第3話 怪異の授業

「こゆき、本当に1人で大丈夫?」

「大丈夫だから。行ってらっしゃい」


翌日。心配を露わにする母を見送り、ため息をつく。

ようやく1人になれた。

今日は火曜日。父はすでに職場に向かい、母もある程度の家事をこなし、出勤した。

家に残されたのは、死体の第一発見者として警察の事情聴取等を受け、精神的に疲弊しているだろうと心配された私だけ。

私は玄関の鍵を閉めると、リビングへと向かい、扉を開ける。


「アイスなんていつぶりだっけかー」


そこにいたのは、死んだ当時と変わらない堕落っぷりを晒す姉だった。

いつの間に着替えたのか、生前愛着していたダルダルのスウェットを纏い、ソファに腰掛ける彼女。

その手には私のために両親が買ってくれたアイス…、天下のダッツが握られていた。


「それ私のダッツ」

「カタいこと言わないでよ。私にとっては何百年ぶりのアイスなんだから」


やっぱ追い出そうかなコイツ。

私の苦言など聞かず、嬉々としてフタを開ける姉。

私もそこまで執着しているわけではないが、せめて「食べてもいい?」と声をかけて欲しかった。

ただでさえそこらの野生動物と同等だった奔放っぷりが、怪異になったことで加速している気がする。

そんなことを思いつつ、かっ、かっ、とアイスを力任せに削る姉に問いかけた。


「そもそも食事必要なの?」

「いや、摂れるってだけ。娯楽と同じ」

「……消化とかどうしてるの?」

「さあ?なんも出ないからね。体の中で完全に分解されてたりするんじゃない?」


便利だよ、と笑う姉。

幼い頃、私の方が先におねしょを卒業してわんわんと泣いていた姉に、「将来は出なくなるよ」と教えてやりたくなった。


「…んで、学校は結局休み?」

「うん。疲れてるだろうから、しばらくは休んでいいって。

…あ、でも昼前には警察署行かなきゃ。事情聴取があるし」

「ふぅん…。外に出るのか」

「で、出るけど…、だめ?」

「いや、むしろ好ましい。明るいうちに説明できる」


なにを、と問うより先。

私の口元に、姉の唾液で溶けかけたアイスが差し出された。


「怪異の世界を少し教えてやろうと思ってね」


♦︎♦︎♦︎♦︎


事情聴取はあっさりと終わった。

そもそも人間の犯行ではないと警察内で結論が出ているのだ。

私への事情聴取も形式的なものだけで、カウンセリングじみたやりとりだけで終わった。

それはいい。そもそも問題にしていない。

問題は既に、そこにはない。


「あれは見える?…ああ、薄く見える程度だったら見えない判定でいいよ。

見えるか、見えないか、言ってごらん」

「…見える」

「あれは?」

「…………見える」


いつから世は世紀末になったのだろうか。

アスファルトを舐めるように蠢くクリーチャーを指す姉に、私は露骨に顔を歪める。

街並みは変わっていない。

変わっているのは、私の見え方。

昨日までの私はずっと純度100%の人間だった。

でも、今は違う。柊木 こゆきという存在は怪異の領域につま先を突っ込んだ。

だから、怪異が見ているものが見える。見えてしまう。

霊能力というのも案外、怪異の一種なのかもしれない。

そんなことを思いつつ、私はそこかしこで佇む怪異を見て回る。


「実を言うとね。怪異は普段、人間に姿を見せないだけですぐそばにいる。

でも、怪異は大半の人間を相手にしない。

『怪異に縁を持った人間』に反応して、襲いかかるんだ。

逆説的に、そういう『怪異と縁を持った人間』には『怪異が見える』ってわけ」

「縁を持つ…っていうのは?」

「目をつけられる…って言い方が正しいかな。

生前、惚れた男に似ていただとか。

テリトリーに居ただとか。

知ってしまっただとか。

怪異はそんな結んだかどうかもわからない縁を辿って、人を殺すんだ」


だから、お姉ちゃんも殺された。

どうして縁を結んだかなんて関係ない。たったそれだけのことで姉は殺された。その事実がどうしようもなく腹立たしい。

とっくに殺された怪異の姿が頭をよぎるも、私は即座に疑念を絞り出す。


「お姉ちゃんも、人を殺したの?」

「……私が殺すのは怪異だけだよ。

人だったものを殺したことはあるけど、人を殺したことは一度もない」

「そっか」


前の私はどうだったのだろう。

姉の口ぶりからして、怪異になった私は腫れ物のような扱いを受けていた。

もしかすると、怪異諸共人を殺していたのかもしれない。


「……怪異って、なんで人を殺すの?」

「なんでと言われても、そういう存在だとしか答えられない。

人に『なんで生きてるの』なんて聞いても、返ってくる答えは人の数だけあるだろう?

