お茶会と決闘 4
わたしが密かに覚悟を決めていると、エリーヌ様が数人の取り巻きを引きつれて会場に入って来た。
お喋りしている間にお茶会の開始時間になったようだ。
エリーヌ様はフェヴァン様の従兄妹だけあって、彼と同じ見事な銀色の髪をしている。瞳の色はトパーズ色で、その口元には常に穏やかな微笑をたたえている方だ。
オディロン王太子殿下の前ではどうかは知らないが、社交界では冷静沈着な方で、滅多に感情を荒立てることはないという評判だった。
エリーヌ様がお茶会の主催者として挨拶を述べて、公爵家のメイドたちが一斉に動き出す。
招待客のお菓子をサーブしたり飲み物を準備したりするためだ。
こうしたお茶会の主催も、次期王太子妃として重要なことなのだろう。未来の王太子妃、王妃として、貴族女性を掌握しなければならないエリーヌ様はある意味常に試されている側だと言っても過言でない。
例えばタチアナ様のように、その隙を伺っている方も大勢いるのだ。
上に立つ人間も大変なのである。
タチアナ様はとても優しい方だけれど、決して甘い方ではない。自分や家、派閥の利益を常に考え、敵とみなせば容赦はしない厳しさもある。大局は見誤らない。
もちろんそれはエリーヌ様にも言えることだ。
そしてそれは、国としても必要な事でもある。
皆が一丸となって、という言葉は聞こえはいいが、全員が味方であるという認識は甘えや怠慢を呼ぶ。場合によっては不正も起こる。
いくつかの派閥がお互いを監視し合う関係の方が緊張感も生まれて怠慢や不正が発生しにくい。何故なら下手なことをすればすぐに攻撃される危険があるからだ。
ゆえに、派閥と言うものはどこか一か所だけが大きくなりすぎるのも問題で、大きな開きのないほど良い力関係であるのが望ましい。
タチアナ様が懸念しているのは、その点なのだろうと思う。
現時点では国内の派閥で一番大きいのがセルリオン公爵派閥だからだ。
ゆえにこれ以上派閥の影響力を増すわけにはいかないとお考えなのである。
これまで最低限の社交しか行わず、女性の集まりにもほぼ参加しなかったわたしは、面倒な派閥問題の外にいた。
けれど本日この場に呼ばれ、タチアナ様からも直接ハッパをかけられたということは、これから先、派閥問題に否が応でも関わっていくということである。
フェヴァン様とお付き合いするということはそういうことだ。
先ほど覚悟を決めると決めたのだから、顔を背けてはならない問題である。
わたしはタチアナ様の、ひいてはドーベルニュ公爵家の派閥の一員としてこの問題に向き合わなければならないのだ。
お茶会がはじまって十五分ほど経った頃だろうか。
メイドの一人がそっとわたしの元に近づいてきた。
「エリーヌ様がお話したいとおっしゃっています」
わたしは招待された側だが、身分はあちらが圧倒的に上である。あちらがわたしの方にやってくることはないし、呼びつけられたわたしが否と言えるはずもない。
タチアナ様が一瞬目をすがめたけれど、口を挟むつもりはなさそうだ。
ただ、立ち上がったわたしの腕を軽くぽんと叩いたので、「見ている」と言うことだと認識する。何か問題があればタチアナ様の助けが得られるということだ。わたしはホッとして軽く頭を下げることでタチアナ様にお礼を伝えた。
緊張しながらエリーヌ様のお席に向かえば、同じ席にアドリエンヌ・カントルーブ伯爵令嬢が座っていた。わたしが婚約していないのに婚約破棄をされる原因となった名前が似ているご令嬢である。
エリーヌ様にカーテシーでご挨拶をすると、アドリエンヌ様がじろじろとわたしを見つめてきた。値踏みされているようで居心地が悪い。
「今日はいらしてくださって嬉しいわ。どうぞこちらへ」
エリーヌ様の隣に空席があった。わざわざ椅子を運んだのか、それともはじめから空席にしておいたのか。
わたしにお茶会の招待状が届いた時点で、この方がわたしと話があったのは明白だ。フェヴァン様からも言われている。不用意な発言は控え、慎重に受け答えせねばならない。
お礼を述べて椅子に座ると、メイドが紅茶を運んでくる。
どうぞと言われたので口をつけないわけにもいかなくて、一口飲めば、舌先にほんの少しの違和感があった。
……魔法薬が入っているわね。
毒ではなさそうだが、中和しておいた方がいいだろう。わたしはそれとなく魔術を使って飲み込んだ魔法薬の影響を無効化した。
さっきの席で飲んだ時は何も感じなかったので、今運ばれて来たお茶の中にだけ入れられていたと考えていい。何の目的なのかは知らないが、わたしが紅茶に口をつけても眉一つ動かさなかったエリーヌ様は、かなり油断ならない方だと思う。
