第2話 島の父を踏みしめる

 落ちた葉をザッザと踏みしめて、道なき山を登っていると、遠くから水の流れる音が聞こえてきた。



 草木を掻き分けて、水の音がする方向へ、緩やかな斜面を横断する。落ち葉で足元が滑りやすくなっているため、慎重に慎重を重ねて地面の土を踏み締めた。


「水……か?」



 やっと水にありつける、と思った矢先である。


 川は、確かにそこに流れていた。長年流れ続けて山の岩を削ったらしく、溝を流れるように、川が生きていた。


 しかし、その川は、白い湯気を上げていたのだ。



 周囲には大きな岩がゴロゴロと転がっていて、雰囲気は、川の湯である群馬県の尻焼温泉みたいだった。



 試しに、手で川の水に触れてみる。


「やっぱり温泉か、これ?」



 水は、人肌に温かかった。温泉にするには少し温度が低くて、ぬるぬるとした感触から、アルカリ成分が溶け込んでいること推察した。


 俺は時々、休日に日本各地の温泉に行っていた。なので、温泉の知識は、少々あった。



 今度は、空になったペットボトルにその水……というよりお湯を、入れてみた。無色透明で、少々薬のような臭いがあったが、飲めそうではある……が、もしも腹を下したら、貴重な水分が失われてしまうので、やめておいた。もっと、まともな水源を探すべきである。ちょっと冷たくて、飲むに適した水源が見つかれば万々歳。



 湯の川を離れて、また山の上のほうへと歩き始めた。


 すると、途中で湧き水を発見した。地面のくぼみの砂からブクブクと湧き出す水は無色透明で、温泉じみた温かさも臭いも無かった。


 手ですくって舐めてみると、確かに水だった。それも、キンキンに冷えている。



 それをペットボトル満杯に入れた。で、しばらく歩いて腹が減ったので、貴重な食料であるお弁当を消費してしまう。手作りの弁当なので、卵焼きの巻きが甘く、箸で摘まんだら形がボロボロと崩れた。



――これで、食料は尽きた。


 今後は、自分で食料を調達するしかない。



 少し休憩して、また歩き出した。さきほど見つけた湯の川沿いを下っていくと、再び海岸に出た。


「おーいっ!!!」



 俺は、青い海を悠々と歩む大型の木造帆船を発見した。声帯が切れそうになるぐらいに大声を上げたが、木造船までは、あまりに距離があった。


 木造船は、こちらの声に気が付くことなく、船尾を向けて、地平線の先へと小さくなっていってしまった。


「はぁ……はぁ……」


 

 声がかすれて、喉がガサガサとした。


 しかし、胸の内には、確かな安堵があった。


 人は、確かにいるのだ。


 もしかすれば、この島にも人がいるかもしれない。


 そういった希望を胸に、再び海岸を歩き始めた。




「そこのおにいさん!」




 居たあああああああああああああああああ!!!!



 海の水に膝まで浸かったおばあさんが、こちらに手を振っている。



 俺は、自分以外の人を発見したことと、おばあさんが日本語の発音をしていたことの二重に驚かされ、革靴が脱げながらも、おばあさんのもとへと駆け寄った。



「あら、見ぃひん顔やな。どこから来たんだい?」


 白髪で、猫背で腰が曲がったおばあさんだった。なぜか、関西弁。



「はぁ、はぁ……日本っていう東の端っこの国から来たんですけど……」

「んん?何処やって?」

「日本っていう、東の端っこの国から来ましたっ!!」

「日本?聞ぃたことないなぁ」


 波の音に掻き消された声をもう一度張ると、おばあさんは「聞いたことない」とハッキリと言ったのである。



 あれ、言葉が通じるのに、日本という概念が伝わらない……



――やっぱり、ここは異世界なんだ。


 通勤途中、交差点に突っ込んできたトラックに轢かれた記憶というのは、やはり正しかった。



「すみません、記憶も曖昧でして……ここは、どういった場所なのでしょうか?」



 網に魚をたんまりと捕まえて、それを地面にズルズルと引きずるおばあさん。


 砂浜には似合わない、革靴で紺色のスーツを着たこんなおじさん(もうすぐ30歳)に、おばあさんは親身になって話してくれた。


「ここは、ガストフ島っていってね、めっちゃ田舎の島やねんで。あのおっきな山と坑道以外、なんにも無いで」

「ガストフ島……聞いたことないですね」



 島の名前は、どう聞いても日本語の響きではなかった。ドイツ語とか、そのあたりの響きに似ていた。



 おばあさんは、島の中央の山を指さした。


 ふもとには、背の高い木々が生い茂っていて、所々に木造の家屋が見えるといった具合。



 木造の家屋があるということは、人が定住しているということ。


 俺は安堵に包まれて、膝から崩れ落ちた。こんな寂しい場所で、二度目の臨終を迎えるのかと覚悟していた。



 おばあさんは、付け加えて「うちの旦那は、あっちの坑道で働いていとんねん」と言った。



「あの……わたくし、食べるものと家と、それからお金に困ってまして……この島で働かせてもらうことは可能でしょうか?」


 唐突で申し訳ないのだが、ここは、おばあさんに懇願する他になかった。


 財布には、渋沢が三枚と小銭が少々入っているのだが、どうせ使えないのだろう。木造の帆船が航海しているということは、少なくとも現代ではない。パソコンもスマホも、何ならこれまで身に着けてきたマナーや常識も通じない。



 けれども、飢え死ぬのは御免である。だから、食い扶持だけでも確保するために、できる仕事を求めていた。


「んん?せやったら、うちの旦那のところ行くで」

「というと……?」

「この島は、魔法の鉱石がようさん採れんねん。ほんで、ツルハシ振るでもいいし、トロッコ押すでもすればええ」

「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」



 要は、島の坑道で肉体労働すればいいということだ。体力に自信は無かったが、文句を垂れている暇など与えられていない。今は、おばあさんに紹介された仕事にしがみついて、生き抜くことが最優先である。



 おばあさん含む、島の人たちのご厚意に甘えさせてもらうことにしよう。




 特別な能力も、神に授かった武器も魔法も無い、異世界生活が改めて始まった。



 せめて、強力な魔法の一つや二つ使えればよかったのに……



 なぜ、異世界に来てまで、お金の有る無いで悩まなければならないのか。

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