくないですよ

uribou

第1話

「婚約破棄だっ!」


 王宮でのお茶会で、第一王子コンラッド殿下の強い声が響きます。

 あら、また婚約破棄ですか。

 何度目だったかしら?

 じゃれ合いみたいなものだとはわかっておりますが、思わずため息がこぼれます。

 淑女らしくありませんね。

 マナーの先生に注意されてしまいそう。


 わたくしウィローはアシュバートン侯爵家の娘。

 コンラッド殿下とは同い年で幼馴染です。

 仲はいい方だと思います。

 半年前に婚約が成立いたしました。


 しかしコンラッド殿下は子供っぽいのです。

 負けず嫌いなのかもしれませんが、すぐにムキになるというか。

 わたくしと言い争いになると、すぐ婚約破棄を持ち出すのです。

 こんなことでは将来が心配ですね。

 まだ八歳なので仕方ないとも言えますが。


 ……今日は計画があります。


「婚約破棄、お受けいたします」

「は?」


 間抜けな顔をお晒しになってはいけませんよ。

 コンラッド殿下は将来の王なのですから。


 婚約の解消については、もちろん陛下御夫妻の許可を受けています。

 ……実はわたくしの身体に病気が発覚したのです。

 とても殿下の婚約者は務まるまいということになりました。


 それを聞いた時はショックでした。

 まだお互い子供だけれど、子供だからこそ。

 ずっと殿下をお支えしていくものだと思っていましたから。


 互いの身分もあり、何でも言い合える相手というのは少ないものです。

 コンラッド殿下とは気も合います。

 笑顔の素敵な殿下を諦めなければならないのは残念です。

 が、わたくしは使命を果たさねばなりません。


 淑女の仮面が外れないよう、気を入れます。

 大事な場面です。

 寂しい気持ちを顔に出してはいけません。

 大丈夫、私はできる子。


「婚約破棄をお受けすると言っているのです」

「ど、どうして? ウィローは僕のこと好きじゃないの?」

「好き嫌いの問題ではありません。王族の言葉は重いと言っているのです」


 そう、殿下の言葉は感情で飛び出してしまいます。

 陛下御夫妻も注意しているのですが直らないのだそうで。

 できれば思い知らせてやってくれと言われているのです。


「冗談だろう?」

「コンラッド殿下」

「は、はい」

「王族の言葉は重いということ自体は理解していらっしゃいますよね?」

「そ、それは父上にも言われているから……」


 顔を伏せた自信のない喋りもよろしくないですよ。

 指摘されていませんでしたか?


「殿下自身のお申し出ということもあります。一旦婚約はなきものといたしましょう」

「いいのか、ウィローはそれで?」

「実は殿下とわたくしの婚約解消は、既に陛下の了承を得ているのです」

「な、何だと?」

「しばらく会うのは控えましょう。殿下の成長とトラエシア王国の繁栄をお祈りしております」


 コンラッド殿下は涙目でした。

 わたくしも涙がこぼれそうです。

 いけません、毅然としていなければ。

 コンラッド殿下に背を向け、王宮を後にします。


          ◇


 ――――――――――コンラッド第一王子視点。


「婚約破棄、お受けいたします」

「は?」


 何を言われたのかわからなかった。

 いつもの掛け合いだろう?

 僕がウィローのこと大好きなんて、よく知ってるだろうに。


 ちっちゃい頃からウィローは元気だったけど、淑女たらんとしていた。

 大きな青い瞳もすました微笑みも、皆可愛い。

 ずっとウィローとともに歩んでいくんだと思っていたのに、一体何故?


 らしからぬ青白い顔でウィローが言う。

 

「婚約破棄をお受けすると言っているのです」

「ど、どうして? ウィローは僕のこと好きじゃないの?」

「好き嫌いの問題ではありません。王族の言葉は重いと言っているのです」


 うっ、それは父上母上からも言われていることだけど!

 ここで持ち出されるのか。

 反論しにくい。

 でもウィロー自身の本心ではないんじゃないか?


「冗談だろう?」

「コンラッド殿下」

「は、はい」

「王族の言葉は重いということ自体は理解していらっしゃいますよね?」

「そ、それは父上にも言われているから……」


 表情から本心が読めない。

 こんなところで淑女スキルを発揮しなくてもいいのに。

 ああ、ウィローと僕との差がよくわかった。

 僕は幼稚なんだ。

 恥ずかしくなってきた。


「殿下自身のお申し出ということもあります。一旦婚約はなきものといたしましょう」

「いいのか、ウィローはそれで?」

「実は殿下とわたくしの婚約解消は、既に陛下の了承を得ているのです」

「な、何だと?」


 父上の了承を得ている?

