第13話 【蠅の王】

(なんで、なんでこんなところに──っ! コイツの気配なんて全く感じなかったぞ!?)


 巨大グモの異様なオーラは、その膨大なマナのせいで距離があっても気づくことができる。

 俺はコイツのオーラを感じ取れなかったはずがない。それこそコイツがマナを完全に絶って気配を消したりでもしない限り──。


 そこで俺は思い至った。

 そうだ。気配を消す方法はあるじゃないか。


 閉じたマナの循環は理屈さえわかっていれば、誰にだってできる。それこそ魔物にだって。

 コイツは気配を消していたんだ。俺と同じようにマナを閉じた循環にして漏らさないようにして。


 俺ができるということは他の動物だってできるということ。元人間だから気がつけたなんて、ただの自惚れだった。


 赤い八つの目は完全に俺を捉えている。


 肌で分かる。コイツは絶対に俺を逃さない『獲物』として認識したのだ、と。

 俺は慌ててマナを閉じた循環へと変えて気配を消す。


 しかしもう遅い。俺が『マナ吸収』を発動してマナを漏らしてしまったせいで、巨大グモに完全に俺がマナを持っているということがバレてしまった。

 俺と巨大グモはすでに至近距離。今から土の中に逃げるのは間に合わない。


 そもそもエルフを助けるのにマナを大量に消費したせいで、もう地中深くには逃げられない。

 少ないマナを振り絞って土の中に逃げたとしても、あの鋭利な爪で土を掘って追ってこられたら終わりだ。


 交戦するなんてもってのほかだ。

 俺に残された手段はただ一つ。


 逃げるしか無い。


 瞬時に俺は一目散に森の中へと逃げていく。


 ドスドスドスドスッッッ!!!!


 巨大グモも大きな足音を立てながら俺を追いかけてくる。

 後ろから捕食者が迫ってきているという事実に見も凍るような恐怖を感じながらも、俺は心を落ち着かせようとしていた。


 大丈夫だ。ちゃんと逃げ切る勝算はある。

 今の俺はマナを完全に絶っている。


 いくらクモと言えど、暗い森の中でたった一匹のハエを追い続けることは不可能なはずだ。

 姿をくらませるために蛇行して、自分の体を目で追いにくいように木や葉に重なるようにしながら飛び回る。


 だがしかし。


(なんで俺を正確に追ってこれるんだよ……ッ!?)


 どれだけ蛇行しても目をくらませるように飛んでも、巨大グモはまるで目印でも着いているかのように正確に追ってきていた。

 何をしても通じない。木に当たるように誘導しても木ごとなぎ倒して俺を追ってくる。


 体力の差か身体のスペックの違いか、少しずつ俺と巨大グモの距離は詰まってきていた。

 まずい、このままじゃ追いつかれる。


 どこかに逃げ込める場所がいる。

 俺は必死に逃げ込めそうな場所を探しながら飛び回る。


 必死に逃げ回っているせいで、どっちの方向へ向かっているのか、意識していなかった。


(どうする、どうする……っ!)


 逃げ回っている最中……急に巨大グモが足を止めた。


 なんだ、どうして動きを止めた。

 振り返ると巨大グモはとある方向をじっと見つめていた。


(──あ)


 そちらを向くとそこにいたのは──金髪のエルフの少女だ。

 後ろには銀髪のエルフと、青髪のエルフもいるまだこの辺にいたんだ。


 青髪のエルフは巨大グモに睨まれて腰を抜かしていた。

 ドガ、ドガガガガガッ!!!


 巨大グモは俺から興味をなくし、三人のエルフの方へと向かって走っていった。

 すぐに助けに行こうとして、急に足が止まった。


 助けに行くって言ったって、どうするんだ?

 マナもほとんど使った俺じゃ、絶対にアイツには敵わない。


 それなら、今のうちに逃げたほうが良いんじゃないのか?


(…………ふざけるな)


 そんな選択肢、あり得ない。


 誰かを犠牲にして俺だけ助かるなんて、そんなの絶対に駄目だ。

 俺は全速力でエルフの三人へと向かって飛んでいった。


 しかし巨大グモの方が早い。

 俺よりも先に巨大グモのほうがエルフへとその鋭利な爪を届かせることができる。


(それなら……!)


