お茶会と決闘 3

 お茶会会場となるのは、主催者であるエリーヌ様のセルリオン公爵家である。

 広い庭に大きな噴水。

 その奥にあるのは宮殿のような大きなお邸で――その実、このお邸は、セルリオン公爵が臣籍降下する際、父親だった先王陛下に与えられた王家の離宮である。


 同じ公爵家の中でも、王弟殿下が当主であるセルリオン公爵家は別格で、エリーヌ様は幼少期から王女と同等の生活をされていたと言っても過言ではなかった。

 お生まれになった時から王太子殿下との婚約を想定されていたのだろう、一流の教師が何人もつけられ、王女さながらの教育を受けられたそうだ。

 そのせいだろう、エリーヌ様は公爵令嬢でありながら王女然としている。


 未来の王太子妃、王妃の道も約束されているので、この国において彼女の上に立てる者は王妃様以外には存在しない。

 エリーヌ様は鷹揚な方だが、そのたたずまいには気品が溢れ、同世代の女性の間では憧れの存在だ。


 緊張しながらセルリオン公爵家の玄関前で馬車を降りたわたしは、大勢の公爵家の使用人に出迎えられた。

 女性のお茶会と言えばサロンを使うことが多いが、今日は招待客が多いので広間に準備がされているという。


 メイドに案内されて広間へ向かえば、真っ白いテーブルクロスが掛けられた丸いテーブルがいくつも並べられ、その上には美味しそうなお菓子や軽食が置かれていた。

 席も決まっているようで、わたしが案内されたのはエリーヌ様が座る予定のお席から少し離れた場所。


 席が近くなくてよかったとホッとしながら椅子に座ると、「アドリーヌ」と軽やかな声に話しかけられた。

 ハッとすると、わたしの三つ隣の席に、見覚えのある女性が座っていて、わたしはさーっと青ざめる。緊張しすぎて気づかなかったようだ。


「タチアナ様!」

 ドーベルニュ公爵家の長女タチアナ様だった。

 我が家が治める町はドーベルニュ公爵領の中にあり、いうなればドーベルニュ公爵は我が家の直属の上司のようなものだ。そのご令嬢の存在に気づかなかったなんてと、慌てて謝罪をしようとすると、タチアナ様は笑いながら「いいのよ」と手を振る。


「ふふ、ずいぶん緊張していたみたいだもの。手と足が一緒に出ていたわよ」

「そ、そうなんですか?」

「あらあら、気づかなかったのかしら。ふふふ、ベアトリスはこういった場によく顔を見せるけれど、あなたが来るのは珍しいものね」


 タチアナ様は緩く波打つ金髪にアメシスト色の瞳を持つお美しい方だ。わたしより一つ年上の十九歳で、ユロー侯爵家の嫡男と婚約している。

 エリーヌ様がお生まれにならなければ王太子の婚約者はタチアナ様だっただろうと言われており、噂では、タチアナ様が婚約者とまだ結婚していないのは、エリーヌ様とオディロン王太子殿下の結婚を待っているのだろうと言われていた。


 下世話な言い方をすれば、もし破談になった時に速やかに後釜に座るために、身を固めずに待っている、ということである。

 わたしは次女なのでドーベルニュ公爵家の集まりには滅多にいかないけれど、新年に開かれるパーティーには参加していた。壁でおとなしくしていると話しかけに来てくださるお優しい女性だ。


「そうそう、先日は素敵なものをありがとう。グリフォンの魔石がいただけるなんて思わなかったわ。お父様が家宝にすると言って毎日のように磨いているわよ。羽の一枚くらいはいただけるかと思っていたけれど、まさか魔石と肝が届けられると思っていなかったから、お父様ったらあの日からずっとご機嫌よ。今度お礼に何か届けさせるわね」