もちろんわたしも、魔法薬が入っているなんてこの場で暴露して波風を立てるつもりはない。
……女性の社交も怖いわね。
手ひどい洗礼を受けた気分だった。
心の中で嘆息しつつ、何も気づいていないふりで微笑む。
「アドリーヌって呼んでもいいかしら?」
毒のない天使のような顔でエリーヌ様が言う。
「はい、エリーヌ様」
「ありがとう。早速で申し訳ないのだけれど、わたくし、アドリーヌに聞きたいことがあるの。わたくしの従兄の、フェヴァン様のことなのだけれど」
雑談をすっ飛ばして、エリーヌ様が本題を切り出してきた。
アドリエンヌを含め、この席にいる女性たちの視線がわたしに集中する。
「つい先月、フェヴァン様があなたに大変ご迷惑をおかけしたそうじゃない? ごめんなさいね。そのようなことになった経緯はよく存じ上げないのだけれど、それ以来あなたとフェヴァン様が、その、結婚するのではと噂になっているのよ。そのことについて教えてくださらない?」
本音ではフェヴァン様と王太子殿下の関係が聞きたいのだろうが、さすがにお茶会でフェヴァン様の男色疑惑を直球で訊ねるようなことはしないようだ。
フェヴァン様からもわたしとフェヴァン様の関係を聞かれるだろうとは言われていたので、わたしはきちんとこの質問の答えは用意してきた。
わたしは頬に手を当てて、困った顔で微笑む。
「結婚、という段階ではありませんわ。その、お付き合いは申し込まれましたけれど……」
さりげなく自分のドレスをいじれば、エリーヌ様がわたしの手元を見てから頷く。フェヴァン様の瞳と同じ色のドレスから関係性を推察してくれたらしい。
「そうなの。でも、お付き合いは順調なのでしょう?」
「それは、ええ、まあ……」
ここで狼狽えてはならない。照れた顔で微笑み、恥ずかしそうに視線を落とした。慣れない演技に胃がキリキリする。
エリーヌ様はじっとわたしを見つめ、それからわたしがさっき口をつけたティーカップを一瞥した。それはほんの一瞬だったが、わたしのリップがティーカップについているのを確認した視線は見逃さなかった。
……なるほど、何の魔法薬だったかわかったわ。
あれは、軽犯罪者に自白させるときなどに使う自白剤の一種だろう。自白剤と言ってもいろいろあるが、恐らく「嘘が吐けなくなる」薬の一種だと思われた。わたしの舌が毒だと認識しなかったので人体に影響は少ないはずだ。
エリーヌ様は話題を少しずらした。
「わたくしも従兄のお相手のことは気になるわ。アドリーヌはフェヴァン様のことをどう思っているのかしら?」
「……お慕いしておりますわ」
必要なこととはいえ、この言葉を口に乗せるのはものすごく照れてしまう。
「フェヴァン様は何とおっしゃっていて?」
「その……わたくしのことを、可愛いと言ってくださいます」
ああもう本当に照れる。恥ずかしくて体が火照って来た。
エリーヌ様はちょっと考えるしぐさをしたけれど、魔法薬を盛ったこともあり、わたしが嘘をついているとは思わなかったのだろう。
そろそろ核心に迫ったことを訊ねたいのか、エリーヌ様が表情を引き締めて口を開こうとしたときだった。
「何が可愛いよ!」
それまで黙っていたアドリエンヌ様がイライラしたように叫んだ。
「フェヴァン様はわたくしの婚約者だったのよ! どんな手を使ったのかは知らないけど、卑怯なことをして横から奪い取って……! この、泥棒女‼」
わー……。こういうのを、修羅場って言うのかしら。
これまで女性の嫉妬と無縁で生きて来たわたしは、明らかな敵意に逆に感心してしまった。
泥棒猫とか泥棒女とか、本の中だけのセリフだと思っていたのに、実際に口にする人がいたとは驚きだ。
「あなたみたいな可愛くもない女性を可愛いなんて言うはずがないじゃない! 魅了の魔術でも使ったんでしょう⁉ 白状しなさいよ‼」
今にもつかみかかりそうな勢いのアドリエンヌ様に、エリーヌ様が額を手で押さえた。
わたしが何て返そうかと悩んでいると、タチアナ様がすっと立ち上がってこちらに歩いてくるのが見える。
はらりと扇を広げ口元を隠すと、タチアナ様はするどくアドリエンヌ様を睨みつけた。
「あら、カントルーブ伯爵令嬢はずいぶんと口ぎたなくていらっしゃるのね。フェヴァン様に相手にされなかったからと言って、他人を陥れることを言うなんて……フェヴァン様が帰国早々に婚約を破棄しようと慌てられたのもわかりますわね」
「な――」
アドリエンヌ様がかっと顔を赤く染める。
だが相手は公爵令嬢。攻撃したくとも伯爵令嬢のアドリエンヌ様には難しい。そのくらいの理性は残っているようだ。
……それにしてもタチアナ様、きっつぅ!
