第12話 船に揺られ、語りに花を添えて

 船内の廊下には、赤い絨毯が敷かれており、天井からは金色に染まったランプが吊り下げられている。曲がり角の壁には、これまた金色の額縁に飾られた油絵が掛かっており、貴族のお屋敷がそのまま船に積み込まれているような感覚を引き起こした。


「一人の画家が土へと還り、二人の歴史学者が発見した絵が、三人の持ち主を転々としたのちに、四則を心得た世の手元にやってきた奇跡のこれは、王国で著名な【ワーテル】という画家が描いた油絵である」


 廊下を先導しながら、飾られている宝飾品や美術品の数々を解説するハインケル公。


 俺は、この世界の美術については、よくわからないので、適当に「うんうん」と首を縦に振っていた。



――ここは、「ミスターペコペコ」仕草で切り抜ける。


 まあ、隣のアナスタシアが美術について詳しくて、ハインケル公と話が合ったことが救いだった。



――この花瓶、た、高そうぅぅ。


 置かれた花瓶は、俺の上半身ほどの大きさがあって、いかにも高級そうな花の柄が、窓から差し込む陽光に照らされて、金色に輝いていた。


……というか、西洋風の、こんな豪華絢爛を好む人が、なぜ、和風の落ち着いたデザインの旅館スケッチを気に入ってくれたのか、わからない。



 突き当りの大部屋へ「入るといい」と招かれた俺とアナスタシアは「「失礼します」」と声を揃えて、部屋の中央に置かれたガラスのテーブルの席に着いた。


「アリマどの、アナスタシア嬢、どうぞ、召し上がれ。世の領内で作られた小麦を使ったケーキ、それから、連合王国産の茶葉を使った香り高い紅茶だ」



 薄いお皿の上の、イチゴの乗ったケーキ。おいしそう。


 甘いものならば、和菓子も洋菓子も好きなので、遠慮なくいただくことにする。



「温泉開発と、旅館の建設の計画は、順調かい?」


 ハインケル公は、俺とアナスタシアの対面に座って、紅茶の入ったカップを傾けた。彼の背後には、大きな虎の絵画が飾る。


「はい、おかげ様で、構想がまとまりつつあります」

「事情は、世の連絡係から、ある程度聞いてる。――ドワーフ族のところに行くらしいじゃないか」



 さっそく、旅館建設の話に持ち込まれた。ハインケル公自身、建設が始まることを、かなり楽しみにしているようだ。


――今回の遠出の目的は、ドワーフ族を旅館建設のための技術者として雇うことだ。



「アリマと一緒に、旅館の構造のお話をしていると、塩害と湿気の問題に気がついたんです」


 イチゴの甘酸っぱい果肉を噛み締める俺に代わって、アナスタシアが詳細な説明をしてくれた。


 島の地盤の調査は、資金を使って人を雇い、ガランドが行っていること、旅館の建設と運営を行ううえで、多くの技術者と労働力が必要であること、塩害と湿気に強い建材が求められること、近況の諸々……すべて余すことなく、アナスタシアは、ハインケル公に説明した。



「――なるほど。だから、王国の北の森に行って、ドワーフ族の協力を仰ぎたいということか。それから、島の調査と、島の民との調整は、順調であると……」


 ハインケル公は、自らの顎を撫でている。彼が考え事をするときのクセである。


 そして、窓の外を映していたルビーのような瞳が、スッと、俺の眼鏡越しの黒い瞳を向いた。



「――金は足りているかね、ミスターぺこぺこ?」



 その呼び方、やめろ。


「はい。不足分は、予定の通り、王立銀行から融資していただいていますので、問題ありません」

「すまないな、アリマどの。理想は、すべてが世の資金のもとで完結することであるが……いかんせん、領地での農作物の不足が深刻でな。そちらに金を回せないこと、申し訳なく思っている」