「あ、ありがとうございます」

「それにしても、あなたは本当に強い魔術師ねえ。グリフォンまで倒しちゃうなんて驚きだわ」

「いえ、あれはその、フェ……いえ、ルヴェシウス様がお倒しになったので」

「謙遜しなくていいのよ。フェヴァン様も、あなたが一緒だったから倒せたとおっしゃっていたもの」


 いや、それはむしろフェヴァン様の方が謙遜しているのだ。わたしができたことと言えば、一体を足止めすることだけで、とどめはフェヴァン様が刺したのだから。

 タチアナ様はそこで一度言葉を区切ると、ラベンダー色の瞳をきらきらと輝かせて、ずいっと身を乗り出してきた。


「ねえそれよりも、フェヴァン様とあなたが結婚するって本当かしら?」


 タチアナ様が言えば、この席についていた残り二人のご令嬢も身を乗り出してきた。どちらも見覚えがある。うちと同じくドーベルニュ公爵領内に領地を持つ貴族の令嬢たちだ。


「ええ、わたくしもその話がお聞きしたかったのですわ」

「婚約していないのに婚約破棄されたなんて意味のわからない新聞記事は読みましたけど、まかさあれがきっかけですの?」


 その通りです、とは言いにくいのでわたしは曖昧に笑う。

 それを肯定と受け取った令嬢たちが「きゃあ」と華やいだ声を上げた。


「わたくしもあの記事を読んだけど、そんな不思議なことがあるのかしらって思ったわ。あのパーティーの日はほかの予定があったんだけど、その予定を蹴ってルヴェシウス侯爵家に行けばよかったって後悔したもの」


 タチアナ様……公爵令嬢なのにゴシップ新聞を読んでいるんですね。

 まあ、この方は面白いもの好きなので、情報収集に余念がない。ゴシップ新聞も彼女の情報収取先の一つなのだろう。嘘も多いが、今回のように嘘のような本当の話も記事にされているのだから。ちなみに普通の新聞社は、貴族の報復が怖くて、あのような記事は書かない。


「ええっとですね、あれはその、いろいろな誤解がありまして……」

「要するに、名前を間違えたんでしょう? でも普通婚約者の顔を間違えるはずがないと思うのよ。だからそのあたりも詳しく知りたいんだけど……」

「ルヴェシウス様の名誉のためにもご勘弁ください」


 わたしが間違えて婚約破棄された話よりも、留学中に顔も知らない婚約者が出来ていたという話の方が厄介だ。特に女性間ではこの手の噂は広まるのが早い。女は卑怯な女が嫌いなのだ。自分は許せても他人の行いは許せないのである。

 特にアドリエンヌ・カントルーブ伯爵令嬢は華やかな噂の絶えない方だったので、女の敵も多そうだ。彼女だけが悪く言われるのならばまだいいが、その余波がルヴェシウス侯爵家へ行かないとも限らない。

 あほな女に宰相家が騙されたなんて言われたら大変である。


 真相は、ひとまず相手を黙らせるために婚約だけ交わしておいて、フェヴァン様が留学から戻ったら確認する予定だったというものだけど、噂なんてものは真実がどうであれ関係ないのである。面白ければいいのだ。


「じゃあせめて一つだけ。……フェヴァン様が男色家って本当?」

「真っ赤な嘘です」


 これは全力で否定させてもらう。

 タチアナ様はどこか面白くなさそうに口を尖らせた。


「なーんだ」

「なーんだって、タチアナ様、まさか期待していたんですか?」

「そうだったら面白いわね~って思っていただけよ。王太子殿下と側近の同性愛なんてスキャンダルはベルクール国はじまって以来だと思うもの」

「その噂のせいでエリーヌ様はお心を痛めていらっしゃるとお聞きしましたけど……」

「ええ、知っているわ」


 にっこりとタチアナ様が微笑む。


 ……タチアナ様、まだエリーヌ様が嫌いなんですね。


 高位貴族令嬢の派閥争いと言うのも厄介なものだ。

 わたしは必然的にドーベルニュ公爵令嬢であるタチアナ様の派閥に組み込まれているけれど、できれば面倒な女の喧嘩には巻き込まれたくない。


 エリーヌ様とオディロン王太子殿下は仲睦まじいので、これまで両者の間に付け入る隙はなかった。それがフェヴァン様の男色家宣言(嘘だけど)で隙が生じたわけである。タチアナ様としたら、引っ搔き回して嫌がらせの一つくらいはしたいのかもしれない。