 俺はありったけのマナを使い、巨大グモへとガチガチに固めた岩の塊を飛ばした。

 背中に岩を当てられた巨大グモは立ち止まり、俺の方を振り返る。


「****……」


 金髪のエルフが俺に気がついたのか、何かを呟いている。


(そうだ。俺を狙え) 


 巨大グモから怒りが伝わってくる。

 そうだ、もっと怒れ。


 巨大グモがこちらへと脚を踏み出した瞬間……俺は踵を返して逃げ始めた。

 大きな音を立てて巨大グモが追ってくる。


 もう反撃するマナもない。

 穴を掘るだけのマナも使い果たした。

 一か八か、逃げ込める場所を探すしか無い。


 まっすぐ逃げながら、どこかに逃げ込めるような場所を探す。

 すると運良く、前方に洞窟と祠が一体になったような施設を発見した。


 洞窟の奥へと続く道は読めない文字を刻まれた巨大な石の扉で閉じられているが、時間が経って風化したのか石の扉には俺が通れそうな小さな穴が空いていた。


 あそこだ、あそこに逃げ込むしかない。


 どんな場所なのかを確認するような時間もない。

 俺は一目散にその穴の中に入り込んだ。


 しかし巨大グモも簡単には俺のことを逃そうとはしなかった。

 俺が穴に入った瞬間、ドォォンッッッ!!! と扉に体当りして、俺が入った穴を爪を突っ込んできた。


 ガリガリガリガリッ!!! と巨大グモが爪で穴を削ってくる。


(ヒッ……!!)


 思わず悲鳴が漏れる。

 俺を殺そうと迫ってくる鋭利な爪は恐怖でしかなかった。


 爪はどんどん周囲を削って、少しずつ奥へ奥へと進んでくる。

 ここはまずい。俺はひたすら穴の奥へと進んでいく。


 『土石』で無理やり自分がギリギリ通れるような穴を作りながら、全身を石で擦って傷ついても無我夢中で進んでいく。

 少しずつ背後からあのガリガリという音が近づいてきているからだ。


 穴の中を進んでいる途中で、ブチッ、となにかが千切れるような音が聞こえたが、そんなことを気にしている場合じゃなかった。

 そして必死に奥へと進んでいると、不意に穴から抜け出した。


 視界の先には神殿のような場所が広がっていた。

 どうやって燃えているのか分からない篝火や松明が暗い神殿の中を照らしている。


 神殿の中に入ってすぐのところには台座に突き刺さった剣。


 そして神殿の真ん中には玉座のようなものが置かれており、その玉座には──真っ黒な骸骨が座っていた。

 玉座に頬杖をついたその骸骨の虚ろな眼窩が俺を睨んでいる。

 一瞬ぎょっとしたが……その骸骨はうんともすんとも動かない。ただの死体のようだ。


 気がつけば、ガリガリと削る音が聞こえなくなっていた。

 どうやら流石にあの巨大グモも追ってくるのを諦めたらしい。


 ちょっと落ち着いた俺は周囲を観察してみる。


 なんだここ……異常な量のマナだ。

 あの巨大グモですら目じゃないほどの莫大なマナ。


 まるでマナに身体を押さえつけられているんじゃないか、と思うほどの密度のマナがこの神殿に閉じ込められてる。

 もしかして、この玉座に座っている黒い骸骨を封印するための場所だったのか?


 ……なんか、疲れてきたな。

 あの玉座の上でちょっと休むか。


 玉座へと飛んでいき、その石の平らな部分に降り立とうとした時……ぐらり、とバランスを崩した。


 あれ、なんでバランスを崩したんだ?

 体力を使いすぎて前足に力が入らなかったのか?


