第4話 深層の歪み

「異常です!セクター7のメモリ消費が急激に上昇しています!」


自分の声が、やけに掠れて聞こえた。サカキの指先が、わずかに震えている。Re.アースに転送されてまだ3日。システムの全容さえ把握しきれていない段階での緊急事態に、焦りが込み上げてくる。


オペレーションルームの巨大ドーム天井からは、青く輝く地球が見下ろしていた。まるで故郷が自分を監視しているような錯覚に襲われる。360度を取り囲むホログラムスクリーンに映る警告の赤い光が、サカキの焦燥感を否応なしに煽っていた。


「どうやら、地球側からの未承認アクセスね」


カエデの声は冷静を装っているが、その指先の動きには普段にない切迫感があった。彼女の専用端末に映る環境データの異常値の数々が、事態の深刻さを物語っている。


「レベル4の侵入...チッ、奴らの技術力が上がっているな」


ツバキの苛立ちを帯びた呟きに、サカキは背筋が凍る思いがした。量子計算の権威でさえ動揺を隠せないほどの事態―――事の重大さを、改めて認識させられる。


「マツバさん!文化セクターにも影響が!私の...私の作品が、歪んでいきます!」


アヤメの声が震えている。普段の明るさは消え失せ、代わりに生々しい恐怖が滲んでいた。彼女の叫びに、サカキの胸が締め付けられる。たった3日で芽生え始めていた安堵感が、脆くも崩れ去ろうとしていた。


「全セクターにセキュリティプロトコルレベル・マックスに展開」


マツバの低く重い声が、緊張感に満ちた空間に響く。「サカキ、メモリ領域の緊急隔離を頼む。君の腕の見せ所だ」


プレッシャーが、さらに強まる。サカキの額に冷や汗が伝う。古き良き機械式キーボードの感触が、やけにリアルに感じられた。それは、この世界の全てが「本物」であることの証だった。決して、単なるシミュレーションではないのだ。


「クラスター単位での分離を...実行します」


その時、サカキの目に見覚えのあるコードが飛び込んできた。瞬間、血の気が引いていくのを感じる。画面に映し出されたそれは、間違いなく自分が書いたものだった。息が、止まりそうになる。


「待って...これは...」


声が、か細く震えている。カエデが、鋭く視線を向けてきた。


「どうしたの、サカキさん?」

その声には、僅かな疑念が混じっていた。サカキの心臓が、早鐘を打つ。


「このコードの一部...私が以前、地球で手がけていたプロジェクトに...似ています」

自分の言葉が、まるで他人事のように聞こえた。「でも、あれは未完成のままだったはず...」


部屋の空気が、一瞬で凍りついた。


「なに!?」

ツバキの声が、鋭利な刃物のように空気を切り裂く。「詳しく説明しろ。今すぐに」


サカキは喉が渇くのを感じた。「3年前、環境データ処理の効率化を目指して開発していたシステムです。だけど、会社の方針で途中で中止になって...」


マツバが、ゆっくりとサカキの方を向いた。その眼差しには、これまでにない厳しさが宿っている。

「最悪の事態だ。内部の技術が、攻撃の手段として使われているということか」


アヤメが小さく息を飲む音が聞こえた。部屋の空気が、さらに重くなる。


サカキの胸の内で、罪悪感と焦燥が渦を巻く。自分の研究が、この新世界を脅かす凶器となっている―――その現実に、吐き気すら覚えた。


「私のせいで...」

絞り出すような声で、サカキは呟いた。


「違う」


カエデの声が、凍りついた空気を切り裂いた。彼女は、まっすぐにサカキの目を見つめている。

「あなたは被害者よ。そして...」

彼女は一瞬だけ目を閉じ、強い決意を込めて続けた。

「今、この危機を解決できる唯一の人かもしれない」


その言葉に、サカキの中で何かが変わった。そうだ。逃げるわけにはいかない。これは、贖罪の機会なのかもしれない。


モニタリング画面には、まだ赤い警告が点滅し続けている。サカキは、キーボードに手を伸ばした。指の震えは、もう無かった。

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