第14話 平原を駆ける
馬車には、売り物の油が積み込まれていて、鼻をつんと突くにおいで満ちていた。
ちょうど森の近くの村に行く商人がいると、冒険者ギルドから紹介されたので、荷台に乗せてもらっているのだ。相乗りみたいのノリだ。
馬車は、青い空が覆い被さった整備に乏しい平原の道を駆け抜ける。
「アナスタシアには、
「なに、オカミさんって?
ガタガタと揺れる馬車で、若干気分を悪くしていたので、アナスタシアと話を交わして、気分を転換する。
将来、俺は旅館の支配人となって、女将さんは、アナスタシア。そんな理想を語りたい。
「旅館の女性の主人のことを、俺の故郷ではそうやって呼んでるんだよ。人を巻き込んだり、話をしたりするのが得意で、かわいくて、博学なアナスタシアがぴったりだと思う」
「そうかなぁ……私、エルフの中では若いほうだから、人の上に立つ仕事が務まるか、不安だよ」
「大丈夫。坑道の監督の仕事、完璧だったし」
「完璧は言い過ぎだって。私だって、失敗することはあるよ?」
なんとか、アナスタシアに女将を務めてもらいたいと、必死のアピール。彼女であれば、温泉と旅館の運営で、最高の結果を導くだろうと、頑張って説得する。
俺は、彼女ほど美しい女性を知らない。彼女ほど、女将に相応しい人は居ないと思う。
「失敗したときも、アナスタシアは冷静な対処ができるって、近くで見てて思うんだよ!」
もしも、彼女のような女将さんが旅館で接客していたら?
もしも、彼女が旅館の広告塔としての役割を請け負ってくれれば?
アナスタシアという「推し」を求めて、お客さんが大挙してやって来ることが容易に想像できる。そういった狙いあって、アナスタシアを女将に推薦するのである。
「まあまあ、明るい未来を想像するのも楽しいけど、今は、目の前のことを淡々とこなそうよ。ある程度終わったら、考えておいてあげる」
「ありがとう、アナスタシア」
「一考に値する」と言ってくれただけで、俺は救われた気持ちだった。あとは、結果で示すだけである。計画は順調で、明るい妄想は、十二分と広がっている。
「村まで、あと一時間ぐらいだっぺ」
と、前方の馬の上から、商人の声が飛んできた。どうやら、商人が目指す村が近いようだ。
つまり、ドワーフ族が住まう森も、近くなってきたということ。目的地は、刻一刻と近づいている。
「ありがとうございます!これからも安全運転、よろしくお願いいたします!」
「もちろんだっぺ!商人として、そこは心得てるっぺ!」
商人のおじいさんは、白く長い髭を風にたなびかせ、手綱を強く引いた。
ちょうど昼下がりで、昼寝には心地よい陽気だった。平原の緑に、黄色い花と白い蝶が映える。
ちょっと横を見てみると、アナスタシアが、荷台の床で体を横にしていた。風と馬車が走る音に紛れて、かすかな「すー、すー」という寝息が聞こえてくる。
彼女は、ハインケル公から送られてくる資金の管理や、島における村民との調整など、幅広い仕事を請け負ってくれている。そのため、非常にお疲れだ。
巨大な温泉旅館を経営するにあたっては、部下たちの心労を察する力も必要だなぁと思う。実際、俺は中間管理の立場になったことはないし、会社でも特段、人の上に立つ立場ではなかったから、経験の不足は、不安材料である。
さて、俺も睡眠時間を確保しておくかなと、荷台の木の壁に寄り掛かったと同時、
――馬車を大きな衝撃が襲った。
「っ――!?」
鼓膜を破らんばかりのドカンという轟音とともに、体が宙に浮きあがった。――これ、死ぬかもしれない――という覚悟を胸に、アナスタシアに腕を伸ばした。
「アナスタシアッ!!」
「わわわ!?」
うっすらとエメラルドグリーンの瞳を開けたアナスタシアに、俺の手が届くことは叶わず、馬車の荷台は、俺たちを乗せたまま横転した。
木箱がゴロゴロと転がり、油の入っていた壺は、ほぼすべてが割れてしまった。
「いてて……アナスタシア!?」
くらくらとする意識が覚めたころには、俺は、草の上に転がっていた。
真っ先に、良き相棒の名を叫ぶ。
「うう……私は、大丈夫だよ……」
頭のてっぺんを手でさすりながら、アナスタシアは立ち上がった。
――彼女の頭には、壺の破片が突き刺さっていて、全身が油でべとべとになっていた。
「だ、大丈夫じゃないよね!?」
「んん、私は、石頭だから、平気」
「でも、たんこぶが風船みたいに膨らんで……」
「冷やしていれば、いずれ引くから、心配しないで……」
ぽろっと、壺の破片が取れたアナスタシア。出血は無いようで安心したが、頭の大きなたんこぶは、腫れあがっていた。
彼女は、「下位階位氷魔法、【フリーズ】」と呪文を唱えて、魔法の白い冷気を帯びた手のひらを、自分の頭のたんこぶに添えた。
たんこぶの腫れは、次第に小さくすぼんでいった。
「おい、無事だったっぺか!?」と、馬車を引く馬に乗っていた商人のおじいさんも、半壊した荷台の影から現れた。
馬たちも無事だったようで、何が起こったか理解できずに、油のにおい立ち込める荷台の周囲を走り回っていた。
「俺とアナスタシアは、一応大丈夫です」と、俺がおじいさんに駆け寄ったその声を上塗りにするように、奇怪な声が平原に響き渡った。
「アハハハハッ!ワタクシは魔王、ルノワールよ!!」
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