 そう思って前足を見てみると──右前足が、なかった。


 ああ、そうか。爪の音から逃げようとして石の中を無理やり進んでいるときに千切れてしまったのか。

 自分の手が千切れているのに、このときの俺は妙に冷静で、目の前の事実を淡々と受け入れていた。


 あまりにも現実味がなさすぎて、自分のことだと思えなかったのかもしれない。

 自分の身体を見てみれば左側の真ん中の足も千切れていた。


 身体の中から生きるためのエネルギーがどんどん失われていくのが分かる。

 これはまずいな、このままだと死ぬ。


 そう考えた俺は『マナ吸収』を発動した。

 マナを吸収したら身体が強くなる。もしかしたら足を二本失っても生き残れたりするかもしれない。


 幸いにもここにマナは大量にあるし、マナの質も今までとは段違いだ。

 そういう奇跡を期待したって良いだろう。


 そんなことを考えると、強烈に眠くなってきた。


(そうか、俺はここで終わるのか)


 冷水を浴びせられたように、すうっ、と現実に引き戻される。


 どうやら俺はここで死ぬらしい。


 凄く眠たくて、寝たら死ぬと分かっているのに抗えない。

 死が目の前まで迫っているのに不思議と心は穏やかで、恐怖を感じなかった。


 死ぬ直前は幸せホルモンが大量に出ると聞いたことがあるが、もしかしてそれなのだろうか。


 ああ、凄く眠い。

 ハエに転生してから、俺は自分に恥じないように生きてきたつもりだ。


 満足だ、とは言えないが、胸を張れるような人生であることは確かだ。


 でも。

 どうせなら、もっと長く生きて、しっかりとした人生を歩みたかったな。


 俺は少しだけ後悔を抱きながら。

 静かに、眠りについた。



***



 鈴木透は知らなかった。

 ここがかつて『煉獄王』と呼ばれ、神として崇められた王が封印されている神殿であることを。


 神殿の中に閉じ込められている莫大なマナは、すべて『煉獄王』のものであることを。


 マナにはそれぞれ人によって違う特性を持つ。

 本来なら、マナは所有者が死ねばマナは大気のマナと還っていき、本人が持っていた特性は薄まっていく。


 しかし『煉獄王』を封印するために作られたこの神殿は、『煉獄王』のマナを一切逃さず閉じ込めていた。

 マナの特性も、マナの中にある特殊能力も完璧に保存されていた。


 そして主なきマナは、マナを必要としているとあるハエへと吸収されていく。


 そして、鈴木透は知らなかった。

 迫ってきた強烈な眠気は、死の兆候ではないことに。


 すべての生物には、マナを受け止めるための器がある。

 しかしハエである鈴木透の器は、『煉獄王』のマナを受け止めるだけの器はなかった。


 もし仮になんの対策もなく『煉獄王』のマナを吸収したとしたら、脆弱なハエの身体はマナによって破裂してしまう。

 マナを吸収したら死ぬ。しかし主はマナを吸収しろと命じている。


 そこで『マナ吸収』が選んだのは、「『煉獄王』のマナを使って、器を作る」という選択肢だった。

 しかし器を作るにはその枠組みが必要となる。


 そこで運良く近くにあったのが『煉獄王』の骸骨だった。

 骸にはもう魂はない、しかしその骨には生前の姿が強烈に記憶されていた。


 全身を漆黒の鎧で覆い、すべてを炎で焼き尽くし蹂躙していった当時の姿が。

 肉体と魂なき骸は、魂と肉体を求めた。


 これにより、器の姿形は骸に刻まれていた鎧の姿が基礎となることになった。

 主なきマナは主を求め、特殊能力は主を生かすためのマナを求め、肉なき骸は身体を求めた。


 マナと骸をもとに器が作られ、鈴木透の身体を再構築していく。

 『煉獄王』の骨とハエの身体は融合し枠組みとなり、マナがその上に肉体をつけていく。


 人間とハエが融合した結果、生まれたのは人間ともハエでもないものだった。

 肌は黒く、光沢のある硬い皮膚を残しながら。


 胴体と四肢は強靭かつ、鎧のような形状へ。

 そして頭は生前の鎧姿とハエを混ぜ合わせた、兜のような形へ。


 異質なマナがただのハエを威厳ある王の姿へと変えていく。


 出来上がったのは漆黒の鎧を纏った異形の王。


 その姿に名前をつけるとすれば──【蠅の王】。


 そうして今宵、最強の器を持つ新たなる王が生まれた。


 篝火と松明の明かりに照らされ、玉座で頬杖をつき眠りにつく蠅の王が、ゆっくりと目を開く。




ステータス

 名前:鈴木透

 種族:ハエ

 称号:蠅の王

 特殊能力:『マナ吸収』『ステータス管理』『土石』『解毒』『劫火ごうか

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