第23話 経営者も楽じゃない!

 旅館の本営業に向けて、また大きく動き出した。



 まず、旅館建設の功労者たちが実際に利用してみての感想、改善点を集めた。


「もっとデカい浴場があったら、大人数でワイワイしながら入浴できるだろうな」

「ルームサービスでビールを頼んだんだが、来るのが遅かったな。スタッフは、もう少し数がいたほうがいいんじゃねぇのか?」

「壺湯の温度が高いような気がしました。ちょっとアチチが過ぎましたねぇ……」

「客室と温泉エリアの境目の柱が、さっそく湿気で傷んできたぜ」

「巨人族用の浴衣と、温泉があったら、なお良かったッス」

「中抜けのシフトがつらいです……」

「今度は、子どもを連れてきたいから、幼児用の浴衣があるといいわね」



 有用な意見が多数寄せられた。本営業に向けて、改善できる点は改善していきたいところ。


 だが一方で、過労には気を付けなければならない。頑張り過ぎて、アナスタシアやガランド、ハインケル公やバームたちドワーフ族とスタッフのみんなに迷惑をかけるようなことがあってはならない。


 書類とにらめっこしながら、今日も旅館経営の云々で頭を抱えている。




 ここは、旅館の最上階に構えられた支配人室。


 小さい窓には、ドラマの刑事が覗いていそうなブラインドが付いていて、床は、フローリング風。部屋の中央に来客用のソファーが置かれており、一段高くなっているところに、俺の机が構えられている。


 ここだけ現代風なのは、単に、俺の仕事の効率を上げるためである。



 コンコンと、入り口の戸を叩く音が二回あった。


「どうぞ」と扉の向こうにいるであろう人に入室の許可を出すと、扉がすっと開いた。


「あ、私だよ」

「オレも一緒だぜ」


 扉の向こうから現れたのは、アナスタシアと、オーガ族のガランドであった。ガランドのほうは、体が大きいので、入り口が手狭で、両肩を寄せながらの入室であった。


 俺は、先ほどまで目を通していた事業計画書を机の引き出しにしまって、部屋の中央の席に着いて、アナスタシアとガランドを迎えた。


「いやぁぁぁ~書類整理、疲れるわ」


 俺は両腕を伸ばした。肩こりがひどく、両肩や背中の骨がゴキッと鳴った。



「お疲れ様~いつものコーヒー牛乳、冷蔵室に入れてあるからね♪」

「いっつもいっつも、ありがとう、アナスタシア。経理の仕事、やってもらえて、ほんと助かる」

「えへへへ、褒められちゃった」


 ニコニコと、満面の笑みを浮かべたアナスタシア。彼女は、一連の計画におけるお金の管理をやってくれている。



「アリマも相当疲れてるみたいだな」


 そう言ったオーガ族のガランドは、温泉開発と旅館の建設の指揮の実務を担っている。旅館の設備に何か異常があれば、ガランドに伝えて、彼の部下のドワーフ族たちが直してくれる。



「人の上に立つ仕事って、俺、やっぱ向いてないわ……」


 旅館と温泉の建設の総指揮を執り、今後は旅館の総支配人として、スタッフを管理して、計画と事業の行く先を決定する立場となる。アナスタシアやガランド、旅館内で働くスタッフたちの生活を預かるプレッシャーは大きく、一つ一つの判断が、とても重たく感じる。


 そんな苦労を少しでも分かってくれるのは、ここにいるアナスタシアとガランドだけだ。



「オレの『設備管理部』は、ドワーフ族たちがよくやってくれてる。あいつらのお陰で、館内設備、今日も異常なしだぜ」


 手を大きく掲げたガランドは、旅館の設備の管理や修繕を司る部署の担当でもある。


「ドワーフ族の人たちを雇ったのは、正解だった?」

「ああ。大正解だろうよ!あいつらのお陰で、こんな立派な【城】が建ったんだからな!」


 ガランドは、背後の壁を手で示した。そこには、小さいながら、俺の銅像が立っている。1/3スケールの銅像だ。これも、ドワーフ族たちの鍛冶技術によって作られた。


「で、アナスタシアとガランドは、なんの用事で来たの?」



 改めて、アナスタシアのエメラルドグリーンの瞳と、ガランドの青色の瞳と視線を交える。


……また、源泉を引く坑道が崩れたのかな。まさか、労働環境の改善を求めるスタッフのストライキ計画の話とか……?新たな問題ではないことを祈る。



「これ、見て」

「おお!広告のポスターか!いつの間に、完成したんだ!?」

「先週に完成して、王国本土のほうで掲載の許可が下りたの。もう、冒険者ギルドとか、酒場で、私たちのポスターが見られるようになってるかもね」



 アナスタシアがテーブルの真ん中にひらりと置いたのは、浴衣姿の「女将おかみ」アナスタシアと、筋骨隆々のガランドをモデルとする宣伝ポスターだった。



――大きなギルア文字と小さい日本語の文字で『異世界旅館へおこしやす』と書かれている。


 この宣伝文句は、俺が考えた。


 この島全体が、まるで異世界であるかのような、【非日常】の安らぎを与える場であることを暗に示しているのである。


「これを伝えに来てくれたのか。うれしいニュースだな」

「……ううん、本来の目的は、この広告じゃないの」



 胸の前でガッツポーズした俺に、アナスタシアは首を横に振った。その美しい顔とエメラルドグリーンの瞳には落ち着きがなく、どこか曇っているような印象だ。



 彼女の代わりに、ガランドがポスターを指さしながら、説明してくれた。


「このプラン、あるだろ?団体用の、旅館一日貸し切りプラン」

「ああ」



 ガランドの太い指は、ポスターの隅に書かれている『貸し切りプラン』の案内を指していた。


「ポスターの掲載の初日に、このプランの申し込みがあったんだよ」

「ほ、本当に!?」



 俺は、心が浮き立って、思わずソファーから飛ぶように立ち上がってしまった。



 主に貴族や富裕層をターゲットとした、旅館の貸し切りプランは、費用、約800万ガリア。申し込みがあればラッキーだなぁ程度に考えて料金設定をしていたから、まさか初日から申し込みがあるとは……



 ハインケル公のような裕福な貴族が、温泉の魅力に惹かれて申し込んだのだろうか。


「すぐに、申し込んでくださったお客様のお迎えの準備をしよう!」

「まてまて、最後まで聞けよ」


 心が高ぶった俺を、ガランドの声が静止した。


 彼に宥められて、さすがに落ち着いた俺は、再び、アナスタシアとガランドの対面のソファーに座った。


「問題は、申し込んだ団体にある」

「ま、まさか、王国の国王陛下とか、連合王国の女王とかの……スーパーVIP?」



 もしも、王族なんかが申し込んだとすれば、それ相応の準備が必要だ。



――膨らんだ俺の期待は、ガランドの低い声によって、打ち砕かれた。




「旅館一日貸し切りプランに申し込んだのは――魔王だ」



 俺と、憎き魔王は、思わぬ形で再会を果たすこととなった。

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