第3話 月はあなたを見ている

 海岸にておばあさんに出会った後、俺は島で唯一の村へと招かれた。


「ここ、アンタに貸してやるから、使いや」

「あ、ありがとうございます!わざわざ雨風をしのげる場所まで貸してくださって」

「ええよ、気にせんといて~」



 夕日も西に傾いた時間、俺は、村の隅の空き家をおばあさんから貸してもらった。どうやら、前の住人は、おばあさんの息子さんらしく、本土のほうに移り住んで、長く戻ってきてないらしい。


 そのため、都内のマンションの一室ぐらいありそうな平屋を貸してもらえたのであった。



 おばあさんは「ウチが夕食を持ってくるから、そこで待ってな」と言った。


 ご厚意忝かたじけないが、食べるものまで用意してもらって、胸を撫でおろした。これで、飢える心配はないだろう。



 平屋は、馬小屋みたいだった。土の地面には、干し草がパラパラと落ちている。しかし、獣臭さはなく、戸棚やクローゼットらしきものまであって、木で組まれた骨組みの上に敷かれたベットはふかふかで、寝心地がよかった。



 鞄を棚に立てかけて、ベットに飛び込むように横になって、小さい木の枠組みの窓から、夜の空に昇り始めた月を見つける。


――よかった、よくよく見慣れた月だ。どうやら、異世界であっても地球であることには変わりないらしい。



「はぁ……疲れたな……」


 今日は、異世界に招かれた記念日になるわけだが、待遇は、最悪であったように思える。唐突にトラックに命を潰されたかと思えば、世界観についての説明もなしに、こんな辺境の島に飛ばされて、散々だった。



 窓から吹き込む風が届けた、わずかな硫黄のにおいを鼻腔に感じた。


 この島は、火山島か。それならば、山頂で立ち昇る白煙にも、山を流れていた湯の川も、説明ができるというものだ。あの河は、おそらく上流で温泉が湧いて出ているのだろう。



 自宅の風呂が懐かしい。温かい湯に浸かって、のんびりしたいなぁと思った。



 早くもホームシックを患った俺を、おばあさんが小屋の外から呼んだ。



「夕飯できたよ。外出といで」

「はい!わざわざありがとうございます!」


 感謝を叫びながら、ベットから飛び起きて、歩きにくい革靴を履き直し、おばあさんのもとへ。


 どうやら、旦那さんもご一緒なようで。



「あ、こんばんわ。わたくし、アリマと申します」

「へぇ、アリマっちゅうんか。明日から俺たちの仕事、手伝ってもらうから、よろしゅうな」

「はい、こちらこそ、よろしくお願いいたします」

「さあさあ、食べや、食べや」



 おばあさんとおじいさんは、木でできた円卓を囲っている。椅子は、丸太みたいだった。ひとつ、空席があったので、俺は、そこへ「失礼します」と言って、夕食をご一緒させてもらった。


 円卓の中央には、大きな鍋があって、その中では、真っ赤なトマトでグツグツと煮込まれた魚……?のような白身が踊っていた。



「こちらは?」


 きっと、川か海で捕れた魚なのだろう。スケトウダラかな?イワナかな?アユかな?


「ヒュドラのトマト煮やで」

「え、ヒュドラ?」



 ヒュドラといえば、ギリシア神話に登場する怪物の名前である。複数の首を持つ水竜の姿で描かれることが多い、そんな怪物が、鍋の中におさまっていると。


 ここまで魔法やら怪物やらが出てこなかったから、唐突に現れた異世界要素に、困惑を隠せなかった。


 

 なるほど、そういうノリの世界なのか。ドラゴンとか、普通に空を飛んでいそうな感じだ。


「最近は、王国の港で並ぶようになったみたいねぇ。月に2,3回、本土のほうから船がくるんやけど、ヒュドラの肉も、新鮮な野菜もよく届くんねや」

「だ、だれがヒュドラを狩るんですか……?」

「そりゃ、漁師やで。何にも知らへんのやな」


 

 申し訳ないが、俺が知っている漁師は、水竜の狩猟ができるほど強くない。おじいさんに無知扱いをされてしまうが、同時に、この世界の恐ろしさを知って、身を震わせた。


 ドラゴンを平然と倒せる漁師が、この世界にはいるらしい。


 とりあえず、この驚きと困惑を、スープによって流し込む。



 おばあさんとおじいさんにならって、鍋からトマトの濃厚なスープとヒュドラの白身を手元の器に移して、スプーンでいただく。


 白身を噛むと、ホロホロと身が崩れて、トマトの酸味と混ざり合った。臭みがなくてサッパリとしていて、鶏肉に近い味と食感だった。



「おいしいですね、ヒュドラ」

「そらよかったわ。ようさん食べや」


 俺の評価に、おじいさんは「がはは」と笑った。こんなに温かい食事にありつけることは嬉しいのだが



 やっぱり、異世界は恐ろしい。

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