真宏くんのちょっとした悩み

北野紗織

プロローグ

 真宏は元来優しい人間であった。所謂優等生とかそういうタイプの人間ではなく、積極的に人助けをするような人間でもなかったのだが、視野が広いので周りのことをよく見て行動することができ、他者への敬意や感謝も欠くことはなかった。事実、彼は失敗こそ何度かしたものの、その評価は概ね善人ということだった。

 そんな真宏の性格が一変したのは高校に入ってすぐのことであった。人としての誠意を有していた優しい真宏はどこへやら、他人の状況を顧みることなく自分本位で振る舞うようになってしまったのだ。

 これには一応理由がある。

 主に中学の頃の話だ。この頃の真宏は小学校の頃とは比べ物にならないくらい自分を律して行動し、他人から悪く思われることのないように注意を払っていた。これは当初は、何か利益を求めて至った行動ではなかった。小学校を卒業する寸前だったか、彼は集会か何かで教師に半ばこういう“脅し”を受けたのだ。

「中学生になったら、今まで以上に周りの目線が厳しくなる」

 教師にとってはただの注意喚起の一環だったのだろう。しかし、彼はこの話を少々重く受け止めてしまった。故に、彼の中学入学以降の行動は専ら周りの目線を気にしたものとなっていた。当然、彼の精神的な負担はかなり増大した。

 尤も、彼が振舞いを改めたということは、小学校からの友人や親も含めて誰も気が付いてはいなかった。というのも、別に彼は、これを機に真面目一辺倒の人間になったというわけではなかったからだ。彼は、表面上は、小学生の時と同じようにしばしばはっちゃけた行動を取っていた。

 だが、これも彼の中ではセーフとアウトの線引きを見定めたうえでの行動であった。どこまでなら周りから非難されることもないか。彼は人知れず、こういうことをずっと考えていたのだ。

 こうした行動はしんどくなってしまえばやめてしまいそうなものであるが、彼はやめなかった。意思が強かったというよりは、そこにはある事情があった。内申点である。彼が最終的に志望校を決めたのは中3の夏に入ってからであったが、それでも特に公立高校を受験するのであれば内申点を高水準に保っておくことが必須であった。だから、彼はどんなに重荷になっても周りに目を気にして振舞い続けた。

 そしてこの内申点こそ、彼が高校入学後に態度を一変するに至った要因でもあった。

 彼の3年の時のクラスには、所謂問題児と呼ばれる存在に近いような生徒が何名かいた。問題児といっても、少し校則を破ったり、提出物を出さないといった些細なものであったが、善良な生徒でないのは確かであった。その中でも、勉強に関しては真宏と遜色ないレヴェルの者がいた。その生徒は、公立の所謂進学校と呼ばれる高校、つまり真宏の志望レヴェルと同程度に位置する高校を目指していたのだ。

 しかし、そうなるとその生徒はある問題に直面することとなる。内申点である。前述の通り公立高校、特に進学校と呼ばれる高校においては、たとえ筆記試験の点数が満点に近くても、内申点が低ければ簡単に合格が揺らいでしまうのだ。真宏は兎も角、普段から素行の悪いその生徒は、当然低い内申点を取っているため、合格は厳しい筈だ。彼はそう思っていた。

 ところが、現実は違った。いつかの学期末、生徒らが通知表を受け取る際のこと、彼はその生徒の通知表を見る機会があった。するとどうだろう、素行不良なその生徒の通知表の成績は、真宏のそれとほぼ大差なかったのだ。

 結局、その生徒はそのまま真宏の志望校と同レヴェルの公立高校に合格した。真宏も夏から志望していた公立高校に合格したのだが、それでも納得がいかなかった。

 自分はいったい何の為に己を殺してまで周りの目を気にして振る舞ってきたのか。っどうしてあんな素行不良の生徒と概ね品行方正な自分とが同等の評価なのか。理解できない。理解したくもない。

 こう考えているうちに、彼は次第に周りの目を気にして振る舞うことのみならず、他人への敬意や感謝、親切といったものまでもを憎むようになった。今までの反動であろう。

 そして、高校入学後に意を決して意識的に自分本位に振る舞うように心がけるようになったのだ。

 最初の頃は、変な奴だとか、癖の強い奴だとか、そう思われていたのだろう。だが、そういう好意的でない態度がずっと続くと、流石に周りも辟易してきたのか、次第に彼を疎むようになっていった。彼は別にそれでも構わなかった。中学時代に溜め込んだストレスを、高校の間に出し切ることが目的であったので、それこそ中学時代とは対照的に、周りにどう思われてもよかったのだ。

 その後も彼の自分本位の態度は増すまず増長し、気付けばそれは、無意識化においても取る彼の自然な行動として、すっかり定着してしまった。

 そうして自分本位の姿勢が身につくと、ついに自分の行動を制御することができなくなったため、様々なトラブルを起こすようになった。その度に教師から注意を受け、時には親にも連絡が届いて親からも叱責を受けることがあったのだが、彼は反省するつもりなど毛頭なかったのだ。彼にとって何よりも優先すべきことは己のストレスを完全に出し切ることであり、反省して行動を改めることによってまたストレスを溜め込んでしまっては意味がないのだ。

 彼の自分本位な態度はなおも続いた。しかし、ある大きな失態を契機として、流石の彼も行動を改める必要性を少しばかり実感したのだった。

 彼は、行動の改善と自分の欲求の実現という相反するものの対立に悩まされることとなったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

真宏くんのちょっとした悩み 北野紗織 @Saori1206

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る