 ということは当然侯爵とも話ができている?

 どういうこと?


 いや、待て。

 冷静に考えろ。

 家格や年回りから考えて、ウィロー以上に僕の婚約者に相応しい令嬢はいない。

 きっと僕に反省を促すための措置だ。

 

「しばらく会うのは控えましょう。殿下の成長とトラエシア王国の繁栄をお祈りしております」


 僕にはわかる。

 ウィローの後ろ姿だって寂しげだ。

 僕が頼りないから。

 進歩しなきゃ、進化しなきゃ。

 ウィローに相応しい男に、僕はなるんだ!


 と、八歳の僕は思った……。


          ◇


 ――――――――――四年後、コンラッド視点。


 あれからずっとウィローには会っていない。

 会いたいと口に出したこともない。

 何故ならウィローは成長した僕を待っているだろうから。


 ウィローだってきっと、教養溢れるより素敵な淑女になっているはずだ。

 だってウィローは向上心のある女の子だから。

 負けちゃいけない。

 いつか再会した時にビックリさせてやるんだ。


 僕達は一三歳になる年に貴族学校に入学する。

 来春、ウィローに会えるんだ。

 僕を見てくれ。

 僕もウィローを見るのが楽しみだ。


 ウィローとの婚約を解消してからの四年間、僕なりに頑張ったよ。

 父上母上も教育係も、僕が著しい進歩を遂げたことを認めてくれている。

 またこの四年間、新たな婚約の話が出たことはない。

 おそらくウィローとの再婚約が視野に入っているから、と思っていたのだが……。


「……ない」

「何がですか?」

「ウィロー・アシュバートンの名がだ」


 従者に来春の貴族学校入学者名簿を持ってこさせたのだが、何故かウィローの名が記入されていない。


「ああ、ウィロー嬢ですか。殿下の元婚約者の。可愛らしい御令嬢でしたよね」

「名前が名簿にないのだ」

「変ですね。いや、まだ入学願書を締め切っているわけではありませんから、何らかの理由で遅れているのでは?」

「そうか?」


 いや、願書がギリギリになるのって、家の事情で入学を迷うケースだけだろう。

 アシュバートン侯爵家のような高位貴族ではちょっと考えづらいな。


「……そういえばウィロー嬢って、御病気だったですよね?」

「何? いつだ?」

「殿下との婚約が解消された直後だったと思いますけど」


 病気?

 ウィローの情報はシャットアウトしてたから知らなかった。

 嫌な予感がする。


「何でもいい。ウィローの現在の様子を知らないか?」

「いや、全然存じませんね。考えてみれば殿下と同い年の侯爵令嬢の噂を聞かないというのもおかしな話ですが」

「調べられるか?」

「五日もあればある程度のことは」

「よし、任せた」


 ウィロー、今君はどうしているんだ?


          ◇


 ――――――――――五日後、王宮にて。


「コンラッド殿下、ウィロー・アシュバートン侯爵令嬢についてですが」

「何かわかったか?」


 従者がウィローについて調べてきてくれた。

 いかに?


「変なんです。最近ウィロー嬢に会った者が誰もいないんです」

「えっ?」


 誰もいないってどういうことだ?

 来年貴族学校に入学なのに、誰とも友達付き合いしていないってことはないだろう?


「アシュバートン侯爵家にも問い合わせたのですけれど、当家にウィローという娘はいないと」

「ば、バカな!」


 どういうことだ?

 いや、病気という話だったか。

 まさか亡くなった?


「……ウィローが亡くなったなら、僕のところにも連絡が来るはずだ」

「どうでしょう? 洗礼式前だと発表しないことも多いですから」


 我が国トラエシア王国では、満一〇歳になると洗礼式を受け、神の下に人として認められるという風習がある。

 つまり洗礼式の前、一〇歳以下で死んだとすると矛盾がない?

 そんな……。


「参考になるかわかりませんが、新聞社で訃報記事を遡って調べてもらいました。が、ウィロー嬢が亡くなったという記録はありませんでした」

「うむ、よく調べた」

「申し訳ありません。自分に調査できたのはそこまでです」

「御苦労だった」

「ただアシュバートン侯爵家では、明らかにこの話題に触れられるのは嫌がっておりました。身分の高い相手なので自分も突っ込めませんでしたが、明らかに何かの事情があるのだと思います」


 亡くなったのならそう伝えればいいだけの話だ。

 『ウィローという娘はいない』とはどういうことだろう?

