【ノエル編】第1章 第1節 第3話

 凪の屋敷から出て、大きく伸びをする。一度に色々な情報を詰め込みすぎて頭が少しだけ痛んだが、深呼吸をすると収まってきた。


「なんかさー本当スケール大きくなったよねー」

「異世界に来よる時点で今更くさ」

「私はもうあれよー? あまり口挟めなかったよー」

「私もばい」


 ノエルはダリアの頭をポンッと、優しく叩いた。


「ダリアは挟めなかったんじゃなくて、挟まなかったんでしょ」

「あれ? バレとった? めんどっちいけんね!」

「まったくもう」

「まずどこ行くのー?」


 旅支度を終えたのか、屋敷から出てきたスイが声をかけてきた。


「とりあえず一番近くで人間のいる街に行きたいかな」

「じゃあ竹下だね!」

「まじか」


 竹下は、ノエルがはじめて訪れた故郷以外の場所。改めて見渡してみると、この集落の周囲の地形には少しだけ見覚えがあった。かなり切り開かれているが、ここは精霊の森の近くのように見える。

 いや、むしろ精霊の森の中なのではないだろうか、と。凪の屋敷が建っている池にも、少し見覚えがある。子供の頃、アイコと秘密基地を作った湖の近くに、これほどの大きさの池があった。


「奇妙な縁だなあ」

「冒険の始まりはいつも竹下なのかもねー」


 そんなカイの言葉に苦笑しながら、ノエルは集落を出た。


 スイの案内で森を抜けると、やはり見覚えのある街道が見える。ノエルの進行方向である北側と逆、南側に歩いていけばノエルの故郷があるはずだ。もっとも、この世界には存在しない可能性もあるし、存在したとして今どうなっているかはわからないのだが。


「このペースだと到着は夜だね」


 一瞬だけ、ゲートを使うことが頭をよぎったが、すぐにカイが通れないことに気づき、このまま歩くことにした。カイはどこか人間離れしているところがあるからか、ノエルはたまに彼女が普通の人間であることを忘れてしまう。

 ただ、今のノエルには徒歩より少し速く移動する手段があった。


「ねえ、提案なんだけ――」


 ノエルの言葉を遮るように、頭上に影が差す。


「やばいよ! かくれなきゃ!」


 スイの叫びが聞こえたときには、もう既に遅かった。頭上の影が、地上に降り、ノエルたちを睨んでいる。背中に金属質な翼の生えた、人型の女性。どこか神聖な雰囲気のある青と白の襟付きシャツに身を包む彼女の手には、光の槍が握られている。

 スイに聞かなくても、彼女が何者なのかを察するには十分な情報量が目の前にあった。


「あれが、人造天使……?」

「ひえぇ! 出たぁ!」

「メカメカしいねー、あの翼の付け根、ちょっとどうなってるのかバラしてみたいかもー」

「カイっちがいっちゃん怖かね」


 凝視してくる人造天使を睨み返しながら、ノエルは剣を抜く。カイが目を輝かせながら腰の工具入れに手を伸ばしているのが見える。このままでは、本当にバラそうと飛びかかりかねない。


「何者だ? 貴様らは」


 低く重々しい女性の声が、ノエルの耳に響く。不思議な威圧感があった。


「通りすがりだよ」

「通りすがり? ほう……私は貴様に似た人物を知っているがな」

「そうなの? 私はあなたみたいな怖い顔の人知らないかも」


 すぐさま襲ってくる気配はないが、彼女の構えからはまるで隙が感じられない。アイコが使っていたような光の槍を携えてはいるが、構えてはいない。にも関わらず、いたずらに仕掛ければ刃を返されるだろうという確信がノエルにはあった。

