小夜子の行方

 チャイムが鳴った。玄関からだった。

 紙の書籍を読むのは体力を使うもので、私はすっかり眠ってしまっていたようだ。時刻は午前五時前。それにしても、このような時間にチャイムが鳴るとは、一体全体どういった用事なんだろう。親も起きていないというのに。

 私が戸を開けると、息を切らした裕介が立っていた。ひどく興奮しているようだ。ひとまずリビングに通す。私が飲み物を準備していると、裕介は切り出した。

「あの暗号が解けた」

 血流が止まる感覚を味わった。「一旦水をくれ」と裕介に言われるまで、コップを持ったまま硬直するしかなかった。

 テーブルにコップを置くと、裕介はそれを一気に飲み干した。「まあ聞いてくれよ」

「うん」私は彼と向き直る。「聞くよ」

「まず、twoとthirtyの話だ。最初は足し合わせた数『三二』、もしくは狭間の『一六』が小夜子の居場所になると思っていた」

「私もそう考えてたよ」

 裕介は、しかし、首を小さく横に振る。

「違うんだ。あれは数字なんかじゃない」裕介が目を合わせてくる。「変数だ」

 変数。私も、昨日『初心者のためのPython講座』で見た。しかし納得できない。仮にtwoとthirtyが変数だとしたら、その二つの変数には、なんらかの数字ないし文字が代入されているはずだ。そのヒントは、どこにもなかったように思える。

「ヒントはあったんだよ」

 裕介は、なにかを思い出すかのように、目線を上に向けた。

「学校のゴーグル、あれのユーザーネームは出席番号のはずだ」

 私の出席番号は二番。つまりユーザーネームはtwoだ。

「俺の苗字は船波。二九番の橋田と、三一番の渡部の間。だから出席番号は三〇番で、ユーザーネームはthirtyだ」

 そういえば、私たちに送り主不明「null」のメッセージが届いていた。これは、データを初期化する前に小夜子が送ったものだと考えられる。そして内容は、私たちのフルネーム。

 要するに、小夜子はtwoを綾瀬睦月、thirtyを船波裕介だと定義づけたことになる。

「twoとthirtyの変数を足す。足された文字の、その狭間。それこそが、小夜子の居場所だ」

 綾瀬睦月と船波裕介を足すと、綾瀬睦月船波裕介。その狭間こそが居場所。

 浮かぶ文字は、月船。

「あいつは、月船に向かったんだ」

 言葉を失う。開いた口が塞がらない。冷たいものが頬を伝う。説明できない寒気に包まれる。叫ぶ余裕もない。慟哭する気力もない。ただただ、寂しかった。

 小夜子は、私たちを置いていくつもりだった。そして本当に、小夜子は進むことを選んだ。小癪な置き手紙を残して、たった一人で向かってしまったんだ。

 月船へ。

 未来にしか行けないタイムマシンへ。

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