三段目 図鑑・画集・写真集
「今日も熱心だな」
ベンチの隣に、またあの子が座っていた。急に話しかけられたけれど、ぼくも大分慣れてきたので、もう驚かない。
放課後。まっすぐにこのブックタワーへ来たぼくは、膝の上の乗り物図鑑から顔を上げて、「うん」と頷く。
このブックタワーに通うようになって、三週間目に入った。スピードは悪くないけれど、この先は大人向けの本が増えてくるので、ちょっと心配だ。
三段目の箱は、図鑑とか、画集とか、絵や写真がたくさん載っている本が入っている。だから、一日は無理でも、二日か三日くらいで読み終えてしまいたい。
「そういえば、昨日、ぼく以外にもブックタワーの本を読んでいる人がいたよ」
「へえ。どんな人だ?」
「黒いスーツの外国の男の人。あっちのベンチでね、君が持っているその画集を真剣に見ていた」
「ふーん」
その子の膝の上にある、絵具をべたべた塗っただけのような「抽象画」というジャンルの絵を、男の人はものすごくじっと見つめていた。ぼくだったら、一ページを一分も待てずにめくってしまうだろうけど、彼は、何分でも同じページで止まっていた。
きっと、すごく絵が好きなんだろうなぁ。日本語が読めるかどうか知らないけれど、絵だから関係ないんだろうなぁとか、ぼくはそれくらいしか思わなかったけれど、あの子は何でも分かっているような顔でにんまりする。前に読んだ本に、「一を聞いて十を知る」という言葉があったけれど、そういうことだろうか?
その時、ブックタワーのすぐそばのストリートピアノが、鳴り始めた。ギターの音も一緒に聞こえてくる。ぼくとその子が首を伸ばしてみてみると、二十歳くらいのお姉さんがピアノを弾いて、彼女より少し年下くらいのお兄さんがギターを弾いていた。
曲のジャンルとか、全然分からないけれど、にぎやかなのに、ちょっとだけ物悲しい曲だ。周りを歩いていた買い物客も、一度足を止めて、この曲のリズムに揺られている。すると、なぜかその子がため息をついた。
「音楽も絵画も、あっさり言葉の壁を超えちゃうよな」
「うん。すごいよね」
「ぶっちゃけ、ものすごく羨ましい」
「え? なんで?」
「まあまあまあ」
ぼくが聞いてみても、その子はしまったって顔をして、教えてくれない。多分、彼は小説家になるのが夢で、言葉だけで外国の人にも伝えるのは難しいって思っているんじゃないのかな。
「でも、本だって、時間や場所も越えて、たくさんの人に読まれているよ。この図鑑も……」
ぼくは、その子を元気づけたくて、見ていた図鑑の奥付——その子が教えてくれた——から、この図鑑がいつ出版されたものなのかを話そうとした。でも、奥付よりも、白いところに油性ペンで書かれた、「たなか とーすけ」という名前が目に入る。
そういえば、ブックタワーの本には、誰かの名前が書いてあるものがいくつかあった。全部の本も、ページとか表紙の感じが古びているというのか、新品ではなさそうだった。そんなことを考えていると、隣から覗き込んできたあの子が、「これね」と指さす。
「前の持ち主の名前だよ」
「あ、やっぱり?」
「そ。ブックタワーにある本は、みんな形見だからね」
「え……それって……」
この「たなか とーすけ」くんも、死んじゃっているってこと? そう思ったけれど、声が出せなかった。でも、あの子は分かってくれたみたいで、小さく頷く。
「ええと、そんな大切なものを、こんな風に読んでも、良いのかな?」
「大丈夫。ここの本は、色々と特殊だし、ちょっとやそっとじゃ、汚れたり、破れたりしないって。それに、本にとって一番の不幸は、誰にも読まれないことだからさ」
「うん……」
その子はにっこり笑ってそう言い切る。まるで、本の気持ちを教えてくれるかのようだ。
ぼくは、「たなか とーすけ」の文字に触る。あんまり上手じゃない、子どもみたいな文字。よれよれになった、ページの角。少し日焼けした、表紙の消防車。とーすけくんは、何回も何回もこの本を読んだのかもしれない。
ブックタワーを見上げてみる。箱いっぱいに詰まった本は、ずっと変わらないのに、初めて見た時と、何かが違って見える気がした。
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