第8話 温泉魅力的プレゼンテーション
温泉旅館の立ち上げの夢に向け、俺は、さらなる情報収集に努めた。
主にアナスタシアとガランド、それから小屋を貸してくれた老夫婦に、この世界や、島のことについて、詳しく尋ねた。
どうやらこの火山島は、ヴァイトグロース王国という巨大な国の領土で、【ハインケル公】という貴族が治める地域に属しているらしい。ちなみに、俺が働いている坑道の管理者はガランドだが、所有権は、ハインケル公が握っているらしい。
つまり、これまで汗水垂らして採掘した魔鉄鋼や魔導石などは、すべてハインケル公の財となったのだ。
そして、この島から遠方に薄っすら見えた陸地が、どうやら王国本土であったらしい。
時代は、俺の知る史実でいう18~19世紀あたりだろうか。銀行や株式の存在が確認されて、王国本土では鉄道も発達しているらしく、産業革命や資本主義の香りがどことなく感じられる。俺が知っている異世界は、馬車で華麗に移動するイメージなのだが、この世界の場合、もう数十年とすれば、自動車が走り出しそうな雰囲気だった。
坑道に点々と吊るされていた照明用のランプは、魔法を使って発光していると、アナスタシアが教えてくれた。
それから、アナスタシアから簡単な魔法を教わった。火魔法と、水魔法。
しかし、教えてもらった呪文を「くぁwせdrftgyふじこlp」と、いくら繰り返し唱えても、火は手のひらから出ないし、水は一滴も湧かなかった。
で、肝心の【オンセン】についてだが、やはり、島の誰一人として知らなかった。
シャワーを浴びる習慣はあるそうだが、湯舟に体を浸けるという発想・文化は、無いという。
基本的なことが分かったので、あとは、これを基に【オンセン】ビジネスの地盤作りを進めるだけだ。
****
温泉も、旅館も、作っていたいとは思う。
――しかし、金が無い。
温泉開発と、旅館の建設のための初期費用を確保することが、最初の課題として立ちはだかる。
日が暮れた後の村の灯りを眺めながらベットで悩んでいると、ふと、妙案が浮かんだ。
この島を治めているのは、【ハインケル公】という貴族だと聞いた。
貴族は、お金持ちだ。
その貴族に、温泉の素晴らしさが伝われば、温泉旅館建設のための資金投資を促すことができるのではないかと、思いついたのである。
思い立ったが吉日、翌日には、ハインケル公と坑道の所有、管理関係でパイプを持つガランドに、交渉を打ち出した。「ハインケル公に、温泉の素晴らしさを伝えられないか」と。
****
数日後……
「お初にお目にかかります、東の国からやって参りました、アリマと申します。足元の悪い中、お越しいただき、誠にありがとうございます」
俺は、地面に膝を突いて、深々と頭を下げた。隣に控えるガランドと、アナスタシアも、同じ姿勢。
我々の目の前にいる、金髪で、ルビーが
ボディーガードと思しき兵士数人と、世話役の猫耳女性メイドと、頭髪が寂しいおじいさんが同伴していた。
「これはこれは、初めまして、鼻が低い眼鏡のお方よ、一つの公国を治め、二つの言語を操り、
独特な自己紹介をするハインケル公は、
ん?この人、俺のことを「鼻が低い眼鏡のお方」と呼んだか……?
――なんて失礼な。貴族は、俺みたいな平民を嘲弄することも一興だと言うつもりだろうか。
少々「鼻につく」言い方をしたハインケルだが、彼に口答えをすることは許されないだろう。俺は、坑道の労働者の端くれに過ぎない。
相手は、王国の一貴族であり、大切な交渉相手である。
今日、ガランドとアナスタシアの全面的な協力のもと、【オンセン】の魅力を伝えるべく、遠くの本国から船に揺られ、島に来ていただいたのである。
「で、アリマどのが世に見せたいと申す、【オンセン】は、どこにあるのかな?」
「私、アナスタシアがご案内いたします」
俺がハインケル公を手招こうとすると、アナスタシアが一同を先導してくれた。ハインケル公を囲うように、銀色の鎧をした兵士たちがザッザッと、砂の地面を踏み鳴らす。
島の小さな港から
歩きながら、ハインケル公は、背後を歩く俺とガランドのほうへと振り向いた。
「なあ、鼻の低い眼鏡のお方」
「わ、わたくしはアリマと申しまして……」
「はははっ、すまない、アリマどの。世をわざわざここへ呼んだ理由を、詳しく聞かせてもらおうか」
また差別的な呼び方をされたのだが、彼は、俺のたどたどしい物言いに、笑ってくれた。どうやら、ユーモアあって、こんな身分の低い男とも、対等に話をしてくれる寛容なお方らしい。
ハインケル公は、金の髪を撫でながら、俺に訊いた。
俺は、ドキドキとうるさい心臓の鼓動を抑えながら、丁寧な説明を心掛けた。
「事前に手紙でお伝えしました通り、【オンセン】文化の素晴らしさを、あなた様にお伝えしたく、お越しいただきました」
「目的は、それだけではないのだろう?率直に言ってみろ」
【オンセン】の文化の素晴らしさを伝えるというのは、あくまで建前。本来の目的があることを、ハインケル公には、既に見破られていたらしい。
――頑張れ、俺!会社で散々練習したプレゼンテーションの感覚を思い出せ!
俺は、一息の間を設けて、また丁寧に話しはじめた。
「私には、この島を、大きく美しい温泉旅館が迎える行楽地へと育てるという夢がございまして、その夢の実現のために、あなたの協力を賜りたく存じます」
「ほう……それは、また随分と大きく出たな」
ハインケル公は、顎を撫でて、説明する俺からルビーのような目を離そうとしない。彼の赤い瞳が「もっと詳しく説明しろ」と催促するように、俺の黒い瞳を貫いてくる。
「私の夢を、【異世界旅館】とでも言いましょうか。その夢が実現すれば、王国本土から多くの人を島に招き入れ、多くの情報と多くの利益が、私どもに限らず、あなた様にももたらされるでしょう」
人が集まるところに情報とお金が集まる。そんな理論を、ハインケル公に解いた。
彼は、俺の説明に、うんうんと頷きながら、終始耳を傾けた。こうやって反応を示してもらえると、プレゼンテーションがやり易いというものだ。
ハインケル公は、周囲の林の緑を
「君が想像する旅館とは……行楽地とは、一体どのようなものであるか」
例えば、鳥のさえずりやドラゴンの休息を臨みながらの岩盤浴は、至高であろう。温泉の効能と自然が織り成す景色によって、心身ともにリラックスできる。
例えば、海の幸が豊富な食事の提供は、多くの
例えば、俺が知るスーパー銭湯のような、漫画や小説などの豊富な蔵書を誇る施設があったらどうだろうか。多くの知識と人とが交わる場となって、社会的にも有意義であろう。
そんな妄想の景色を言葉にして、すべてをハインケル公に伝えた。まるで、前の世界の仕事でやっていたプレゼンテーションを、そのまま異世界人向けにしたような段取りだった。
彼は、もう一度頷いて、また顎を撫で始める。そして、その末に「面白い」と、ただ短く言った。
――果たして、彼の興味を引き、旅館設立と温泉開発のための初期投資を促すことができるだろうか……
「アリマどのの夢と、求めるところは理解した。だが、君に協力するか否かを決めるのは、実際の【オンセン】を見てからにしよう」
回答は、据え置かれた。
そうやって背筋をピンと伸ばしながら歩いていると、いよいよ、俺たちの力作の温泉が見えてきた。
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