第二話 苦手なヒト ②
逃げて来た。
そう言い方の方が、きっと正しい。僅かに残る申し訳なさと、挙動不審な暗い子だな、と思われたであろう不甲斐無さに、何処か心の中で薄い後悔を抱きながら、私は自分の教室へと足早に戻って行った。
そもそも、あんなに上級生だらけの場所で、あんなに目立ってしまう形で、姉のお気に入りだか何だか分からない相手に何を話せば良いというのか。
だから、下手くそな愛想笑いを浮かべて、会話を打ち切った。
姉がどれだけ彼女がお気に入りだろうと、取るに足らないだけの存在である私が、彼女とこれ以上仲を深めることなど無いのだ。
それが分かっている故に、『あの姉』の妹——そういうベールの中身が薄っぺらな凡愚な人間であることがバレる前に。
私はさっさとその場を離れた。
多分それが正解で、そして、不正解なのだろう。
二律背反しているが、これ以上に単純な問題はない。つまり、私にとってはそれが正解で、守屋紗夜の妹としては不正解。
ただそれだけの話だ。
「受験より緊張したよ……」
ことのあらましを真矢に説明すると、何となく予想はついていたのかカラカラと笑う。
「あはは、紗夜姉らしいね。でも、アンタもそろそろその人見知り治さないとね。進級の旅に、アンタをクラスに馴染ませるのに、私がどれだけ骨を折っているか」
「う……言い返す言葉も無い」
私が極度の人見知りだと、小中の頃の教師にはバレていたのか、何故か毎回私と真矢は同じクラスになっていた。
進級の度に、真矢が私をクラスに馴染ませようと、色々手を尽くしてくれる。
「で、今回は私の助けいる?」
そうだった。姉の問題ですっかり飛んでいたが、まだ私は教室内に仲の良い友人は居ない。ちなみに真矢は、私の知らない内にすっかり友人を何人か作ったらしい。
新入生は午前で学校は終わりなので、教室にはもう私達の姿しか無い。だが、私達同様に、これから通う食堂のご飯はどんなものだろうか、と食堂へ向かった生徒も何人かいるらしく(もしかしたら校内探検とか、部活の見学目的かも知れない)鞄が残っている机もいくつかあった。
「真矢は今日もテニス部に行くの?」
「ん……行きたいんだけどねぇ。初日から活動する程力が入ってる部活じゃ無いみたい。そういう訳だから、ほら、一緒に帰ろ」
何だか真矢の方が姉より姉らしいな、なんて思いながら彼女と一緒に帰宅する。
この時はまだ、姉の気紛れに振り回されただけだと思っていた。
そう、この時は。
◇
翌日。
今日から通常授業ということで、すっかり休日モードから抜け出せなくなっていた身体に鞭打ってヨタヨタと教室へ辿り着くと、微妙に教室が騒がしい事に気づいた。
何というか、始業前の騒がしさでは無くて、どこか色めきだっているような。
あれだ。
中学の文化祭で、微妙に有名なお笑い芸人が来た時のあのざわつきに似ている。
そんなことを思いながら、引き戸を開けると、そこには知った顔があった。
昨日姉が紹介した那月さんが、そこにいた。
「あ、星香……」
それに、この教室に来た目的は私らしい。
私の姿を見て微妙に顔を綻ばせると、駆け寄って来た。
周囲の男子は、そんな彼女を目で追わずにはいられないらしい。
まぁ、その気持ちはわかる。
同性の私だって、とんでもない美人だ、って思っちゃうくらいだから。
「えっと……、那月先輩。私に、何か?」
「あ、あのさ……。別に何か用って訳じゃ無いんだけど。ちょっといいかな。君と少し話したくて」
これはもしかしてあれか?
上級生による生意気な後輩をシメる的なアレなのだろうか。
咄嗟に——というよりも、半ば本能的に真矢の席に向けて助けてのメッセージを視線で送る。
が、真矢はまだ登校していない。
多分テニスの朝練か何かしてるんだろう。基本的に真矢は早起きだからこんな時間まで登校していないなんて、テニス関係以外でほとんど無い筈だから。
「え、えーっと……あの、え、なんか私、やっちゃいましたか?」
もしかして、知らず知らずのうちに、昨日失礼な態度を取ってしまったのだろうか。
一体何事か、と私の脳内警報がガンガンと緊急事態を伝えているが、何も心当たりは無い。
「そうじゃなくて。折角、昨日知り合ったんだからさ、もっと仲良くなりたいな——って」
そういう風に笑いかける彼女は、まさに女神そのものだった。こんな笑顔を好きな時に自分の意志で浮かべられるのなら、今頃私はもっと堂々とした性格になっていたに違いない。
いや、堂々とした性格だからああいう笑顔が出来るのだろうか。
なんて、下らない考察で現実逃避しながら、現実の私は小さく頷くことしか出来なかった。
「よかった!ね、こっち来て、まだ朝のホームルームまで時間あるから、静かなとこで話さない?」
と、私の意見を聞かず手を取って歩き出す。何だか、入学早々、クラスでも目立ってしまってる気がする。
特に男子の視線が背中に刺さる。私なんか見てないで那月先輩を見なさいよ。
と、的外れの文句を誰とも言わずに心の中で呟いた。
「あの……手……」
階段の踊り場まで来ると、何故か那月先輩は私の手を取ったまま固まってしまった。
おずおずとそんな言葉を言うと、彼女は顔を真っ赤にして、慌てて手を離す。
「あ……!ごめんね、急に」
「い、いえ……」
そこでお互いに無言になる。
気まずい時間が続く。
本当に、どんな用件なのだろう。その想像のつかない私は、戦々恐々と彼女の次の言葉を待ったが、なかなか出てこない。
ただ、彫刻のように整った彼女の顔立ちに吸い込まれそうになりながら、そんな時間を待っていた。
何度見ても、とんでもない美人だ。芸能人だとかアイドルだとか言われても、すんなりと信じてしまえる。
いや、寧ろ。
芸能人だとかアイドルでは無い、と言われた方が信用できないような。
きっと、そんな恵まれた容姿には恵まれた人生が用意されてるんだろうな。
半ば僻みにも似た、当てつけのような恨みつらみが自然と心の中に浮かんできて。
そんな自分を嫌悪するよりも先に、そんな自分を表出させてしまう彼女のことを、
——やっぱり、ちょっと苦手……。
と思ってしまう自分が、また嫌いになってしまった。
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