 噂では、子供のころにエリーヌ様に侮辱されたのが尾を引いているとも聞くけど、さて、どうなのかしらね。

 お姉様あたりなら事情に詳しいだろうが、わたしはあまりこういうことに興味がないので真相は知らない。

 ただ、公爵令嬢であるタチアナ様が、主催者であるエリーヌ様の席から離れた場所に席を用意されていると点から、二人の仲の悪さは推して測れるというものだろう。


 ……仲が悪くても、権威を示すためにお互いを招待しないといけないなんて、ほんと、大変な世界だわ。


 わたしがそっと息を吐くと、タチアナ様が声のトーンを落とした。


「それで、フェヴァン様と結婚するの?」

「そ、それはまだ……」

「もし何か問題があるならうちが前面バックアップするわよ。……と言うのも、このままだとわたくしは侯爵家に嫁ぐでしょう? エリーヌ様が王太子妃になると、うちの派閥が閑職に追いやられる危険性があるのよね。できれば近いところに身内を入れておきたいの」


 なるほど、政治の問題か。

 タチアナ様も大変だ。

 タチアナ様としては、王太子殿下に嫁げないならどこかの公爵家の嫡男に嫁ぎたかったのかもしれないが、あいにくと年齢の合う公爵家の嫡男がいなかったのだ。それならばと、結束を固めるために派閥内の侯爵令息と婚約したのである。


「アドリーヌ、あなたは素晴らしい魔術師で頭もいいわ。ルヴェシウス侯爵家にとってもメリットがある。何としても妻の座を射止めなさい。エリーヌ様の派閥の令嬢に奪われたらダメよ」

「そ、そう言われましても……」

「わたくしの情報では今のところあちらの方があなたに熱を上げているんでしょう。今のうちに婚約の書類にサインをさせて、何ならすぐに結婚までこぎつけちゃいなさい」


 タチアナ様はぱらりと扇を広げて、さらに小声になる。


「ここだけの話、例のアドリエンヌ・カントルーブ伯爵令嬢がフェヴァン様の留学中にその婚約者の席に収まることができたのは、エリーヌ様のバックアップがあったからだそうよ。カントルーブ伯爵家はセルリオン公爵家の派閥だもの。ルヴェシウス侯爵家はセルリオン公爵家と縁が近いけど、公爵家の派閥じゃない。あちらも、何とか派閥に取り込もうと躍起なのよ」


 ルヴェシウス侯爵派閥は足の引っ張り合いや蹴落とし合いを好まない中立派だ。折衝役とも言い換えることができる。

 宰相家であり力も強いかの家と派閥を自分の陣営に引き込みたい貴族は多いのだ。


「わたしが嫁いでも、派閥に組み込むのは無理かと思いますけど」

「そこまで期待はしていないわ。あちらの邪魔ができればいいの。セルリオン公爵にルヴェシウス侯爵の妹が嫁いだせいでルヴェシウス侯爵家とセルリオン公爵家との距離が近いわ。これ以上距離を詰められてはたまったものじゃないの」


 嫁き遅れまっしぐらのわたしの結婚問題が、思わぬ方向に発展していっている。

 政治とか派閥とかに巻き込まれたくはないが、相手がルヴェシウス侯爵家の嫡男であれば切っても切り離せない問題だろう。想定外だったが、むしろ想定していなかったわたしが馬鹿だったともいえる。

 もし、フェヴァン様と結婚するならかなりの覚悟が必要だ。

 正直逃げたい気持ちもまだあるけれど……すでに、フェヴァン様の側にいたいという気持ちも芽生えてしまっている。


 そろそろ、本気で選択しなければならない時に来ているのだろう。

 できればもっと時間が欲しかったが、周囲が動きはじめたらわたしの意思ではどうにもならない。

 ならば自分の意思で答えが出せる今の間に、自分の口から答えを告げたい。


 ……今度会ったときに、お話ししよう。


 いろいろ考えたし、今でも考えている。

 わたしなんかがフェヴァン様の相手が、未来のルヴェシウス侯爵夫人が務まるはずがないともわかっている。


 でも――


 ……好きになっちゃったんだもの。


 無理だ無理だと思いながら彼から離れられないのだから、覚悟を決めるしかないのだ。




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