第2話 book

 エリオットが不思議な本屋の扉を開けた瞬間、鼻を突くような香りが漂ってきた。それは甘く、どこか妖しげで、普通の本屋とは全く違う雰囲気だ。埃っぽい店内には、古い書物が山積みになっていて、薄暗い空間にランプの光がちらちらと揺れていた。


 「こんな怪しげな店、本当に大丈夫か……?」


 エリオットが少し後悔しながらも引き返そうとしたその時、突然、背後から妖艶な声が響いた。


 「あらぁ、若いお客さんなんて珍しいわねぇ。いらっしゃいませぇ~」


 振り向くと、そこには長い黒髪を流し、ボディラインのはっきりしたローブを身にまとった女性が立っていた。彼女は艶やかに微笑みながら、まるで猫が獲物を見つけたような眼差しでエリオットを見つめている。


 「えっ、え、あの、その、僕は別に何も…」と、エリオットは思わず視線を泳がせた。彼女の胸元からちらりと覗く肌が目に入ってしまい、焦ってしまう。


 「ふふ、そんなに慌てないで。私の名前はアメリア。この店の、まぁ店主みたいなものよ」と彼女は艶やかな声で囁き、エリオットの顔をじっと見つめている。


 「ア、アメリアさん……?」エリオットは困惑しつつも、彼女の視線に飲み込まれそうになるのを必死で耐えていた。


 アメリアはさらに距離を詰め、エリオットの顔のすぐ近くで囁いた。「あなた、ちょっと変わった雰囲気があるわねぇ。何か秘密を抱えているんじゃないかしら?」


 「ひ、秘密なんて、何もないですけど!」とエリオットは顔を真っ赤にしながら答えたが、アメリアの目には何か含みのある笑みが浮かんでいる。


 「ほんとぉ? じゃあ、これに触ってみて?」


 アメリアはそう言うと、手にしていた一冊の古びた本をエリオットに差し出した。表紙には、どこか妖しい光を放つ紋章が描かれており、「All in One」とタイトルが記されている。


 「え、ちょっと待ってください、これ明らかに怪しい本ですよね!?」


 「ふふ、いいから触ってみて。大丈夫、何も怖くないわよ……きっと、あなたにピッタリな本だと思うの」


 アメリアはまるでエリオットが断るのを分かっているかのように微笑み、さらにそっと彼の手に自分の手を重ねてきた。彼女の手は柔らかく温かく、そしてほんのり甘い香りが漂っていた。


 「あの、アメリアさん……僕、普通の高校生なんで、こういうのに慣れてなくて……」


 「ふふ、大丈夫よ。あなたはとても特別な人みたいだから、少しくらい運命に触れてもいいんじゃないかしら?」


 エリオットは目をパチクリさせながら、「運命って……僕にそんなものあるわけないし」と心の中で思ったが、アメリアの期待に満ちた瞳に押されるように、恐る恐るその本に手を触れた。


 すると──


 「うわっ!?」


 突然、本から眩しい光が溢れ出し、エリオットは慌てて手を引っ込めようとしたが、まるで本に引き寄せられるようにその場に固定されたまま動けなくなった。そして、視界がぐにゃりと歪み、気づけば薄暗い空間に立っていた。


 「エリオット……お前には役目がある」


 またしても耳元で囁く声が響く。エリオットは混乱しながらも、「いや、どうして僕が役目なんて……!」と叫んだが、誰も答えない。ただ、胸の奥から何かが湧き上がる感覚がして、心臓がドキドキと早鐘を打つ。


 「エリオットくん……こっちを見て」


 不意に背後から聞き覚えのある声がして振り返ると、そこにはさっきのアメリアがいた。だが彼女は、なぜか光に包まれてふわりと宙に浮かんでいる。


 「え、なにこれ、僕どうなっちゃってるの!?」


 アメリアは楽しげに笑い、「これがあなたの『役目』の一部よ。でも、全部を教えるのはまだ早いわねぇ」と、エリオットの困惑を楽しむかのように微笑んだ。


 「え、いやちょっと、そんな簡単に役目とか渡されても困るんですけど! もっと普通に生きたいんですけど!?」


 アメリアはふふふと妖艶に笑いながら、「それはどうかしらねぇ。特別な運命を持ってる人は、普通になんて生きられないのよ」とウインクしてみせた。そして、次の瞬間には彼の胸に光が入り込み、エリオットは再び本屋の中へと戻ってきた。


 「……なんだったんだ、今のは……」


 呆然としながらも、彼は胸に残る奇妙な感覚を感じ取っていた。アメリアは彼の様子を楽しむように見つめ、「ふふ、これからあなたの物語が始まるのよ。楽しみにしているわ」と、妖艶な笑みを浮かべている。


 「いや、楽しむのは僕のほうですよ! しかも勝手に物語が始まってるし……」


 エリオットはそう心の中でぼやきながらも、アメリアに何か言い返そうとしたが、気がつくと彼女の姿は消えていた。再び静まり返った本屋の中、エリオットは自分に何が起きたのか分からぬまま、一人その場に立ち尽くしていた。


 こうしてエリオットは「役目」を与えられることになり、彼の平凡だった日常が一変することになるのだった──。

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