37. 最悪な日 3
年明けの鐘の音。
ユワルはそれを聞くと、強引に僕の手を握った。
なぜかその表情は、いままで見た事ないほどに焦りが溢れている。
「まずい! マリン、逃げるよ!!」
「へ?」
「天使が来る!!」
「別に天使なんて…」
「いいから逃げるの!!」
彼女は思いっきり、僕の手を引っ張った。
僕は何がなんだか分からないまま、彼女についていく事しか出来なかった。
ただの天使が、なんで怖いんだろう。
素顔はちょっぴり怖いけど、手紙をくれるだけの優しい人たちだ。
僕には、彼女が怖がる理由が分からなかった。
でもこの必死さ。
きっと何かがある。
それは僕が知らないような、恐ろしいことが。
そんな時。
パタ…。
僕たちの後ろに、羽の音が舞い降りた。
それを聞いた瞬間、ユワルは足を止める。
「…あっ……遅かった」
彼女は震えながら、うしろを振り向いた。
その目は、心から怯えていた。
僕は好奇心に抗えず、そちらを振り向く。
するとそこには…。
天使が居た。
それはいたって普通の、顔を前髪で隠した美しい天使だった。
でも、少し様子がおかしい。
表情や立ち振る舞いがまるで、以前ベルに見せてもらった写し絵の天使のようだった。
ユワルはそいつを前に、恐怖で膝を付く。
僕のそでを握りながら。
「私のドジ。 今回は順調にいってたのに…」
「ユワル…?」
「マリン。 私がいつか、必ず守るから」
「え…? ただの天使だよ?」
ゴキゴキッ
天使から、良く分からない音が聞こえてくる。
「はえのおうはどこ? はえは? ひひは?」
今喋った?
天使が?
ありえない。
「どここここここにににに?」
ヤツは記号的な声を発しながら、ケタケタと笑い始める。
ふと揺れた天使の前髪。
そこから見えたヤツの口には、ほつれて途切れた糸が垂れ下がっていた。
それから天使は、自らの口に手をつっこむ。
「え…!? な…なにしてるの…!?」
あまりの異常な光景に、僕も足が震え始める。
やがて天使は、口から何か大きな物を引きずりだした。
それは、巨大なハサミ。
赤黒く鉄錆びていて、あまりにも不気味だった。
ガチッ…ガチッ…
天使はまるで脅しかのように、ハサミを合わせる。
「はえ。 はへ。 はへのほう」
意味の分からない呪文を喋り続けながら、ただ淡々と。
僕でも分かる。
ヤツは僕らを殺す気だって。
「ユワル、逃げよう!?」
僕は、地面に膝をつく彼女の手を引っ張った。
しかし。
「だめなの。 私はいけない」
ユワルは、僕の手を払った。
彼女はここから、一歩も動く気が無いらしい。
それでも僕は、彼女の手を握り続ける。
「嫌だよ!! ユワルも一緒に逃げよう?」
「私が囮になる…から…。 マリンは逃げて」
「そんなこと言わないで! ユワルを置いて、逃げられるわけ無いじゃん!!」
「…」
彼女は、僕の言葉に少しはっとしたような表情を浮かべた。
「…はぁ」
それから、優しく溜息をついた。
そして穏やかな表情で、僕の顔を見つめる。
「…そう…だよね。 マリンはそういう人だったよ」
彼女は僕の手を握る。
その手はもう、震えてなんかいなかった。
それから彼女は、僕の目を覗き込んだ。
「マリン。 一度しか言わないから、よく聞いて」
「うん」
「私たちは、アイツからは絶対に逃げられないの」
「…そんなこと…やってみないと分からないじゃん」
「んーん。 分かるの。 私は何度も体験してるから」
「体験…?」
「時間は無いから、理由は聞かないで。 今、私たちが一緒に助かる方法は1つしかないの」
「…うん」
「アイツを倒す。 それだけなんだよ。 いけるかな、マリン?」
「…やるしかないんでしょ!?」
「うん。 やるしかないの」
「じゃあやる!」
僕の言葉に、ユワルはニっと笑った。
僕もそれに笑顔を返す。
「頑張ろ、マリン」
「うん! ご褒美、ちゃんと頂戴ね」
「ふふふっ。 約束だよ!」
パチンッ!
