第5話 「鉄と石炭」

「これを、入り口まで押すんですか……?」


 俺は、魔鉄鋼まてっこうがたんまりと詰まったトロッコを目の前にして、絶句した。試しに手で軽く押してみると、びくともしない。レールの上から、1ミリたりとも動く気配を感じなかった。


 監督者であるアナスタシアは「そうだよ」と、少女然として、可愛らしく言った。



「アリマくんの仕事は、ひたすらトロッコを押して、採掘された魔鉄鋼を地上近くの保管場まで運ぶことね。保管場で全部降ろしてもらったら、帰り用のレールで、ヒューって戻ってきて、また魔鉄鋼の積み込みを受けて、それをひたすら繰り返すのね、おっけー?」

「は、はい」

「一巡目だけ、一緒に見てあげる」

「あ、ありがとうございます」



 アナスタシアは、トロッコの隣に立った。鈍重なるトロッコに手をかけた俺の肩をトントンと叩いてきた。


「ちょっと待って。はい、これを飲んで」



 唐突に手渡されたそれは、フラスコみたいな容器に入った桃色の液体だった。スパンコールが溶け込んでいるみたいに、キラキラと光り輝いている。


 こんな毒々しい色の液体を、飲めとおっしゃる?


「なんですか、これ?」

「能力向上の魔法が溶けたポーションだよ。力仕事、大変だからね、業務開始前に、みんなに配ってるの」



 ここにきて、魔法要素がお目見えだ。こんなに現実っぽい作業だが、魔法の力を借りることができる点、異世界に来たのだなぁと実感できる。



 アナスタシアの「早く飲んで」という催促を受けて、俺は、フラスコみたいな容器を傾け、液体を喉の奥へと流し込んだ。


 サラサラとした口当たりで、味は、レモンの酸味に近かった。しかし、後味として苦味が残って、お世辞にも「おいしい」とは言えない代物であった。



――その代わりに、体がふわっと、軽くなったような気がする。


「ああ、押せました!」


 その状態で、試しにトロッコを押してみたところ、レールの上をキイイと鳴きながら動いたのだ。



「ポーションって、エナジードリンクの上位互換みたいですね」

「その【えなじーどりんく】っていうのは分からないけど、効果は抜群でしょ。魔法文明の利器りきだね~」



 ゴロゴロとトロッコを両手で押しながら、隣のアナスタシアのほうを見る。彼女は、空になった容器を受け取って、ニッと笑みを浮かべた。




 ずきゅーん。


 可愛いがすぎる。



 俺は、溢れんばかりのやる気に押されて、足を踏み込み、トロッコを強く押した。




****




 魔法の効果を得てもなお、重いトロッコを押して、緩やかな勾配がある坑道をまっすぐに進み、途中ですれ違う同僚たちに「どうも」と挨拶を交わし、地上付近の保管場へ。そこで待機していた別のオーガ族たちによって魔鉄鋼を降ろしてもらって、空になったトロッコに自分が乗り込んで、滑るように坑道を駆けて戻る。


 休憩は、昼食時の30分のみ。異世界にも労働基準法……あるいは、工場法が必要だなと感じる。労働者に、十分な休息を取るの権利をっ!



 日が暮れるまで、それを何度も何度も繰り返し、酷い筋肉痛に襲われる。



 まだ午後の5時……就業まで、あと2時間あるではないか。


「おーい、アリマくん、もっと早く運べるかな~?」

「はいい!!頑張ります!!」

「ん、返事だけは満点ね」



 現場監督者であるアナスタシアに急かされながらも、重いトロッコを押して、保管庫へと鉱石を運び続ける


「この作業、魔法で自動化できないんですか?」



 鉱石の積み込み場所で、再び邂逅かいこうを果たしたアナスタシアに聞いてみた。


「魔法で運ぶってなると、膨大な魔力が必要になって、何百人の魔法使いが必要なのって話~。あと、そもそも、高度な魔法を使える人が珍しいからね、ガンバレッ」

「ああ、無情……」



 なんともファンタスティックで、なんとも現実的な話をアナスタシアにされた。



 どうやら魔法は万能ではないらしいので、黙って、トロッコを押し続ける。


 時々、ドーンという轟音が響いて坑道が揺れるのは、地下深くにて、爆裂魔法で掘削を行っているからである。



 坑道での仕事を始めて最初の一週間は、たいへん体に堪えて、寝る時に背中と腰が痛くて、ろくに眠れなかった。同僚の男とゴブリン族は「慣れる、慣れる」と言って励ましてくれた。