怪異もそうさ。

『暇つぶし』なんて取ってつけたような理由で殺してるやつもいれば、『人間が憎くてたまらない』なんてありふれた理由で人類を根絶やしにしてやろうと画策してるやつもいる。

それだけのことだよ」

「…長い。『私が知るわけねーだろバーカ』の一言で済むじゃん」

「カリカリしてるな。カルシウム不足か?」

「どっかの誰かが私のアイス勝手に食べたからね」


ああ、そうだった。こんな人だった。

話が長い上に、無意識に相手の神経を撫で回す。

久方ぶりに感じる姉への腹立たしさに辟易していると、ふと、ある一点が目についた。


「…………なに、あれ?」


今更ながら語ると、私の住んでいる地域は、山に食い込むように座す田舎町。

警察署はそこから少し離れた繁華街にあり、間には田んぼ道があちこちに伸びている。

私たちが今立っているのは、その田んぼ道の一つ。

そこから顔を上げれば、さまざまな怪異が練り歩く様を一望できた。

だからだろうか。その中でも一際強烈な存在感を放つソレに気づくのが遅れたのは。


のっぺりとした白。一昔前の特撮にいたような、はんぺんに近い輪郭。

ゆらゆらと動くそれが、腹に座す顔でこちらをじっと見ている。

何故かはわからない。

遠目すぎて、相手の視線がどこを向いているかなんてわからないはずなのに。

ただ、「私を見ていた」という強い確信があった。


「あー…。そういえばここいらが住処だったな。随分前だから忘れてた」

「お姉ちゃん、アレ…」

「ネットサーフィンしてたなら、一度くらいは聞いたことあるだろ。

ざっくりと言えば、『ヤマノケ』ってやつだ。正確にはその一種ってとこだが」


確か、女の体に取り憑く悪霊の話だっけか。

姉を殺した怪異を特定しようと調べていた時の知識が頭をよぎる。

ヤマノケ。正しくは、山の怪。

そんなのが何故、町中で突っ立っているのか。多分、「町が山の中にある」せいだろう。

そういえば、幼い頃は何人かの女子が急に引っ越していったこともあったっけか。

多分、アイツのせいだろうな、と思いつつ、私は姉に問うた。


「あれ、私と縁ができたってことでいいの?」

「そういう認識でいい。

ただ、取り憑く気はないみたいだな。

顔がキレてる。問答無用で殺す気だ」

「……元からあんな顔じゃないの?」


ネット上で見たイラストでは、あんな感じに狂気じみた笑顔を浮かべていたが。

姉は呆れたように息を吐き、私の脇腹を肘で突いた。


「違う。『前の世界』で同種を何匹か殺したが、あんなキレ散らかした顔は初めて見た。

この数分で何したんだ、お前?」

「何もしてないよ。お姉ちゃんと話してただけ」

「だろうな」

「わかってるなら聞かないでよ」


たっ、たっ、と、並ぶ屋根を跳ねながらこちらへ向かうヤマノケが見える。

こぼれ落ちそうなくらいに目を見開き、垂れる唾液を泡立てる。

歯茎の色合いからか、少しばかり赤く染まったように見える歯を剥き出しにするソレを前に、姉は淡々と言葉を続けた。


「多分だが、『前の世界でお前に殺された縁』を感じたんだろ。

同じ怪異殺しの私から見てもかなり惨かったからな、アレは」

「えっと、どんな殺し方したの、私…?」

「言わん。自分で考えろ」


たっ。ヤマノケが高く飛び上がる。

怪異に物理法則なんてあるんだ。

放物線を描きながら落ちてくる白を前にそんなことを思っていると、姉が前に出た。


「『お前が蒔いた種だ。お前がなんとかしろ』と言いたいところだが…、チュートリアルにするにはちょっとばかり強すぎるからな。

今回だけは私がレクチャーしてやる」


飛んでくる一つ足が私へと向けられる。

私を踏みつけるか、踏み砕くか。どちらにせよ、一撃で殺そうとしていたのだろう。

姉はその足をあっさりと掴み、舗装の行き届いていない砂利道へと叩きつけた。


「ゾッ!?」

「どうした?いつもみたいに言ってみろよ。テン・ソウ・メツって」


存在した年数で強さが決まるのだろうか。

それとも、元から格付けが決まっているのだろうか。

どちらにせよ、柊木 しおんという怪異は、あのヤマノケよりも格上の存在だった。

その事実を刻みつけるように、姉のローファーがヤマノケの下腹部を踏み潰す。


「まず、『怪異の殺し方』を決める。

どこかに弱点があるだとか、どう処理すれば殺せるだとか、なんでもいい。

そいつを確実に殺せるイメージを持つんだ」


ぶちゅり。スライムを潰した時みたいな音を立てて、姉がヤマノケの目玉を踏み潰す。

「デデデデデ」と、やけに人間臭い悲鳴を上げるヤマノケに囁くように、姉がその顔を近づける。


「例えば、お前の殺し方。腹にある顔、特徴的だよな?

目は胸、口は下腹部あたりにある。

どちらも女にとっては重要な部位だ」


残った目玉を潰し、姉がその口に手を突っ込む。

ぶち、ぶち、と肉が裂けていく。

じたばたと暴れる怪異が、何故だかまな板で暴れるイカのように見えた。


「お前は女に取り憑く怪異なんだろう?

だから、女らしい部分を潰して、殺す」

「メッ、メッ、メメメメメメ」


碌な遺言を残さず、口ごと胴体が裂ける。

世界に解けていく怪異を尻目に、姉はこちらへと向き直った。


「これが怪異の殺し方だ。参考になったか?」

「…………いや、エグすぎてちょっと」

「心外な。『前のお前』よりだいぶマシな殺し方だったぞ?」

「あれで!?!?」


前の私は本当に何をしたんだ。

そんなことを思いつつ、私は怪異が縦横無尽に蠢く町へと向かった。

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