第3話 空中迷宮 

 エリオットがアメリアから受け取った本に触れた瞬間、眩い光が視界を埋め尽くし、次の瞬間には冷たい風が彼の体を包んでいた。


 「うわっ!?」


 エリオットは反射的に目を開け、身を起こした。その目に映ったのは、見慣れない広大な空間──まるで宙に浮かんでいるかのような巨大な迷宮だった。通路が何層にも重なり、足元は見えないほどの高さにある。下界には厚い雲が広がり、足を踏み外せば一瞬で落下してしまいそうな恐怖感を感じる。


 「ここ……どこだよ……!?」


 見慣れない異世界の景色に圧倒され、エリオットは混乱しながらもなんとか状況を整理しようとした。目の前には迷路のような通路が広がり、遠くに人影が動いているのが見える。その姿を見て、エリオットは思わず声をかけようとしたが、何か場違いに感じて足を止めた。


 「どうしてこんなところに飛ばされたんだ……」


 エリオットが困惑していると、背後から声がした。


 「君も『役目』を持つ者かい?」


 振り返ると、そこには青白い服を着た少女が立っていた。彼女の年齢はエリオットと同じくらいだが、冷静な瞳で彼をじっと見つめている。その眼差しは、まるで彼が何者なのか見透かしているようだった。


 「あ、えっと……『役目』って?」


 エリオットが尋ねると、少女は一瞬視線をそらし、微かに息を漏らした。その仕草に、エリオットは彼女がどこか思い詰めたような雰囲気をまとっていることに気づいた。


 「ここに来る人は皆、役目を果たすために迷宮に入るのよ。この空中迷宮は、私たちの役目を果たす試練の場所なんだから」と彼女は答えたが、その声にはどこか覚悟と疲れが入り混じっていた。


 エリオットはその言葉に驚きつつも、何かを抱え込んでいるような少女の表情に少し引っかかりを感じた。彼女の澄んだ瞳の奥には、長い年月の重さや、逃げられない宿命を背負っているかのような影が浮かんでいたのだ。


 「君も、何かの目的があるからここにいるはずよ」少女がそう言って、エリオットに不思議な紙片を手渡した。


 エリオットが紙片を手に取りながら少女を見ると、その指がわずかに震えていることに気がついた。それは一瞬のことだったが、少女がこの場所に来てから抱えてきた苦悩の一部が見えた気がした。彼女の冷静な表情の裏にある感情を感じ取ったエリオットは、思わず問いかけた。


 「君は……君の役目って、何なの?」


 その問いに、少女は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに柔らかく微笑んだ。「私の役目は、この迷宮で出会う人たちに『次の道』を示すこと。それが、ここにいる限り私に課せられた役目なのよ」


 少女はそう答えたが、その表情にはほんの少しだけ悲しげな影が差していた。彼女の役目はただ他者を導くことだけであり、自分自身の自由や選択はないのかもしれない。エリオットはその言葉に、彼女がこの迷宮で果たし続けてきた苦労と孤独を感じ取った。


 「君は……本当にそれでいいの?その役目だけをずっと果たしているなんて、何か違うように思えるけど」


 エリオットの言葉に、少女は少し驚いたように見えたが、すぐにその顔に淡い微笑みを浮かべた。「……ふふ、そんなことを言われたのは初めてね。でも、これが私の役目だから。私には、これ以外の道はないのよ」


 少女は微笑みながらも、どこか諦めのようなものが漂っていた。それは、何度も同じ言葉を自分に言い聞かせ、今やそれが自分のすべてだと信じ込もうとした人のようだった。彼女は一瞬エリオットから視線を外し、遠くの空を見つめると、そっと口を開いた。


 「私も、かつては普通の暮らしをしていたの。でも、ある日突然この迷宮に呼ばれて、役目を果たすようになった。それから、どれだけの時間が過ぎたのかもわからない……」


 その言葉にエリオットは少し胸が詰まる思いがした。彼女もまた、無理やり異世界に引き込まれ、そして「役目」に囚われた存在なのだ。彼女の笑顔には、何かを押し殺してきた長い年月の重さが垣間見え、エリオットは彼女が自分とは違う重い運命を背負っていることを理解した。


 「君が求める答えは、この迷宮のどこかにあるかもしれない。だから、迷わず進むといいわ」


 少女が柔らかく促し、エリオットに再び紙片を差し出す。その紙片には、「次の役目」と書かれており、通路の先に進むように指示が書かれていた。


 エリオットは紙片を手にして、彼女に向かって小さくうなずいた。その時、彼はただの見知らぬ者に言う以上の言葉を感じていた。「ありがとう……君も、いつか自分の役目から解放されるといいね」


 少女はその言葉に少し驚き、再び微笑んだ。「……そうね。でも、それはきっと夢みたいな話。私にできることは、この迷宮に来た人を導くことだけ。だけど……ありがとう」


 彼女は静かに微笑んでエリオットを見送り、その姿が通路の奥に消えるまで見届けた。

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