 時々崩落事故は起こるし、トロッコに脚を挟みそうになるし、休憩時間は短いし……



――転職したい……



 そう思うことも珍しくなかった。



 しかし、どうしてもこの仕事に留まりたい理由があるのだ。


「アリマくん、お疲れ様!はい、いつものやつね」

「おっとっと……ありがとうございます!」



 終業後、坑道の入口の崖に脚をブラブラさせながら座っていると、アナスタシアから冷たい瓶を投げられる。それを落としそうになりながら、なんとか手でキャッチした。



 彼女は、仕事終わりに、必ずコーヒー牛乳を奢ってくれる。



 彼女は、三十路に差し掛かった俺よりも若いように見えるが、実は50歳である。エルフは長寿の種族で、体の老化が人間と比較して遅いのだ。



 だから、こんなに元気なのか……



「ぷはー!やっぱり仕事終わりは、冷たいコーヒー牛乳に限るね」


 アナスタシアは、頬に泥と砂が付いたまま、太陽のように明るく温かい、満面の笑みを見せた。



――そうだ、彼女がこんなにも可愛い過ぎるから、この仕事を辞めることができないのである!


 仕事終わりに、こんな美少女エルフと隣り合って座ってコーヒー牛乳が飲めるなんて、贅沢が過ぎるではないか!?



 前の世界では、魅力的な女性に巡り会えなかった分の反動で、胸が躍った。



「アリマくん、明日は、何する予定?」



 ちなみに、明日は土曜日で、休日だ。異世界だけれど、太陽暦が採用されている。


「寝ます。とにかく寝ます。疲れちゃって、それ以外何にもできないですよ……」

「アハハ!私より年下なのに、よわよわだねぇ」

「エルフは体の老化が遅いんでしょう?俺、もう30なんすよ……人間は、体にガタが出始める歳で……肩が痛くてたまらんです」



 今日も肩のコリが酷く、頭の上に腕をグッと伸ばすと、バキッと骨が鳴った。ふとともは疲労からピクピクと痙攣するし、坑道内の天井が低い関係で、首も痛い。


 パソコンをカタカタ言わせていたほうが数百倍マシな過酷さがあった。



 監督者とはいえ、こんな華奢な少女の見た目をしたエルフに体力で負けてしまうのは、不甲斐なく情けない感じがしてしまう。彼女だって、一日中、現場を走り回っているのだが、疲れを感じさせない黄色い声が、耳にキンと響く。



「そういえば、アリマくんは、別の世界から来たって言ってたよね?そっちの世界では、どんなお仕事してたの?」

「うーん……魔法の光る板の前で、手元の板を指でカタカタ叩く仕事です」



 ここで言った『光る板』とは、パソコンのことで、『手元の板』とは、キーボードのことである。


「え、それだけ?不思議なお仕事だねぇ」

「カタカタカタカタってやって、文字を打って、書類を作るんですよ。あとは、同じ仕事の人と話し合ったり、一緒にお酒を飲んだりしてました」

「へぇ~光る板カタカタして、おしゃべりするだけでお金が貰えるって、そっちは、すごく素敵な世界だったんだね」

「ははは……確かに、素敵な世界かもしれませんね……」



 乾いた笑いが起こった。


 アナスタシアと「あっち」の世界の話をしていると、こことは別なベクトルのブラック労働の有様を思い出してしまって、気分がずーんと重くなる。まあ、体力的には、「あっち」の世界のほうが楽ではあったが。



 ふと、眼下を流れる水を見て、アナスタシアにいてみた。



「ここって、温泉が湧いてるんですか?」



 川のようにゴーっと流れる水は、白い湯気を噴き上げていて、俺の眼鏡を曇らせた。


「オンセン?なにそれ?」

「え、知りませんか?お湯に浸かって、『あー極楽極楽』ってリラックスできるやつ……」

「シャワーのこと?」

「いや、ちょっと違うんですよ……」



 アナスタシアは、少女然とした感じに首を傾げる仕草をした。そんな顔を向けられただけで、心臓の拍動がうるさく騒いだ。……かわいい。



 異世界といえば、西欧的な文化が基盤となっていることが通例。小説やアニメで、そういう描写を何度も見たことがある。


 この世界も、西欧文化を基盤としていると仮定すれば、入浴の文化が無くても、納得できる。



「――明日やること、決まりました」

「んー、なになに?」



 俺はコーヒー牛乳をグイッと飲み干して、瓶を眼下の【源泉】に掲げた。



――もしかすれば、異世界温泉ビジネスで大儲けできるのでは?


 と思いついた。



「温泉を作ります!!」

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