 仲間たちも同じなのか、皆武器を手にしたまま膠着している。


「ここから先は我らがラファエル様の領地、不審な輩を通すわけにはいかない」

「観光もできないの? ケチんぼ?」


 軽口を叩きながら、額に汗が伝う。


「押し通るというのなら、我が槍が貴様を貫くぞ」

「一応問答してくれるだけさー、マシなのかもねー」

「んー……じゃあ押し通らせてもらおうかな」


 ノエルが剣を構えると、人造天使も槍を構える。両手で槍を持ち、切っ先を正確にノエルの喉元に向けて。その瞳はノエルを見据えているが、何も映っていないかのようだった。


『ノエル、ちょうどいい、新しい力を試すといいよ』

「おっけー……現実改変術式・反転!」


 ノエルが叫んだ瞬間、光の槍がノエルの喉元に迫った。

 だが、光の槍はノエルの持つ精霊の剣から出た青白い魔法陣に当たり、跳ね返る。そのまま、槍を投げた人造天使に向かっていった。

 彼女は一瞬も顔を歪ませることなく、戻ってきた槍を掴み、構え直す。


「何ー? 今の?」

「三人はとりあえず離れてて」

「任せてよかと?」

「今は見極めたいから」

「わかったばい」


 カイとスイの手を引いて離れていくダリアを見届けて、ノエルは剣の柄を握る手に力を込める。

 精霊の剣は、その内にエラートという光の精霊を宿していたことから付いた名だ。エラートが魔女の家で留守番をしている今は、エンブリオが中に入っている。その状態で最も強い効果を発揮する能力が、今ノエルが見せた青白い魔法陣。


「魔法ではないな? 今のは」

「うん、まあね」

「疑念が確信に変わったぞ……貴様、異世界のノエルだな」

「うげ、なんだか有名になっちゃったもんだなあ」


 ノエルは影の腕を今、自らが出せる限界の10本全て出現させる。うねうねと蠢く影の腕は、悪魔の使う初歩の魔法だが、この触腕の出せる数が悪魔の格を表す重要な魔法でもある。通常は二本、上級悪魔で4本から6本。ノエルの扱う触腕の数は、規格外だった。

 だが、相手も黙ってはいない。翼の付け根にあしらわれている歯車が高速回転し、彼女は大きく飛び上がった。


「空からならどうかな?」

「ならこっちも、現実改変術式・飛翔!」


 剣に青白い魔法陣が宿り、ノエルが飛び上がる。すると、ノエルの身体は人造天使と同じ高度にまで飛び、その場に対空した。

 ノエルとエンブリオの持つ世界の改変能力を剣に宿し、あらゆる魔法と連携させさまざまな能力を発揮する。一時的にではあるが、物理法則すらも改変可能な力が、ノエルの手にした新しい力だった。


「なるほど、単純な腕比べが好みか」

「そうじゃないんだけど、まあそれでいいよ、わかりやすいほうが好きだし」

「私もだ、だが! 膂力では負けん!」


 より高く飛び上がり、人造天使は滑空する要領でノエルに向かってくる。光の槍が、目の前に力強く突き出された。それを精霊の剣で受け止めながら、触腕で人造天使を掴もうとするも、10本の触腕は全てひらりひらりと躱される。

 だが、相手に追撃の暇を与えずに済んだ。剣を握る手がじんじんと痛む。確かに、言うだけのことはある膂力の強さだ。

 ノエルはすかさず炎の弾を放つが、光の槍の一閃によりかき消される。


「ふむ、厄介だな」

「涼しい顔で流しておいて何言ってるんだか」

「次はこちらから行かせてもらおうか、異世界の女神よ」

「女神じゃないけどさ……来い!」


 剣を両手で構え、敵の動きを注視する。人造天使の身体がほんの少し揺らめいた一瞬、ノエルは空を蹴り右手に跳躍。ワンテンポ遅れて飛んできた斬撃が、彼女の後ろを駆けていった。


