第13話 逃亡
ただの動物になっちまった……。
「は……ぁ、じいちゃん!」
あまりにも現実感がなく、呆然としていたらマルコが、ハッ、とリチャードの後を追いかけようとした。
「あ、おいマルコ!」
待てと言っても、話を聞かないだろう。
瓦礫と土まみれに足をとられ、マルコは前に転がり、倒れてしまう。
初めての事に遭遇したが、1秒ごとにどんどん冷静さが増していく。
リチャードは、ただのトナカイになってしまったのだ、「もうじきこの名前ともおさらばだがな」、そう言っていた――リチャードは分かっていた――自然と同化していく様を見せつけられた。俺も、ただの肉食動物になっちまうんだ。
「じいちゃん、じいちゃんが」
まだガキのマルコには受け入れがたい現実で、ましてやリチャードに懐いてたと思わせる口ぶりと態度。
俺の慰めや説得なんぞ聞きやしない。だから、マルコを服ごと掴み脇に抱えた。
「離せよおっさん!」
「戻るぞマルコ……宝石持ってんのか?」
「うるせ! じいちゃんが」
「宝石をちゃんと持ってるのかって聞いてんだガキ!!」
大きな口で吠えた。
ビリビリと自分の肌にも伝わる、獣の力に、マルコはビクつく。
「……悪い、とにかく、今リチャードを追いかけるより、お前の身が最優先だ。バレンシアを裏切り、マルセル・ファミリーの妨害もした。この町のギャング全員を敵に回してる――だから、お前を守り、宝石と一緒に相棒のところに戻る。いいな」
マルコは何も言わず、ポケットから宝石を取り出した。
「宝石を壊せ」、リチャードの助言に従い、『呪いの宝石』を地面に落とし、思い切り踏み潰す。
全体重を乗せて何度も何度も踏む。
「おらっ!」
割れる音すらしない。
「マジかよ……」
落とした場所を見ても、『呪いの宝石』は、傷ひとつもできちゃいない。
ブルドーザーは完全に逆さま状態で、煙が出て、潰れた運転席は血だまりになって――まさしく酷い有様——使えない。
「クソっ」
とにかく宝石を持ち帰り、アルに調べてもらうしかない……。
マルコを脇に抱えたまま、宝石を拾いなおすとほぼ同時だった。
クラクションと発砲音が、けたたましく鳴る。
青みがかった体毛の先を掠めた熱で、焦げた数本が目の前で散っていく。
「あちぃうぉっ!」
振り返れば、車高をこれでもかと低くした自動車が複数、こっちに迫ってる。
「ば、バレンシアだよ、殺しに、来たんだ」
「クソっ次から次になんだってんだ!」
とにかく、逃げるしかねぇ。
「ひ、左、左からずっと真っ直ぐ、湖に行ける!」
「信じるぞ、いいなっ!」
頷くマルコにそう言って、左に向かって走った。
雑木林の道なき道を走る。後ろから車を乗り捨て発砲しながら追いかけてくるバレンシアの奴ら。
銃弾が木を抉り焼く。
追いつかれる心配は一切してないが、銃弾だけはどうしようもないぞ。
振り向き撃つが全然当たらない。
ロックがいりゃ、ある程度片付けてくれるだろうが……あぁ! なんでそんなこと過るんだ。
林の先、月が反射した湖面が見え、ようやく小道に出ることができた。
「右! 右に走って!」
右、誰もいない小道をひたすら走る。
ずっと走っていくと、寂れた教会が見えてきた。
「んだよ、宝石を戻せってか!?」
「違う、あいつら土地勘ないから、教会の裏から抜けられるの知らないんだ」
「ほんとかぁ?」
「この状況でダマすわけないじゃん! 信じろよおっさん!」
「俺はフリトだ!」
「じゃあフリト、案内するから降ろして」
マルコを腕から解放し、案内をさせる。
「こっちこっち」
「騙したら、撃つぞ」
「どうせ撃てないくせに」
「うるせぇ!」
教会の裏、砂利を鳴らしながら歩くと、侵入する時に割った窓はそのまま放置されていた。
この窓の奥に、女神像がある。
家族のために働いてきたのに、うまくいかなくてヤケクソになってやっちまった。
もっと冷静になって、妻と話をすりゃよかったのにな……今じゃ呪いでいつ肉食動物になっちまうか、不安と恐怖と焦りがじわりと迫ってくる。
「フリト、こっち」
「あ、あぁ」
今さら振り返っても、どうしようもない。今は、合流するのが先だ。
茂みを払いながら通り抜けると、また雑木林。
さっきのよりも深く、獣道すらない。
側にはバカでかい岩壁があって、見上げると古びた衣類が尖った先に引っ掛かっていた。
衣類の真下には、人間の白骨。
「うぉっ……——」
骨はバラバラで、だいぶ、土と葉にまみれて古い。
「前にじいちゃんが、狩猟してる人が誤って落ちたんじゃないかって、言ってた」
「お、おぅ」
「そんで、狼か熊に食べられたんだろって」
「……」
嫌なもんだ。
喰われて死ぬのはもちろんだが、俺も、喰っちまうのか――。
「さっさと行くぞ、あんま長くいたくねぇよ、こんなところ」
「オレもやだ、ほら、こっち」
早足で抜けていくマルコを、追いかけることに集中する――。
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