第15話 事故星男(その1)

 私は自分に事故星が付いていることを知り、一時は麻美さんを事故に巻き込まないために麻美さんと別れようかと思ったが、麻美さんと別れるのは死ぬより辛いことだと思った。


 そこで私は、ネットで買った四柱推命の本に書いてあった、「事故星がはがれ落ちる方法」を取ることにした。

 

 その方法とは・・・

『家庭を大事にして、地域に根差した仕事をして、地域の人たちから感謝されれば、事故星は少しずつはがれ落ちていき、その内になくなってしまう』

 というものであった。

 

 このまま私が新聞社に勤務していれば、私はいやでも方々ほうぼう飛び回って、私に付いている事故星が事故を呼び、罪のない人を巻き込んでしまうと思った。


 最善の方法は、若松に帰って写真館を継ぐことだった。

 おじいちゃんは九十歳を超し、今年中に有料老人ホームに入ることになっていた。

 六十過ぎの親父は糖尿病が進み、この前麻美さんを若松に連れて行った時に、私に若松に帰って来てくれるように依頼があった。


 私の実家の小さな写真館は、その町に溶け込み、その地域になくてはならないものになっていた。赤ちゃんのお宮参りから始まって、七五三、小学校入学、卒業・・・成人式の写真、結婚写真と、事あるごとに写真撮影を頼んでくる家がいくつもある。

 もちろん、幼稚園や小学校の学校単位での卒業アルバム等の撮影、数えたらきりがないくらい写真撮影のチャンスはある。

 

 地域に根差して、地域の人から喜ばれ、これから作る麻美さんとの家庭を大切にすれば、私に付いている事故星も少しずつはがれ落ちていくはずである。

 

 麻美さんに事情を話し、若松に付いて来てくれるかと聞くと、

「あなたが行くところなら、どこにでも行く」

 と言ってくれた。

 

 私は、それまでお世話になった「福岡毎日日新聞」に辞表を出した。

 西田君は、

「やっぱり、写真館を継ぐとね」

 と言った。私が、

「私が落ち着いたら、遊びに来てね」

 と言うと、

「絶対に行く」

 と言ってくれた。


 写真館には、代々の店長が自慢にしている写真が店の奥に飾ってあるものである。

私のおじいちゃんの自慢の写真は、昭和四十年代のカラーのネガフィルムよりもポジフィルムの方が発色が良かった時代のポジ反転のカラー写真だった。

 それは、優しい眼をした誠実そうな青年と「北川景子」と「広瀬すず」を足して二で割ったような美人(どんな顔だ?)の若い二人が並んで立っている写真だった。

 おじいちゃんは、昔、撮影年月日が昭和四十六年二月二十日になっているその写真を私に見せて、写真に写っている二人のことを私に話したことがあった。


 おじいちゃんが語った話は、次のようなものだった・・・

「このお坊ちゃんは、「おえべっさん」でのお宮参りから、七五三、成人式までウチの写真館で写真を撮って上げたお坊ちゃんだ。若松で一番大きな工場の工場長をされて、その後、東京に出て行って、日立の社長になられた方のご長男さんやった。

 それがふらっと彼女と一緒に店に入ってこられて、『写真を撮ってください』と言ったので、この写真を撮って上げた。このお坊ちゃんは、撮夫の若松東高の先輩で、兄弟がみんな東大にいった、頭のよかお坊ちゃんじゃった。

 お坊ちゃんは、この彼女とは一緒になれんかったけど、お坊ちゃん、今頃どこで、どげんしておられるかのー」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る