 しかし、ノエルの身体は吹き飛ばされた。慌てて身を翻すが、左腕に強烈な痛みを感じ、顔を歪ませる。首の後ろに鳥肌が立つような心地に襲われた。


「な……?」

「良い勘をしているが惜しいな」


 見えなかった。

 敵が斬りかかろうとしてくるような一瞬の揺らぎの後、敵が何をしたのか。人造天使は、元いた場所から一歩も動いていない。ノエルはハッと息を呑んだ。


「一度目の斬撃は衝撃波……じゃあ、私の体を飛ばしたのは」


 鎌鼬に近いものではないか、とノエルは推察した。もっとも、鎌鼬であれば身体が吹き飛ぶよりもっと多くの切り傷が刻まれていただろう。

 つまり、敵が飛ばした斬撃は鎌鼬に限りなく近い突風のようなもの。ノエルは、すっかり治った左腕を一度大きく振り上げてから、また剣を両手で構え直す。


「ほう、気付いたか」

「鎌鼬を使うドラゴンと戦ったことがあるからね」

『しかし厄介だぞ、目に見えん風の攻撃は』


 うつろの声に、静かに頷く。同時に、ノエルは全ての腕から同時に炎弾を放った。4つは敵めがけ直線的に、残りは敵の周囲に。

 敵は直線で飛んできた4つを全て撃ち落とし、そのまま立ち尽くした。


「わあ、すごい度胸」


 回避行動を予測して放った8つの炎弾が、地上に降り注いでいく。ノエルは炎弾を消し、苦笑いした。


「正直舐めてた、本気出さないとね」


 ノエルは胸に手を当てる。すると、彼女の背中から青々と輝くモルフォ蝶のような羽が生えた。ノエルが手にした現実改変の力の象徴であり、そして魔法の力をより高めてくれる増幅装置のようなものである。


「綺麗なものだな」


 人造天使がぎこちない笑みを浮かべた。


「ここからが本番! 行くよ!」

「来い!」


 ノエルが空を蹴る。瞬間、敵の懐に潜り込み、一閃。縦に構えられた敵の槍を弾き、胴体を蹴る。たまらず飛び退いた敵の背後に影触腕を忍ばせるも、身を翻して躱された。敵の頭上にもう一つの影触腕。敵の足を掴もうとした次の瞬間、彼女の胸部から炎が放たれる。

 影触腕からフィードバックされる痛みと熱に耐えながら、追撃。剣から雷を放つも、敵は自らの左手に炎を放つ。爆風によりわずかに身体が逸れ、雷は線となって消えた。


「嘘でしょ、そこまでする?」

「これしきの炎で壊れる身体ではないのでな」


 体が冷たくなるような心地だった。剣を握り締め、ノエルは何度もつばを飲み込む。これまでに、相対したことのない不気味さを目の前の存在から感じ取っていた。人間とも悪魔や魔族とも、そして使徒や天使とも違う異質な存在。心があるようで、どこか欠けているような違和感に背筋が凍る。


『ノエル、あれを試さないか? 鈍っている今のお前では時間がかかりすぎる』

「合一意識領域……」

「奥の手があるのなら待っておいてやる、存分に悩むといい」


 合一意識領域。ノエルたちが100年という体感時間を過ごしていたときに、実験した新しい力。彼女の魂には、他者の魂と共有している意識領域と、個別の意識領域があることが自分を実験台にして判明した。

 今は個別の意識領域にあるノエルの魂とうつろの魂を、共有の意識領域へと移動させることで、二人は完全に合一化できるのだと。理論上は、共有の領域から魂を切り離すことで再分離も可能。とはいえ、まだ実証してはいない机上の空論。


 しかし、迷っている場合ではなかった。


「わかった、やろう」

「そうでなくてはな」

『覚えているな? 設定した合言葉を……』


 合言葉を発したとき、合一意識領域に魂を移動させる。システムを使い、設定した新しい法則だった。

 ノエルは大きく息を吸い、腕まくりをする。


「黒薔薇の童話」


 ぽつり、と雫が滴り落ちるように言うと、ノエルの目が真っ赤に染まる。青い後翅のすぐ下に、蝙蝠状の翼が逆向きに生えた。銀色の髪が伸び、短めのハイポニーテールが腰までの長さになった。

