第9話 例のハッパ

 町のはずれ、森林公園とは反対側にある南方の砂地が目立つ道路沿いに建っている工場にやってきた。


『ベンチ整備工場』


 四角い看板のふちで黒ずんだ豆電球が名前を囲んでくっついてる。営業してた頃は目立っただろうな。

 太陽は上を通り過ぎた辺り、つまり、まだまだ明るい。

 こんな時間帯に、兎男と狼男がうろついてんだから、一般人が見たら卒倒してしまう。

 ロックは愛車の窓から外を覗き、工場を見回す。

 

「誰もいないぞ」

「大体こういうところで取引をするときは真夜中さ」

「取引って、宝石のか?」

「それは分からない。ただのハッパかもしれない。5年の間に若者をターゲットにしたヤク売人が増加してね、受験や就職でうまくいかない若者がこっそりに買いに来てるのさ」

「受験……」


 息子を思い出す。たかが大学の試験に落ちただけで、この世の終わりと嘆いていた。狭い若者だけの箱庭しか知らないくせに――いつの間にか薬物に手を出し、挙句に妻が、「どうしてもっと話を聞いてあげなかったの」だと。


「最近の若い奴らは弱いんだよ」

「ふーむ、一理ある、だが周りの大人が将来の選択肢をちゃんと教えなかったのも原因だと思わないかい?」

「なんだ、親が原因だってのか」

「いやいや周りの大人さ。相棒、子どもは何人?」

「2人だ、息子と娘」

「もう大きいんだろう?」

「まぁな、娘はハイスクール、息子は……求職中」

「ふむ」

「ロック、お前は、家族いるのか」


 煙草をひと吸い、一瞬で灰になった。

 窓に向かって吐いたあと、円らな赤い瞳は遠くを見つめた。


「ハンターの父親がいてね。よく、『ロック、お前も将来は私のような立派なハンターになるんだ』と何千回、言われたもんさ。残念ながら今じゃ兎男だが、ははっ」


 灰皿に捨てられた吸い殻は内側でボロボロと崩れていく。

 

「よし、車を隠そう。整備工場の裏側にあるゴミ捨て場に停めてくれ」

「あ、あぁ」


 俺のことは訊いてくるくせによ――。

 ベンチ整備工場の裏側、フェンスの外にある錆びまくったコンテナ型のゴミ箱の傍に、車を停める。

 エンジンを切ると、ネジがすっぽ抜けるような音が聞こえた。

「いつものことさ」、と気にしちゃいないロックは、後ろに行ってトランクを開けだす。

 俺も降りて、トランクに回る。

 中にはくしゃくしゃに畳んだシートが入っていた。


「何すんだ?」

「車を隠すのさ、夜に紛れやすいよう暗めの色を選んだ。相棒、手伝ってくれるかい」


 2人がかりでシートを広げ、コンパクトなロックの愛車なら簡単に覆うことができる。タイヤまで包み隠す。


「俺達はどうすんだ」

「取引は夜中、整備工場の中で待とうじゃないか」

「誰か来たら――」

「息を潜める、見つからないよう始末するか、気絶させて外に置いとけばいい」

「……」


 ロックは2メートル近いフェンスを、軽く乗り越え、俺も後に続く。

 掴んだ部分の金網が歪む。

 人間のままだったら重力に負けて、このフェンスに手足をかけるだけで精一杯、きっと無様に背中から落ちて、土と破片まみれになるんだ。

 呪いを解きたい気持ちと、呪いで得られる全能感とでせめぎ合うことが時々ある。


「このまま呪いを受けていたら、どうなるんだろうな」

「さぁねぇ――ただ、これは持説なんだが、いずれは女神の遣いになる」

「あぁ? 女神像の足元にいる動物のことか?」

「そう、あの美しい彫像にひれ伏す動物たちの像には狼や兎がいただろう? 彼らと一緒に、ひれ伏すのさ」


 なんだか訳の分からない、いや――目の前には兎の顔をした奴がいて、狼の顔になってしまった俺がいる――ロックが唱える説は、あながち間違いじゃないかもしれない。

 ベンチ整備工場の中は、泥土で形成したのかってくらい錆びた車が2台、放置してある。

 手すり、工具、車体を持ち上げるレーンさえも錆び臭い。

 嗅覚も動物だからだろう、鼻の中が痺れた感じになってしまう。


「へい相棒、これを見てくれ」


 ロックがしゃがんで車の下を指す。

 なんだと思って近づいて覗く――ぐるぐるとテープで巻いたビニールの包み、硬い何かが入っている――錆びた車のちょうど裏側にくっつけて隠してあった。


「なんじゃこりゃ」

「これが、今若者たちが欲しがってるハッパさ」


 容赦なく剥がした。同時に錆びと埃が舞う。

 中身は分からないが、ハッパが入ってるのか……。


「ふむ、この重さなら900イェーロぐらいの相場かな」


 持っただけ、値段が分かるのか、しかも900だって、結構な額だぞ。

 俺の給料が大体1800イェーロ、半分、半分が一気に飛んでいく。


「んな馬鹿な」

「西方地域で原生してる植物、病院じゃ麻酔、厄介なことに依存性がかーなーり高い、これだけの量を買うってことは、相当、沼ってる。どんな奴か楽しみじゃないか」


 どこが楽しいんだ。息子がこんなものに依存するなんて、バカげてる。


「クソっ!」


 今すぐ踏み潰してやりたいぐらいだが、余計なことをしたら、宝石から遠のいてしまう。


「落ち着け、相棒。今晩取引現場を襲い、宝石の情報とハッパ、ついでに金も奪えるってわけさ」

「襲うって……マジかよ」

「マジさ。刺激的な世界にようこそ、ってね」


 ウキウキしながら、ロックは例のハッパを戻した――。






 

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