知ノ無知
ミーフェは、生まれつき眼が視えなかった。彼女が謂うには、光の強弱や色相程度なら認識できるらしいが、やはり不都合は多いらしい。しかし意外にも、一番は本が読めないことだとも言っていた。御伽噺が好きな彼女に、毎日のように読み聞かせていたものだ。
その代わりに彼女は、鋭敏な聴覚を持っていた。モノトーンの世界を感じるために、色々なものに触れ、想像を膨らませているうちに自然と獲得したと謂う。殊にその感性は、他人のそれを卓越していた。風の
―――つい、最近のことなのだ。ミーフェが魔女と揶揄され、排斥されるようになったのは。
僕らが生まれて十年を回った頃、城下の方で疫病が
そうなると、郊外の漁村に住む僕ら――つまり、ミーフェも例外ではなかった。幼少から親戚のように接していた周囲の人間の視線は、共通の
そんな中、『国土中の魔女を殺せ』と云うお触れを風伝いに耳にした。...まぁ、当然と言えば当然であろう。このまま事態を収束できなければ、民衆の信仰が離反するのなど容易に想像できる。異端者の排他はきっと束の間の安堵を生むだろう。内情を多少なれども理解している身だ、それが間違いだとは微塵も思わない。
――けれど。
気が付くと僕は、ミーフェを町の方へと連れ出していた。
何も知らない彼女は、無垢な目に煌きの色を落としていた。無論、事実を伝えようと何度も逡巡したのだ。しかし、世界の穢れを、人間の濁りを、そして
想定通り、村を離れた時点から周辺の衛兵の巡回が目に見えるほど明らかに増えた。町についてもまるで活気はなく、町人は相互不干渉で疑心暗鬼をひた隠し合っている。そんな水面下の
「ねぇ、タィリア」
「どうしたんだい?」
「どうしてここには、昔のような賑いがないのかしら?」
「そうだなぁ…きっと、
「そうなの......えぇ、そうでしょうね。多くの人が亡くなっているんだもの、陽気でいられるはずがないわ」
「あぁ。一刻も早く、教祖様がお救い下さることを願うよ」
「そうね。ところでタィリア、私たちは今夜どこに泊まるの?」
「少し行ったところに小さな宿屋があるんだ。少し質素だが、近くに屋台もあるし、なかなか悪くないと思うよ」
「ふふっ。それはとても楽しみね」
「ねぇ、タィリア」
「なんだい?」
「――貴方には、何が見えているの?」
「 あぁ、うん...そうだなあ」
心の臓を穿たれたような、冷たい鎖に裂かれたような。視えない
彼女のそれは、純粋な疑問であったのか。それとも、疾うに欺瞞など見え透いているがために、僕を試したのか。確かめる術はないが、世界を見られない彼女が、誰よりも世界を見ようとする底知れぬ渇望だけが変わらずそこにあった。
「夕陽が、とても綺麗なんだ。とても…そうだな、とても由々しく
「由々しい…ぷふっ、タィリア、やっぱり貴方って面白い人ね」
「そうかい?僕はこれでも真面目に答えたつもりだったんだが」
「だって、貴方が読んでくれたどんな本の中にも、“由々しい夕陽”なんてなかったもの。今日のお日さまは、本の中とは違っているのかしら」
「うむ・・・いや、そうではないさ。僕らがどう解釈しようと、太陽は変わらず光り続けているんだからね。それが太陽であることには変わりないだろう」
「それもそうね。いつか私も、夕陽を言葉で表してみたいわ」
「あぁ、いつかきっと、叶うさ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます