君の瞳は透き通って

楓雪 空翠

知不ノ倖

 土を踏みしめる音が、小枝や膝丈を掠める草で途切れ途切れに揺らぐ。メトロノームのように単調な環境音に、石礫が時折靴底を押し上げる。行く先は到底解らないが、暗中を模索するような、掴み処のない不安は感じない。きっと、この温もりを右手でずっと握っていれば、道を見失うことなんてないのだ。


 やはり単調に進むそのてのひらは、迷うことなく前へと私を導いている。 木洩れ日だろうか、視界を撫でる暖かさは、君にも届いているのか。薫る雨上がりと立ち込める霧を、君の頬も纏っているのか。面影を想像しながら、タィリアの三歩後ろを歩き続けていた。



 つい六日ほど前まで、町の小さな宿屋に滞在していた。ベッドは少し硬かったが、比較的居心地の良い場所であった。何より、近くの屋台から運ばれて来る、雑多な炒め物を挟んだパンや川魚の照り焼きの香りがなんとも堪らなくて。タィリアに無理に強請ねだって、串焼きをひとつ買って来てもらったこともあっただろうか。


 けれど、もっと過ごしやすい場所があると言う彼に誘われて、限りを知らず延々と続く森を、私たちは休み休み歩いている。疲れたら足を止め、携帯食料と即席の焚火で煮沸した水とで休憩をとる。日が落ちればやはり火を焚き、布に包まって朝を待つ。眠りに落ちるまでの何気ない会話が、とても愛おしくて待ち遠しい。




 ――ふと、タィリアが立ち止まった。彼の指先が解け落ち、枯れ葉と藪がしなった。彼は荒げた息遣いを心做しか抑えながら、その場に留まっている。そういえば、いつからか彼の柔らかい手は、新梢のようにか弱くなっていた。市場へ出掛けたときか、狼の群れに襲われたときか、上手く思い出せない。


 「どうしたの?大丈夫?」


 「――――あぁ、大丈夫、心配いらないさ。少しつまづいてしまっただけだよ」


 「......そう、よかったっ」


 私がはにかんで返すと、タィリアは微かに笑った。どうやら、私の考え過ぎだったみたいだ。彼は少しの間を置き立ち上がると、再び――少しだけ頼もしく私の手を取り、ゆっくりと歩き始めた。気付けば視界はいろに滲み、乾いた風は穏やかになっていた。もうじき、夕暮れだ。




 「なぁ、ミーフェ」


 「どうしたの?」


 在り合わせのキノコ類と野菜,それから干し肉をじっくりと煮込んだスープは、とても美味しくて、秋の暮れで冷え込んだ躰も融ける綿菓子のように温まる。それをじっくりと堪能していると、タィリアが神妙な声色で話を切り出した。揺らぐ炎の陰りも凍ってしまうような、漠然とした空気が一帯を包んだ。


 「実は、懐中時計をどこかで落としてしまってね」


 「本当に?それなら、すぐに探しに行かなきゃ」


 「いいや、そういうわけにもいかないさ」


 「…けれど、とても大切なものなんでしょう?」


 「あぁ...だから、僕は暫くここに残って探すことにするよ」


 「なら、私も...」


 「そうもいかないだろう。もうじきこの辺りには雪が降るんだ。そんな中を、君に歩かせるわけにはいかない」


 「でも――


 「大丈夫さ。落とした場所は粗方目星がついているから、そう長くはかからない。すぐに追いつくよ」


 「・・・そう、分かったわ。でも、きっとすぐについて来てね」


 「あぁ、約束する」




 翌朝。私が目を醒ますと、辺りにタィリアの気配はなく、鼻先を刺すおき混じりの冷気と、一帯を飽和する静寂だけが際限なく広がっていた。今日からもまた、“目的地”を目指して歩いてゆく。君がもう一度私の手を繋いでくれるまで、あと幾日だろうかと思いを馳せて―――

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