第十二話 月に照らされて
最初から、憧れなんてしなければ良かった。
最初から、可能性なんて信じなければ良かった。
物心がついてからの私は、多分色んなものに憧れたし、何にでもなれると信じていた。
でも大きくなるにつれて、周りの子供達は私よりも早く色々なことが出来るようになって、私よりも多くのことを覚えていって。
私は誰と比べても、物覚えと要領の悪い、ダメな子だった。
隣の可愛い子に目を向ける。
こんな可愛い子でもアイドルにはなれないんだから、私なんてもっと無理だ。
隣の頭の良い子に目を向ける。
こんなに頭の良い子でも私立の進学校にはいかないんだから、私なんてもっと無理だ。
隣の運動神経の良い子に目を向ける。
こんなに運動が出来る子でもクラブチームでレギュラーじゃないんだから、私なんてもっと無理だ。
その繰り返しが、私から憧れと可能性を奪っていった。
いや、違うかな。
私は、繰り返し、憧れと可能性を差し出したのだ。
代わりに絶望しないように。
代わりに慰めるために。
そんな私が今更、変わりたいなんて。
大嫌いな私から変わりたいなんて。
「……そんな都合の良い話」
あって良い筈がない。
分かっていたんだ。とっくに分かっていた。
自分を卑下することが、何よりも心地良くて。
自分に期待しないことが、どんなことよりも安心できた。
そこから抜け出すことなんて、そんな勇気なんて。私には無いことを。
それでも、手を引かれてしまう。
憧れることに、憧れる私が。
幼い頃に私が殺した、私が。
笑う、歌う、臆する事なく喋りかける。
「憧れることは、夢見ることは——そんなに悪くないよ」
◇
「やっぱり、私なんかより真矢ちゃんの方が星香のことよく分かってるよね」
と、自嘲するように姉は笑う。
何が、とは訊かなかった。
恥ずべきことは、苦手だとあんなに感じていた那月先輩にいつの間にか惹かれていた自分ではない。
那月先輩の本物の部分じゃなくて、彼女の容姿とかその明朗な性格とかの、所謂上辺だけの部分のみで彼女を好いてしまったという、自分の浅はかさだ。
「そういう部分も、那月ちゃんの本物だよ」
「……お姉ちゃんはさ、分かってたの?」
「分からないよ。でも、もしかしたらって思ってた。もしかしたら、那月ちゃんみたいな人ならってさ」
もしかしたら、の部分に何が入るのだろうか。
二人で肩を並べて歩くというのも随分と久しぶりな気がする。私が姉を避けていたからだろう。特に、下校を二人で、なんていうのは小学校低学年以来かもしれない。
「……」
姉の言葉を待つ。
言葉を待つのは、嫌いじゃなかった。私から何かを話すのは好きじゃないから。
けど、今この時間だけは、そういう消極的な理由ではなかった。
「もしかしたら、那月ちゃんなら、星香の嫌いな星香を好きになってくれるかもしれないって。でもそれ以上に怖かった。それで、星香が傷つくかもって」
「お姉ちゃんの、そういうところが、私は苦手だったよ。なんでも自分の考えた通りに動いてるって思ってるところ。そして実際にそうなっちゃうところ」
「——うん、そうだろうね」
などと、再び姉は哄笑する。きっと一生、私達姉妹が理解し合えることは無いのだろう。
でも、それで良いのかもしれない。
理解出来なくても、家族の絆くらいなら問題なく紡げるのだから。
でも、恋や愛は違う。
理解が無くては、そこに何の繋がりも生まれない。
「多分さ、星香が夢とか憧れを手放したのって、私の所為なんだろうね」
「ごめんね、お姉ちゃん。私にはそれを否定できる勇気がないんだ。でも、私は変わりたい。何かの所為にして安心する人間から、変わりたいから」
姉の所為にしてしまえば簡単だ。飛び抜けて優秀な姉が身近にいた所為だと、そう理屈をつけて仕舞えば、少なくとも辛さや苦しみから逃れられるから。
でも、私は理解してしまった。気づいてしまった。
バイトを始めたのも、変わりたいと願い始めたのも。
全て、那月先輩の様に『なってみたい』と思ってしまったからだ。
そういう風に生きてみたいと、思ったからだ。
もし私が、他人の所為にしてしか生きられない卑屈で弱い人間ならば。
せめて私はこの願いの責任を那月先輩に負わせたい。
そうすることで少しは、彼女に素直に憧れられるのなら。
「……あーあ、星香のお姉ちゃんっていう役目は、もう終わりそうだね」
「ごめんね、ありがとう」
「でも、忘れないで。私もさ、那月ちゃんと同じで、変わる前の星香も好きだったんだよ、本当にさ。星香が嫌いな星香は、意外とさ、色んな人から好かれてたってこと」
少し照れ臭くなって、ありがとう、と伝えるのに僅かな間隙が生まれた。
元来、姉はじっとしていられない性格だ。その僅かな空白にすら、彼女は反応して歩みを強めた。
「じゃあ、那月ちゃん探してくる!」
と、姉は勢いよく告げると、私が止めるのも聞かずに走り出してしまった。
「……ほんと、お姉ちゃんは変わんないなぁ」
そういうところが、苦手な部分だった。
そして同時に、好きな部分でもあったことを思い出していた。
◇
姉からメッセージが来たのは十数分後だった。私も姉も普段立ち寄らない場所だし、那月先輩が良くそこにいるという話も聞いたことないので、何を根拠にそんな高台に那月先輩が居ると考えたのか。
姉の思考を理解するのは難しい。
それでも、那月先輩が高台の神社前に居るというメッセージを受け取った私は、急いで向かう。
早歩きが、速度をどんどんと上げて、ついには運動音痴の私らしいみっともない走り方で、那月先輩の元へと走った。
すっかり、夕闇が続いている。
とりわけ、高台は街灯も少なくて、一層夜の帷を濃くしていた。
ただ、星空だけは広がっていた。
那月先輩が、見えた。
月はただ、そこにあった。
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