わたしを守るために駆けつけてくださったのは嬉しいが、この場が余計に凍り付いた気がするのは気のせいではないだろう。
「しかも言うに事欠いで魅了の魔術なんて……。その魔術は法律で使用禁止にされているのをご存じでしょう? 使用すれば最悪死罪にだってなり得るその魔術を、
わたし個人の攻撃がドーベルニュ公爵家への侮辱と言われて、アドリエンヌ様が今度は青くなった。
エリーヌ様がこほんと咳ばらいを一つする。
「アドリエンヌ、落ち着きなさい。それからタチアナ様、わたくしの派閥のものが大変失礼いたしました。ですが、アドリエンヌはドーベルニュ公爵家を侮辱するつもりはなかったと
二人の会話を聞きながら、わたしは厄介なことになったなと冷や汗をかく。
エリーヌ様がここで「わたくしが」と言い出したため、わたしとアドリエンヌ様の個人同士の諍いが、タチアナ様とエリーヌ様の間の対立に発展した。もっと言えば、ドーベルニュ公爵派閥とセルリオン公爵派閥の女性たちの対立である。
タチアナ様はこの機会にセルリオン公爵派閥の勢いをそいでおきたくて、エリーヌ様はドーベルニュ公爵派閥を黙らせたい。
図らずとも根底にあった二人の思惑が、わたしとアドリエンヌ様の小さな諍いを利用して大きく発展しようとしていた。
これをこのまま大きくすれば非常にまずい。
何がまずいかと言えば、このまま大きな派閥が衝突することになれば、その原因も世間に広まるということだ。つまりわたしとアドリエンヌ様がフェヴァン様を取り合って諍いを起こし、タチアナ様とエリーヌ様を巻き込んだと思われるということである。
名前を出されたフェヴァン様も迷惑するだろう。
これまでお互いを牽制しあっていた二つの派閥の衝突は避けなければならないし、ここで勝敗がつくのも危険だ。
エリーヌ様が勝てばエリーヌ様が王太子妃になった後で勢いがつくし、タチアナ様が勝てば次期国王と王妃とセルリオン公爵家の間には亀裂があると思われる。
タチアナ様もエリーヌ様もそのくらい理解しているだろうが、お互いとも自分が先に引くということはなさらないだろう。
となれば、派閥同士の諍いがはじまる前に止めるしかない。
「タチアナ様、エリーヌ様、大変失礼をいたしました。ですが、わたくしもここまで言われては黙っておれませんわ。わたくしは卑怯な手など使っておりませんもの。そのような誤解をされたらフェヴァン様にも失礼ですわ。あの方は優れた魔術師でもいらっしゃいますもの。経歴に傷がつきます」
わたしが口を挟むと、タチアナ様がちらりとアドリエンヌ様を一瞥した後で「そうね」と笑う。
「ええ、もちろんだわ。アドリーヌが卑怯な手など使うはずないんだもの。でも、言いがかりをつけられたのだから謝罪は必要ではなくって?」
タチアナ様がわたしの思惑を読み取り、アドリエンヌ様に謝罪を要求した。
わたしは言いがかりをつけられた側なので、わたしが彼女に謝罪をするのはおかしい。
ゆえにここでアドリエンヌ様がわたしに一言謝罪をしてくれれば、今回の騒ぎは丸く収まるのだけれど――どうやら彼女は、なかなかにプライドが高くて感情的な女性のようだった。
「わたくしは間違ったことなど言っておりませんわ! どうしてもわたくしに謝罪させたいのならば……」
アドリエンヌ様が、絹のグローブを外して、わたしに向かって投げつけた。
そして、わたしをきつく睨みつけて宣言する。
「決闘よ‼」
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