4・ベッドの下の、この引き出しに
夜中にパッと目が覚める。
それは何か物音がしたり地震だったり、理由は色々有るだろうが今回はそういう緊急事態のものではない。
緊急といえば緊急なのだけれど、それと気が付いたらまず不用意な体の振動を控え、ゆっくりとうつ伏せに体を回転。そのまま四つん這いになってサカサカと虫のように旋回、ベッドから床へ脚を伸ばした。
「(起こさへんように…)」
重心を保ち、体を揺らさず、隣に寝ていた男にも気づかれないようにトイレへ急ぐ。足を動かせばどぷっと、体から何かが排出され太ももに温かいものが伝う。
「うあ…やばい…」
下ろしたパンツに滲む赤黒い経血、月一の試練が今回もやってきたのだ。
さてどうしたものか。予想外に早く来てしまったので生理用品のストックが少ない。
女性たるもの必需品を切らすなど有ってはならない。だがしかしここは自宅ではなく恋人の家、さすがに常時要るわけでもない女性用品を置かせてもらうのは気が引けたのだ。
時計を見ると時刻は3時半、コンビニしか空いてない。しかしそこに夜用は有るだろうか、ならば一旦自宅に帰るのが賢明か。
とりあえず脱衣所で置き下着に履き替えて、バッグに常備の昼用をペタンと貼り、血で汚れたパンツの下洗いをする。
洗面台の灯りだけ点けてジャブジャブと擦り洗いをすると、ふと先ほど脱ぎ落としたパジャマのズボンが気に掛かった。
案の定というか、紺色だから目立たなかったがよく見ればズボンの尻の所にもじっとりと赤い湿りが付いていた。
「あー…やってもうた…」
女になって20年以上経っても、今だにこんな事が起こるから参ってしまう。
周期を把握したとてたまに外れる。備えていればいいのだろうが対応しきれない事が多い。
今回は楽しいお泊まりという事で完全に気を抜いていた。
ズボンの血が付いた部分にティッシュを当てて乾かし、とりあえずの他害を防いで履き直す。このぶんだとベッドシーツにも染みているだろう。
彼にどう言おうかとその事がぐるぐると頭を過って落ち着かない。
バッグには昼用が一枚と普通の日用タンポンが一本だけ、それらの併用で朝まで過ごすしかない。
タンポンは生理用品を買いに行くための時に取っておくことにして、トイレでちまちまとナプキン移植を行い、これ以上の被害が出ないように対策をとった。
「イケるか…」
トイレに腰掛けたまま、しばし今後の事を考えてみる。
これで急場は凌げるだろうが、寝返りも打たず真っ直ぐな状態で朝まで過ごさねばならないのが地味にキツい。
なんせ彼は寝起きに抱きついてくることがあるので、対面でも背面でもこちらは体を横向きにしなければならないのだ。シーツ、或いは彼の服も汚しかねない。
第一、腕を振り払った時のアイツの顔を想像しただけでもズーンと気が重くなってしまう。
これはきっと女性ホルモンの仕業、イライラというより気分が下がる。気弱になってしまうのでどうも敵わない。
立ち上がってパンツとズボンを上げ、水に沈んだ血溜まりを見ると腰まで重くなってくる。
病は気から、というのはあながち間違いではなくて、それと気付かなければ案外平気だったりするものなのだ。熱があっても検温しなければ元気だし、くしゃみが出ても花粉症だと頑なに認めない、とか。
逆に、微熱でも体温計の数字を見てしまうと急に体調が悪化したりするのはまさにそういうことだと思うのだ。
生理だってそう。万全の準備をして知らぬ間に始まっていれば気にならないのに、この鮮やかなワイン色を目にしてしまうと途端に腰と腹が不具合を訴え出すのだ。
「痛なってきた…はぁ…」
トイレの水を流してぽつりと呟き、腹を摩る。
静かに台所に戻って常備薬を飲み、速く効くよう手から腹へ念と熱を送った。
何処が、と問われれば何処とも答え難い。怠くって重くって、個人差も大きいから女同士でも理解されない事だってあるのだから辛い。
昔婆ちゃんが言ってただけだから生物学的に合ってるのかは不明だけれど、この痛みっていうのは無いのが正常らしいのだ。痛みの原因は骨盤、つまり歪みとかズレを矯正すると悩まされなくなるらしい。
歩き方、立ち方、座り方、身に覚えが有り過ぎてついつい渇いた笑いが溢れてしまう。
「……どした?」
彼が寝室から台所へ出てきて、座卓に伏せった不気味な影に声を投げた。
「…ごめん、起こした?」
「音がしてるしお前おらんなってるし…何かあったか?」
どうやらシーツのシミには気付いていないようだ。わざわざ説明せずとも夜が明けてから黙って剥がせば案外バレないかもしれない。
「あのー、腹痛くて…」
「大丈夫か?」
「うん、薬飲んだしな…じきに良うなるよ」
「ほうか、なら寝ようや」
「う、ん」
あぁ、どうか朝までもってくれ。胎に送る念を多めにしてから彼の後を追う。