 言われてみると確かにおかしい。


「どうした若人よ」

「陛下」


 父上がやって来た。

 執務も終わりの時間か。


「問題でも起きたか。顰め面をしていると問題は余計に難解になるものなのだぞ」

「は、心に刻んでおきます」

「で、悩みを聞かせよ。少年の悩みは中年の心の栄養なのだ」


 相変わらず父上の表現はユニークだな。

 自分の本心を晒さず軽妙に会話できるテクニックだと聞いたが、本当だろうか?

 単なる父上の趣味のような気がする。


「僕も来年には貴族学校に入学となります」

「うむ、入学試験に落ちるでないぞ」

「入学試験なんかないではありませんか。僕と同い年のウィロー・アシュバートン嬢についてなのですが」


 さすがに父上は表情を変えない。

 が、戸惑ってはいるようだ。

 ……父上は絶対に何かを知っている。


「調べさせても驚くほど何も出てこないのです」

「人の成長とは早いものだ。コンラッドも昔の女を気にする年齢になったか」

「陛下はどういうことか御存じないですか?」

「知っている」


 あ、ズバッと来たな。

 この件については煙に巻こうとはしないらしい。


「運命の輪は巡るものだ。今、予の口から言えることは何もない。数日中に資料を揃えさせよう。それでいいな?」

「はい」


 資料?

 やはり面倒な状況のようだ。

 まあいい、数日後にはウィローについて明らかになるようだ。


 父上がため息を吐く。


「少年の悩みは中年の頭痛の種だ」


 さっきは心の栄養って言ってたけどなあ。


          ◇


 ――――――――――さらに五日後、王宮にて。ソーシャ・ルーニー男爵令嬢視点。


 王宮からお召しの要請がありました。

 陛下自らによってコンラッド殿下に紹介されます。


「ソーシャ・ルーニー男爵令嬢だ。資料として連れてきた」

「資料って……ウィローだろう?」


 コンラッド殿下は一目でわたくしとわかったようです。

 以前とは随分外見の印象が違うと思うのですが。


「お久しぶりです。でもよくわたくしとおわかりに」

「所作とか表情が同じだからね。でも顔貌や瞳の色が違うのはどういうトリックだい? そして名前も」

「予の方から話してもいいのだが、ソーシャ嬢から話すのがドラマだろう」

「ドラマじゃなくてもいいんだけど」

「予は口を閉ざし、貝になろう」


 陛下は愉快な方ですね。

 ではわたくしの方から。


「コンラッド殿下は、ルーニー男爵家を御存じでしたか?」

「魔道卿だろう?」

「そうです」


 かつて宮廷魔導士として出色の功績を上げ、男爵に叙爵された家です。

 当代もおそらく魔力操作については世界一の優秀な魔導士なのですが……。


「わたくしの患った病気が関係しているのです」

「病気……」

「身体の魔力が滞ってしまうというものです。命の危険があり、殿下の婚約者は務まらないだろうと言われました」

「……だから僕の婚約破棄発言に乗っかり、婚約者を辞退したということだったのか?」

「はい」


 コンラッド殿下が陛下を睨んでいます。

 陛下は大きく頷いていますが、腕を交差させてバッテンのポーズですね。

 貝だから喋らない、という意味のようです。


「ただし殿下の言葉が軽いので、この際言い聞かせろ、というのは王家からの依頼でした」

「そうだったか」


 あっ、陛下がそっぽを向いてしまいました。

 口笛はお上手ではありませんね。


「いや、僕もあの時ウィローに去られて、このままではダメだと気付いたのだ」

「御立派でございます」

「君のその後の様子を知りたい」

「わたくしの病気を治すことができるのは男爵だけでした」

「……魔道卿だものな。現在の体調はどうなのだ?」

「もうすっかり快癒しております。何の問題もありません」

「よかった」


 ああ、コンラッド殿下の笑顔は変わらない。

 いえ、包み込むような空気をまとわれるようになりましたか。


「ここまでは納得した。が、ソーシャ・ルーニーと名を変えたのは?」

「男爵に気に入られまして、養女に欲しいと。でなくば病気は治さんと」

「命を盾にするのか。ひどいな。人道の欠片も感じない」


 殿下が呆れてますね。

 魔道士は我が儘な人が多いようですよ。

 でも養父は優しいです。


「家名はともかく、名まで変えたのは?」

「男爵である養父の望みだったからです」

「変人だと拘りもあるということか。姿が変わっているのは?」

「体内の魔力の流れが変わると、表現型も変わるようなんですよ」

「今のオレンジの瞳と髪も似合っているよ」

「ありがとうございます」


 コンラッド殿下は余裕が出ましたね。

 やはり四年前とは違います。


「アシュバートン侯爵家に問い合わせても、ウィロー……ソーシャのことは何も教えてくれなかったんだ。ルーニー男爵家の言うなりになっていたことを面白く思っていないからかな?」

