第8話 記憶の奥底で(後編)

「どういうことだ?」

マツバの声が、重い鉛のように部屋に沈む。その声の裏には、既に答えを知っているような諦めが潜んでいた。


サカキは深く息を吸った。真実を口にする恐れと、それでも伝えなければならないという使命感が、胸の中で激しくぶつかり合う。ゆっくりと、震える声で説明を始めた。

「地球側は、Re:アース計画の歴史を改竄しようとしているんです。でも、それは表面的な記録の書き換えじゃない」


キーボードに触れる指先が、かすかに震えている。新しい画面を開きながら、サカキは自分の心の動揺を必死に抑え込んだ。

「量子演算装置に仕込まれたプログラムは、私の設計した環境データ処理システムと...酷似しています」


アヤメの瞳に、不安の色が深く染み込んでいく。彼女の心は、この新世界で見出した希望と、今明らかになりつつある真実の間で引き裂かれていた。

「それが、どういう意味を...」


「環境データの"解釈"を、少しずつ変えようとしているんです」

サカキの説明に、全員の息が止まる。サカキ自身、自分の言葉の重みに押しつぶされそうになりながら、続けた。

「データそのものは変えない。でも、その意味する所を...歴史的に異なる文脈に置き換えようとしている」


カエデは唇を強く噛んだ。その仕草には、これまで信じてきた全てが崩れ去るかもしれないという恐怖が現れていた。

「つまり、Re:アース計画の正当性を...過去に遡って否定しようというわけね」


重苦しい沈黙が落ちる中、マツバの心の中では長年封印してきた記憶が、堰を切ったように溢れ出していた。

「日向博士は...」

その言葉を発する瞬間、彼の声は普段の強さを失っていた。

「計画の矛盾に気付いていた」


「マツバさん...?」

カエデの声が震える。彼女の中で、尊敬する上司への信頼と、今明かされようとしている真実への恐れが交錯していた。


マツバの目は、遠い過去を見つめているようだった。その瞳には、後悔と決意が複雑に混ざり合っている。

「博士は、最後の研究記録で書いていた。人類は逃げ出すべきではない。向き合うべきだと」


サカキの心臓が高鳴った。サカキの中のシステムエンジニアとしての直感が、そこに重大な真実が隠されていることを告げていた。

「その記録は、どこに...?」


「消した」

マツバの声は氷のように冷たかったが、その奥には消しきれない痛みが潜んでいた。

「計画を守るために」


その告白が、部屋の空気を凍らせた。全員の心に、言いようのない重みが のしかかる。


しかし、その時。


「でも」

アヤメの声が、凍りついた空気を温かく溶かすように響いた。彼女の目には、純粋な希望の光が宿っていた。

「私たちには、今ここにある世界があります。それは、誰にも否定できない事実です」


カエデの唇が、小さな微笑みをたたえた。その表情には、若いアヤメの言葉に救われたような安堵が浮かんでいた。

「そうね。過去がどうであれ...」


「いいえ」

サカキが立ち上がる。その動作には、もはや迷いはなかった。

「過去と向き合わなければ、この世界の未来も見えてこない」


マツバは長い間、サカキを見つめていた。その眼差しには、かつての日向博士の影を見るような、複雑な感情が込められていた。

「君に...任せても良いだろうか」


サカキは強く頷いた。その瞳には、真実を追い求めるシステムエンジニアとしての覚悟と、新しい世界を守りたいという純粋な想いが輝いていた。

「日向博士の真意を、私が見つけ出します」


天井の地球が、静かに輝きを増したように見えた。その青い光は、まるで遠い過去からの真実への道標のように、オペレーションルームを優しく照らしていた。


サカキの心の中で、確かな決意が形を成していく。この世界の矛盾と向き合い、それでもなお前に進むための答えが、必ずそこにあるはずだと。

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