まどろみの月
夜は不安だ。だから本を読む。幻想は睡眠薬。ここではないどこかに逃げないと、燃費の悪い感情が、暗殺者のように首を切り裂いてしまうから。
漠然とした不安に苛まれるのは、今に始まった話じゃない。自分は何者にもなれないんじゃないかって考えて、ベッドの上で震えることは少なくないんだ。脂っこい手で喉に触れられているかのような息苦しさを、太陽が沈む度に、継続的に味わっている。
今日も私は本を読む。これまでと違うのは、紙の書籍を読んでいるということ。そして明確な目的を持った上で読書しているということ。
古本屋を去る間際、チイさんは「本を貸してあげよう」と提案してくれた。でも今日をもって閉店するはずだ。それでは本を返せない。
私たちが戸惑っていると、チイさんは表情を緩めた。
――心配しなくていいよ。一〇〇年後に返しにおいで。
その言葉の真意を、未だ把握できずにいる。あえて理解を逸らすような、難解な詩に似た口調。私もチイさんも、一〇〇年後まで生き延びられる保証はない。DNAによる予定調和が、良い具合に作用することを祈るしかない気がする。子供の私には、一〇〇年後も生きる方法なんて、そのような運頼み以外に考えられなかった。
ともかく、チイさんの言動は一旦放置して、私は部屋で『初心者のためのPython講座』を読んでいた。紙の書籍を読む専用の台なんかありゃしないから、本はベッドの上に広げて、私は寝転がる姿勢になっていた。真面目に読みたいのに、これではどうにも気だるげになってしまう。人類は、未だに睡眠欲に抗えていない。もちろん食欲や性欲にも。
眠気と戦いながら、本を読み進める。収穫はたくさんあった。
まず、PrintはPythonにおける出力処理を示しているようだ。つまり(two + thirty)を出力すると、小夜子の向かった場所が分かるようになっているらしい。
ややこしいのが、数字と文字で括弧内での扱い方が違うということだ。数字の場合はそのままでいいものの、文字を出力するにはクォーテーションで囲う必要がある。たとえば、国枝小夜子という文字列は「Print(“国枝小夜子”)」という形でないと出力できない。なんとも面倒な仕様だ、と思う。
ただ、その仕様で分かったことがあった。twoとthirtyは数字ということだ。なぜならクォーテーションで囲われていないから。それらの和にあたる三二、もしくは狭間の一六が小夜子の居場所なんだろうと考えられる。
また、変数なるものが存在するらしい。本には「数字や文字を出し入れできる箱」と書いてあったけど、イマイチ不親切な説明だと思った。
私が考えるに、変数は自分で値を決められるものだ。たとえばXという変数が存在したとき、私はXの中身を三とも七とも十五とも、あるいは「小夜子」という文字でも定義づけられる。このとき、Xには定義づけられた数字・文字が格納されていて、今一度Xと入力すれば、定義づけられた数字・文字を呼び出すことができる。また、Printで出力するとき、クォーテーションで囲う必要はないらしい。
かいつまんで言えば、多分そういうことなんだろう。実のところ、Pythonについて全然理解した気がしない。小夜子も完璧な理解を求めちゃいないんだと思う。もっと単純で明確なロジック。小夜子が考える、私たちに最適な難易度。
ああ、頭が痛い。心なしか足も冷えてきた。片頭痛、いや、緊張性頭痛だろうか。一旦起き上がり、ウェアコンを二五度に調節する。今年はウェアコンをガンガン使うものだ。一昔前までは火力発電が主流だったから、電気代も洒落にならなかったそうだ。太陽光の時代に生まれたことが、なんとも喜ばしい。
ふいと窓の外を見る。今宵は満月だった。頼りない黄色の月明かりは、静かに夜を讃えている。どうやら、今日は月船が走っていないようだ。そういえば、仁美のおじいさんが帰っているんだっけ。となると、出発は明日の早朝くらいだろう。
月の光と書いて、月光。私たちは地球にいるから、月とかいう、ちっぽけなものが明るく見える。これは小夜子の言葉だ。
そうだ。私たちも月に行ったんだ。あんな何もない場所に。
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