「多分、養父が黙ってろと言ったからだと思います。でなくばアシュバートン侯爵家が金に困って娘を売ったという噂を流すと」


 殿下が険しい目付きになっていますけど、本当に養父は悪い人じゃないんですよ。

 偏屈は偏屈ですけど。


「ソーシャ。改めて願う。君は僕の婚約者になってくれるだろうか?」

「今のわたくしは男爵家の娘に過ぎません。殿下の婚約者には相応しくないですよ」

「何を言うか。アシュバートン侯爵家の娘であることには変わりない。またそのアシュバートン侯爵家を脅せるルーニー男爵家の養女であることもな」


 影響力を発揮できるということに関して問題はないと見ているようです。

 コンラッド殿下もそういう考え方ができるようになっているのですね。

 昔とは違います。

 陛下が変な踊りを踊っていますが、どうも賛成してくれているようです。


「わたくし自身は殿下の婚約者にしていただくこと、異存ありません」

「ということは、問題は義父殿か」

「はい」


 以前一度婚約破棄されている相手に再び、というのはどうでしょうか?

 確認してみたことはないですが、養父は不快に思うかもしれません。

 小首をかしげるコンラッド殿下。


「……まあ今までの話を聞く限り、義父殿はウィローとソーシャを切り離して考えたいのではないかと思える」

「そういう傾向はあるかもしれません」

「ならば自分の娘が王子の婚約者になるという状況は嬉しいんじゃないか? ウィロー時代とは違うと」


 案外殿下の言う通りかもしれません。

 養父は曲者ですからわかりませんけれど。


「何だかんだでソーシャには甘いと思うんだ」

「……ですね」

「ならば問題はない。僕の婚約者になるのは名誉なことだという雰囲気を作って、しかし家格の面で反対が出ているのだという風に持っていこう。陛下、可能ですよね?」

「ハハッ、ようやく喋れるな。男爵の方から乗り気にさせてしまう作戦か」

「義父殿もアシュバートン侯爵家の協力を得ようとすると思うんです」

「もう完全に義父扱いなのだな。ルーニー男爵家とアシュバートン侯爵家の融和も狙うということか。欲張りなことだ。誰に似たのだろう?」

「任せましたよ」


 頼もしいですねえ。

 コンラッド殿下はとても立派になられました。

 四年前とは全然違います。

 わたくし達は一二歳、まだまだこれからですのに。


 昔から活発で好奇心があって。

 コンラッド殿下は子供っぽい人だと思っていましたが、名君と称えられる陛下に似たところがありますね。

 研がれていない剣のようなものだったのだと思います。

 四年間で研鑽を積み、優れた器量の片鱗を見せてきました。


「殿下、元鞘って御存じですか?」

「元鞘?」

「元の鞘に収まる、ということです。殿下御自身を剣に見立ててください」

「……そうか、ソーシャという鞘に再び収まるということか」


 素敵な笑顔です。

 わたくしも名剣となりつつあるコンラッド殿下に寄り添う鞘でなくばなりませんね。

 わたくしにもより一層の努力が必要です。


 陛下がコホンと咳払いしました。


「二人の世界もいいけれどな。男爵の方の工作は少々時間がかかるぞ? そなたらが貴族学校に入学後、成績優秀者同士で自然に近付いた、というところから始めようではないか」

「ええ、全ては入学後ですね」

「わたくしも頑張ります」


 意欲が湧きますね。

 陛下が目配せをしてきます。

 義父となる陛下の、もう一人の義父である養父を篭絡する企み。

 何だか妙なおかしみを感じますね。


 コンラッド殿下もまたわたくしを見ています。

 優しく包容力のある眼差しです。 

 わたくしもせっかく助かった命です。

 また再び殿下の隣に立つことを許されました。

 何という喜び、精一杯尽くしますよ。

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