 合一が成った証である。


「ほう……気迫が変わったな」

「最初に言っておくが、私は元の私ほど優しくはないよ」

「そいつは楽しみだ」


 闇の精霊としての人格が別の魂として切り離され成長した姿、うつろ。彼女の魂と合一することにより、元の闇の精霊としての能力が覚醒するとともに、人格にも闇の精霊として本来持つはずだったほんの少しの過激さが反映される。

 まさに、ノエルが以前考えた通りだった。


「行くぞ……」


 ノエルの体が揺らめいた一瞬、彼女が消えた。否、そう錯覚するほど素早く敵の背後に回ったのだ。背後からの爆発を伴う斬撃を食らい、敵は地面へと叩きつけられる。敵がうめき声をあげるとともに、彼女を何本もの影触腕が四方八方から掴んだ。


「ぐっ……離せ!」

「聖なる混沌の雨(セイクリッド・カオス・レイン)」


 静かな言葉を発すると同時に、敵の体が光の輪により締め付けられる。脱出しようと藻掻いている敵の頭上に、巨大な隕石のような暗黒物質が大量に生成された。そのまま敵めがけ、雨の如く降り注ぐ隕石群。


「嘘だろ……舐めやがって! 畜生があああ!」


 爆音に混ざる断末魔の叫びを聞くと同時に、ノエルの背筋に悪寒が走った。


『虚無の力を使ったな……神の子よ』

「なん、だ……?」


 影も形もなくなった爆心地を見下ろしながら、背中に大量の汗をかく。突然脳に流れてきた謎の声。どこかで聞いたような、しかし全く心当たりのない声に思わず後ずさった。


『僕にも心当たりがないな……虚無の力ってなんだろうね』

「今は気にしても仕方がないかもな」

『だね、ひとまず今は元に戻る方法を試さなきゃ』


 ノエルは頭を振り、剣を自身の胸に突き立てた。魂を再び分離する方法としてノエル達が編み出したのは、システムによる解除術式を直接魂に刻み込むという荒業。そのためには、自らの胸を剣で貫くしかない。


「え、ちょ、ノエル何してんの!?」

「大丈夫だよ、カイ」


 静かに言うと、ノエルは唇を噛みながら自身の胸を貫いた。同時に、瞳が元の青色に戻り、逆に生えた蝙蝠状の翼が消え、髪も元の長さに戻る。

 剣を引き抜き、息を荒げながら地面へと降り、そのままへたり込んだ。

 ノエルは、人間としては既に死んでいる。人間は心臓を破壊されると死に、悪魔は首を切り落とされると死ぬ。だから問題ないとは理解していても、実践すると話は別だった。

 どっと押し寄せる疲れに、どうにかなりそうだった。


「ノエルー!? 大丈夫!?」

「だいじょうぶ!?」


 駆け寄ってくる二人に片手をあげて返事をし、大きく息を吐く。


「びっくりしたよー! もう! なんか姿は変わるしエグい攻撃するし自分を刺すし!」

「のえるちゃんだいじょぶ?」

「疲れた……」


 そのまま地面に体を投げ出し横になろうとするノエルの頭を、カイの手が支えた。そのままカイの膝に吸い込まれるようにして、ノエルは身を預ける。


「ありがとう、カイちゃん」

「後でルミに怒られなきゃねー」

「あはは、妬いちゃうかもね」


 未だに、寒気が止まらなかった。あのとき聞こえた謎の声が、脳にこびりついている。手のひらにびっしりと汗をかきながら、ノエルは目を閉じた。


「ごめん、おぶって運んでくれない? このまま意識失う気がする」

「おおー、流石意識を失いがちなノエルだー」

「茶化さないでよ、もう……おやすみ」

「のえるちゃん、おつかれさま!」


 無邪気なスイの声に思わず笑みがこぼれ、そのまま、本当に意識を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る