ベッドでは案の定というか、彼が先に寝転び、腕枕の準備をして待ってくれている。嬉しい、しかし今日では無い方が良かった。
すすすとベッドへ上がり、逞しい腕に頭を乗せて仰向けになると、彼は明らかにキョトンとした声で
「へェ?」
と呟いた。
俺の方を向いて寝ろ、そう言っているのだろう?分かっている、分かっているがこれ以上の被害を出したくないのだ。
「腹摩るから…仰向けで居りたいねん…」
「……あー、ほな手伝ったろ」
そう言った彼の大きな手が腹に乗ると、じわじわと温もりと重さが伝わってきてどうにも心地が良い。
体温が低いこの男の手がこんなに温かく感じるなんて、よほど自分の体が冷えているのだろう。
「あ……ええな…あったかいわ…」
「ん…」
「眠なってくるなぁ……」
「寝や、」
「うん……うん…」
次に目が覚めたときには部屋は明るくなっていて、ケータイのアラーム音と彼の情けない叫び声がセットになって耳にうるさかった。
「はァア!おい、おいて、」
「…びっくりした…なに………ぅわぁっ」
結論から言うと、作戦は失敗したのだ。
仰向けで寝ようと心掛けたのに、早い段階で横向きに、つまり無意識に彼と向かい合って寝ていたらしい。
尻の下には新旧のシミが並び、先に目を覚ました彼はそれを目撃してしまったらしい。
ベッドサイドで目を丸くしている、血の耐性は無かっただろうに本当に可哀想なことをしたと思う。
「ごめん…月のもんが来てな…すぐ洗うから」
「びっくりしたわ…処女抱いたんか思たやん」
「………阿呆、こんなに出ぇへんわ」
「お前これくらい出てたよ」
「やかましな!シーツ剥ぐから退きや!」
余計なことをペラペラと喋る男のデコをぱちんと一発シバいてから、シーツやベッドパッドなど諸々を風呂場へ運び入れて、浴槽で水に浸けた。
トイレで新しい置きパンツに脚を通し、最後の砦を挿入してからドラッグストアへと出掛けることにした。
浴槽に汚れた衣類もぶち込み、怠い下半身を引き摺ってスニーカーに足を入れる。
「はぁ…行ってくるわ…」
「付いて行こか?」
「いや、生理用品だけやから…風呂場、見んとってや、グロいから」
「ほいほい」
このダルさ、痛み、だくだくと体液が流れ出る感覚、自分の心身の生きている実感が湧くから憂鬱ではあるが案外嫌いではない。
自分の体が女である証、確かにこの胎の中に女の機能が搭載されていて、定期的にお知らせしてくれている、そんな感じだろうか。
初めてセックスをした時、確かにあの時も、彼の言うようにそこからはなかなかに血が滲んだ。今回と出所・性質は異なる血だが、女としての証明書を交付されたようで嬉しかった…あの痛みは二度とごめんだが。
ドラッグストアで置き下着と生理用品を買い足早に彼の家に帰ると、入るなと言った風呂場の方から滴る水音が響いていた。
まさかと思い中を覗けば、シーツを絞って洗濯機へ入れようという彼に出会してしまった。
「ちょっと、ええよ!ばっちいから」
「水吸ったら重いわ。パッドだけでいっぺん回すかな…全部一気にしてまう方がええか、」
「ええって、あ、ぱ…パンツも洗うた…?」
「洗剤で擦ったら簡単に落ちたで、ズボンも」
「いや……ごめん……」
彼は何が「ごめん」なのかは理解しきれない様子だったが、とにかく持っていたシーツの塊を奪い取り、浴室から脱衣所へ上がらせた。
「うちが汚したんやから…自分でやるよ…」
「…そう?んでもさぁ、初エッチの後もさぁ、俺がシーツ洗うたで?お前、痛くて起きれん言う」
「もう!!!今言わんでええやろ!ええ加減忘れろや!阿呆!」
その後は結局、数回に分けて洗濯機を回し、
「お前は座っとれ」
と彼が言うもんだからその通りに休ませてもらった。
ベランダにはためくシーツとベッドパッド、僅かにシミは残ったが家主が気にならないと言うのでならそれで良いのだろう。それらを干したのは彼で、下着はきちんと室内に吊るしてくれた。
腕枕をしてくれた時に正直に言っておけばここまでの大事にはならなかったかもしれない。
今となってはどうにもならないが、もう少しお互いの体の事をオープンにしても良いのかなと思える一件だった。
「なぁ」
「…なんよ」
「なんぼか、生理のやつ、うちに置いとき。困るやろ、またこんななったら」
「うん、…わかった」
下着に見下ろされながら物件情報を漁る休日の午後。
「生理中のお前、しおらしくて可愛いねん」
本当はいつもそう思っていた、彼からそれを聞いたのはもう数年は後の事である。
おしまい
好き、やねん 茜琉ぴーたん @akane_seiyaku
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