 空になったカップの取っ手を、ぎゅっと握りしめたハインケル公。


 島という隔絶されてた場所で生きる俺たちは実感できないのだが、どうやら、大陸のほうでは、天候不良による農作物の不作が続いているという。


「いえいえ。お金のほうの心配は、いまのところございませんので、ハインケル様の領民の方々の保護を優先してくださいませ」

「そうだな。しばらくは、島の開発のほうに資金を送れないかもしれない」


 ハインケル公は、それだけ俺たちと【オンセン】に対して大きな期待を抱いているということだ。


 むしろ、潤沢な資金を提供してもらっていて、頭を下げなければならないのは、俺の方だなと思って【ミスターぺこぺこ】に変身する。



 表情が曇っていたハインケル公の顔に、陽光が差した。


「今日の旅についての話に戻ろうか」と前打った彼と、改めて顔を合わせる。


「ドワーフ族について、ひとつ、世から指南しておこう」



 人さし指を立てたハインケル公。


「――彼らを金で釣ろうとしているならば、やめた方が良い」

「んん?ドワーフ族は、お給料では納得してくれないということですか?」



 フォークでイチゴを刺したアナスタシアが、先に真意へと迫った。


「その通りだ、アナスタシア嬢。彼らが求めるのは金よりも、圧倒的に【芸術性】である」



 ハインケル公は、椅子の背もたれに寄りかかり、続ける。


「どのように作るか、どのような成果を得るか、どのような知識と技術を得るか、どのような完成品を見るか……ドワーフ族は、太古の時代から【ものづくり】で生き抜いてきたため、金という報酬は二の次なのだよ」


 つまり、ドワーフ族との交渉の際には、いかに良い給料が用意されているかをアピールするよりも、完成した旅館がどのような美しさを誇るか、どのような社会的な意義を誇るかを詳細に説明したほうが良いということか。


 温泉の良さについて、口頭でどれだけ魅力的に語ることができるかも、重要なポイントになりそうだ。



 俺は、さっさとケーキを平らげて、ハインケル公の貴重なアドバイスを、仕事用に使っていたメモ帳に書き留める。



「――ミスターぺこぺこ?」

「その呼び方、やめてくださいって……」


 一通り説明してくれたハインケル公は、また唐突に俺を、例のあだ名で呼んだ。


「メモを取っているのか?」

「そうですけど……?変ですか?」

「素晴らしい心掛けであるな」

「ハインケル様がお話しくださったことを、忘れないようにするためです」

「いやあ、平民の生まれのものが、そのように丁寧に世の話を聞いてくれることに、驚かされたのだよ」



 こんな平民ですが、一応、社会人やってましたので。


 大切なことは要点にまとめてメモを取ることは、常識なのだと思っていたが、時代も価値観も世界すらも違うここで、俺の既知の常識が通用するはずがなかった。


 隣に座って静聴していたアナスタシアに「えらい、えらい」と言われて、耳たぶがカッと熱くなった。――アナスタシアに褒められると、心がウキウキする。



「君が、世の島の人で、本当によかった。君は、時代に新しい風を吹き込む人間だ」

「私も同様の意見でございます。アリマくんは、神から信託を受けた方ですよ」



 とてもとても過分なお褒めの言葉を、ハインケル公とアナスタシアの両者から授かり、また【ミスターぺこぺこ】に変身して、頭を下げた。


 まさか、たまたま見つけた源泉から温泉を作っただけで「神から信託を受けた方」とまで言われるとは思いもしなかった。



「そうであるな、アナスタシア嬢よ。あの湯の温かさは、まさに神の御手の温もりであり、自然の景色は神の見る景色であったな」

「私は、坑道の温泉にいつも入っているのですが、そちらもオススメですよ♪」

「なにっ!?そんなものもあるのか?」

「アリマくんが、最初に作った温泉なんです」

「では、今度、案内してもらおうか」

「はい、お任せください」


 温泉に関する話題に花を咲かせた、ハインケル公とアナスタシア。


 その後は、おかわりのケーキと紅茶を嗜みながら、俺の前の世界の苦労話や、やがてきたる温泉旅館の運営の夢を語り合って、優雅な船の旅を満喫した。



 空は、地平線の先まで晴れ渡っていた。

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