僕らは、ハイタッチした。
その瞬間、僕らの間に暗い影が落ちる。
天使がやってきたらしい。
そして…。
ザクッー…!!
僕らを分かつように、大きなハサミが振り下ろされた。
それは鈍い音を奏でながら空気を切り裂いて、白い砂浜に大きく突き刺さった。
僕らはそれを、間一髪避ける。
当たり前だけど、天使には躊躇いが一切見られなかった。
僕らはヤツがハサミを抜いている間に、距離を離す。
その間に、ユワルが追加で情報を教えてくれた。
「言い忘れてたけどマリン」
「なに?」
「天使の体液には触れちゃだめだよ」
「体液?」
「すごく目立つから、見れば分かると思うの。 それだけは絶対に触らないでね」
「どうして?」
「お亡くなりだよ」
「…え!?」
「そういうことだから! 生きて帰ろうね、マリン」
「う…うん!」
そう言うとユワルは、杖をかついで走っていった。
近接攻撃を仕掛けるつもりらしい。
僕は彼女のサポートに回りつつ、隙を狙って攻撃を狙っていけばいい。
その頃には、既に天使はハサミを砂浜から救出。
ヤツは、僕の方をギラリと向き直る。
こっちに来る…。
その緊張感が、僕を震えさせた。
カチカチとハサミを鳴らしながら、こちらに走ってくる天使。
その動きは想像以上に早く、僕の杖では到底間に合わない。
「…んもう!」
僕は杖を投げすてて、両手を向けた。
パキッー…!
氷を生成、出来るだけ素早く、ヤツに撃ち込もうとする。
しかし、時間が足りない!
あっと言う間に、目の前まで詰め寄られた!
「…ぃッ!!」
僕は情けなく、後ろに後ずさってしまう。
目を閉じ、強烈な痛みを覚悟した。
その時。
バコンッ!!!
ユワルが横から、鈍器のような杖を使って天使の頭をぶん殴った!
攻撃はうまく直撃したらしく、天使の頭はマネキンのように飛んでいく。
カラカラと、軽い音をたてながら転がっていく頭。
しかし。
ぴッ…。
天使の体から、虹色の液体が四方へと放出された。
それは地面を真っ黒に染め上げながら進んでいき、離れた場所にある頭と接続。
即座に、元の位置へと戻された。
あれが体液…?
ヤツの体液が通った場所は、ドス黒く溶けている。
触ったら死ぬ。
ユワルのいう通り、一目みただけでその恐ろしさが身に染みて伝わってきた。
「ははひははいひいひひ」
復活を遂げた天使は、まるで笑っているかのような不快な声をだす。
そしてハサミを掲げ、次はユワルを捕らえようと襲い掛かる…!
「ユワル!!」
「私のことは気にしないで! なんとかなる! だから…助けて!」
ユワルは命からがら天使の攻撃を避けつつ、声を絞り上げた。
その支離滅裂さから、いかに彼女が必死に逃げているかが伝わってくる。
こうしちゃいられない…!
ユワルを助けないと…!
パキッー…!!!
僕はありったけの魔力で、何発もの氷を作り上げた!
天使の動きは素早い。
きっと一発なら、簡単に避けられてしまう。
それなら、沢山撃ち込んで一発でも当たれば儲けもの大作戦!
「ユワル! 避けて!」
「ふぇ!?」
ユワルは僕の言葉を聞いて、一瞬戸惑いの表情を浮かべた。
しかし僕の魔法を見るや否や、砂浜に思いっきりダイブする。
どうやら、ちゃんと僕の意思が通じたらしい。
おかげで、僕の視界には天使だけが残った。
ヤツは砂浜に倒れたユワルを狙って、空高くハサミを振り上げている。
僕には、気が向いていないらしい。
チャンスだ。
行ける…!!
僕は、思いっきり氷弾をぶちまけた!
ズパンッ!!!!
それは四方八方へと飛んでいく。
1つは宙を鋭く切り裂いて。
1つは海に大きな高潮を創り上げて。
そして1つは、天使を跡形も無く消しさった。
僕の成せる最大火力だ。
文字通り、全力を尽くした。
ぜんりょ…く…を…。
ぐにゃぁ…。
突然ゆらぐ視界。
「うわぁ…。 気持ち悪い…」
僕は揺らぐ視界に耐えられず、バランスを崩して地面に膝をついた。
これは、典型的な魔力切れの症状だ。
僕はそのまま無理をせず、地面にへたりこんだ。
ユワルもユワルで限界らしく、息を切らしながら僕の隣に座り込む。
彼女は力こそあるけれど、体力は全然無いんだ。
それなのに、よく頑張ってくれたと思うよ。
「…はぁ…怖かった。 怖かったよユワル」
「私が一番、怖かったんだよ!? 天使にいっぱい追いかけまわされて…。
挙句の果てには、マリンのどこに飛んで来るかも分からない魔法に怯えて…」
「ご…ごめん…。 当たらないようには気を付けてたから…」
よく思い出してみれば、さっきの僕はなかなかに危ない行動をしていた。
あと少しでも腕が狂っていれば、ユワルに当たりかねない状況だった。
でも、ユワルはニコっと笑顔を見せてくれる。
「んーん。 いいの。 マリンならやってくれるって私、信じてたから」
「ユワル…ありがとう…!」
「ふふふ! …でもあの攻撃、危ないから二度としないの!」
「はひ…。 反省してます…。」
「うんうん。 よろしい!」
彼女は可愛く笑うと、僕の目に手を押し当ててきた。
その手はさっきの戦闘で少しかさついていたけれど、とても華奢で、可愛らしい手だった。
「あのね、マリン」
「?」
「ご褒美。」
彼女はそう言うと、僕のほっぺにキスをした!
「…へ?」
「何も言わないで。 恥ずかしいから」
「うん」
「本気にしないでね。 ただのご褒美だよ」
「…うん、分かってる」
でも僕は、ほっぺに残るほのかな暖かみを感じていた。
ずっとそうしていたい気分だった。
段々と、僕の心を彼女が掴み始めている、そんな気がした。
…。
ガチガチ…
鉄錆びたその音は、その空気を一瞬にして切り裂いた。
僕らはとっさに後ろを振り向く。
そこには、傷1つない天使が立っていた。
「え?」
「そんな…嘘…!?」
あの攻撃を避けたってこと…?
僕らはただ、唖然とその光景を見ていることしか出来なかった。
だって、2人して魔力切れ。
まともに動ける状態じゃなかった。
ギギギギギイ…。
錆びたハサミが、ゆっくりと開いていく。
それはまるで、捕食者が口を開いているようで。
どうしようもない無力感が僕らを取り囲んだ。
「ユワル…ごめん。 守れなかった」
「うんん。 大丈夫。 また会えるから」
「信じていい?」
「うん、信じて。 何があっても、私だけは信じて」
「…うん」
彼女はぎゅっと僕を抱きしめた。
これは本心?
それともご褒美の延長なのかな。
どっちでもいいや。
僕も彼女が寂しくないように、抱きしめ返す。
こんな最後も悪くないかもしれない。
…。
その時。
ザク…ザク…!
2人分の足音が聞こえた。
天使はその音につられ、首を傾ける。
そして音の主を確認するや否や、乾いた唇で満面の笑みを創り上げた。
そして、ハサミをそちらへと向ける。
その先に居たのは、変な眼鏡の男性。
「ははは! 随分と可愛がってもらったようだね~。 お返しといこうじゃないか」
彼は腕をまくり、中からはちきれそうな程の筋肉が露呈した。
その周りを、黒いもやが取り囲んでいく。
そして、その隣を歩くドラゴ族の男性。
「よく持ちこたえたな、お前ら。 もう大丈夫だ」
ゴウッ!!!
彼は怒りを露わにするように、真っ赤な炎を纏いあげた。
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