第4話

 転生してから約4年が経った。


 4歳になり、ようやく流暢に話せるようになったものの、読み書きはまだまだ苦手だ。それでも、言葉の壁がなくなったことで、周囲との関係はぐっと深まったように感じている。


 また、言葉がわかるようになったことで、大人たちからいろんなことを教えてもらえるようになった。しかし、まだこの世界について知っていることはほんの一部に過ぎない。


 そして、ここに来て気づいたのは、この世界が前世以上に過酷であるという現実だ。


 前世では、現実的な問題は存在していたものの、物理的な力や命のやり取りを直接的に経験することは少なかった。しかし、この世界では、力こそが生きるための最低条件だと感じる瞬間が多い。


 例えば、貧困や弱者の扱いが極端で、もし力を持たなければ、生活の選択肢が限られ、時には命すらも簡単に奪われかねない。


 また、この世界には異種族や魔物が存在し、それらとの戦いは日常的に起こる。

 無力であれば、彼らに捕まるか、食料となる可能性が高い。


 さらに、孤児として生きることは、常に厳しい状況にさらされることを意味する。

 親や家族の庇護もなく、頼れるものは仲間だけ。

 

 力があっても、仲間がいなければ何も成し遂げられないという現実に直面している。力がなければ生き残れない、そして生き残ったとしても、過酷な環境に適応するためには不断の努力と訓練が必要だ。


 このように、物理的・社会的な圧力が常に絡み合い、どんなに努力しても簡単に結果が出るわけではない。生き抜くためには、戦う力、知恵、そして時には冷徹ささえも必要になることに気づいた。


 生き抜くためには力が必要で、その力を持たない者は、容易に世界に飲み込まれてしまう――孤児として生きる俺たちにとって、それは一層深刻な現実となっている。


 だから、俺は、体を鍛えることにした。

 腕立て伏せ、腹筋、背筋――前世で得た知識を引き出し、できることを片っ端から試してみることにした。しかし、まだ幼い体では何をするにも限界が早い。


「くそ……5回で限界か……」

 額に汗を滲ませながら床に倒れ込む。

 呼吸は荒く、胸が上下しているが、それでも笑みがこぼれた。

 前に進んでいるという実感は、孤独を少しだけ和らげてくれるものだ。


 俺が床に伏してゼーハー言っているところに、ふと気配を感じた。

 振り返ると、俺の周りに小さな影が複数、集まっていた。

 見上げると、先頭に立つのはグロリアで、後ろにはフレイヤたちが並んでいる。


「ねえ、何してるの?」

 グロリアが少し驚いたように問いかけてきた。彼女は同い年だが、どこか大人びていて、リーダーシップを感じさせる雰囲気を持った少女だ。


「体を鍛えてるんだ」

 俺が当たり前のように答えると、グロリアたちは首を傾げて不思議そうな顔をした。


「なんで鍛えてるの?」

「強くなるためだよ。強くなって、ここを出る時が来ても大丈夫なように」

 俺が力強く言うと、少しの間黙った彼女たちが、意外なことを口にした。

「じゃあ、私たちもやる」

「……え?」

 俺は思わず声を漏らす。


 彼女たちの真剣な目に嘘偽りはなく、真剣のようだ。

 彼女たちが床に手をつけ、姿勢を整えようとしているのを見て、俺は驚きながらもその光景に微笑みがこぼれた。


「簡単じゃないよ」

「簡単じゃないほうが面白いでしょ」

 フレイヤがにっこりと笑って言う。

 その笑顔に、思わず俺は苦笑してしまう。


「ほんとに、無理するなよ」

「うるさい、そんなこと言うなら一緒にやってよ」

 グロリアがちょっと面倒くさそうに言うと、フレイヤたちも「そうだそうだ」と頷く。


「わかったよ……でも、倒れたらすぐに休むんだぞ」

 俺は少し呆れながらも、彼女たちの覚悟に応えた。


 訓練が始まると、予想以上に彼女たちは真剣だった。フレイヤは最初の数回で膝をついてしまったが、それでもすぐに立ち上がり、再び挑戦する。


 グロリアはその姿を見て、微笑みながら励ます。

「フレイヤ、大丈夫? もう少し休んだほうが……」

「平気だよ! 私が一番、強くなるんだから!」

 フレイヤはそう言って、全力で腕立て伏せをする。

 だが、その顔は痛みと戦っていて、苦しそうだ。


「なかなかやるじゃない、フレイヤ」

「ふん!ヴァネッサには負けないから!」

 フレイヤは言い返し、さらに腕立て伏せを続ける。


「2人とも、私も負けないよ」

 ウェンディが体を上下に揺らすながら、真剣な顔で言った。


「ん、私が一番になる」

 アグネスが静かに言うと、他の全員が少し驚きの目を向けるが、すぐに頷き合う。


 その傍らでは、グロリアとセシリア、アメリアは黙々と腕立て伏せを続けていた。

 彼女たちの姿勢がどんどんキビキビとしたものになり、気づけば俺もその姿勢に引っ張られるように、腕立て伏せを始めていた。


「負けてられないな……」

 俺は小さくそう呟き、力を込めて腕立て伏せを続けた。


 訓練が進むにつれて、徐々に皆の表情に真剣さが増してきた。

 最初は息切れしながらも、気づけばそれぞれが持ち前のペースで頑張っていた。


「ふぅ……くっ、まだよ、まだ…」

 ウェンディが息を切らせながら、腕立て伏せを繰り返している。

 その表情には疲れが見え始めていたが、それでも目は輝いている。


「ウェンディ……すごい頑張ってるね」

 セシリアが静かに声をかける。


「うん、あの2人には負けたくないから」

 ウェンディはセシリアの言葉に応えるように、更に力強く腕を押し出した。


 その時、後ろでアグネスが少し息を呑みながら、声をあげた。

「あんなに必死にやるなんて、珍しい……私も、頑張る!」

 アグネスは普段はおおらかでのんびりとした雰囲気だが、今は真剣そのものだ。


「…アグネスもすごいやる気ね」

 グロリアが少し疲れた声で驚いく。


「これ、楽しい。どんどん強くなってる気がする」

 フレイヤは嬉しそうに言って、さらに速いペースで腕立て伏せを続けた。


 一方、アメリアは相変わらず無言で集中している。その沈黙の中で、彼女の体は疲れを感じさせることなくなく、腕立てをしていた。


「グロリア、すごい。全然息が切れないなんて」

 アメリアが感心したように言う。


「これくらい…余裕っ…よ」

 グロリアは言葉を絞り出すように静かに返答した。


 よく見るとその表情には疲れがにじんでいて、額に汗が滲み、腕を支える手が微かに震えているものの、それを必死に隠すように無理やり笑顔を作っている。その笑顔の奥には、強がりと誇りが感じられたが、少し無理をしていることは明らかだ。


「無理しないで、休んだ方がいいんじゃないか?」

 俺が心配そうに尋ねると、グロリアはその表情を少しだけ崩して、息を整えながら答えた。


「…大丈夫、もう少しだけ…続けるだけから…」

 その言葉にはどこか強がりに満ちていて、彼女たちのリーダーとしての面子を守ろうとするグロリアの姿勢が現れていた。


「ふぅ……みんな、すごいな」

 俺は、ついに腕立て伏せが限界に達しそうになりながら、みんなの頑張りに驚きと共に尊敬の気持ちを抱く。


「うん、まだまだ、これからだよ!」

 ヴァネッサが楽しそうに言う。彼女はまだ余裕を持って腕立てを続けており、その言葉には強い意志が込められていた。


「じゃあ、次は腹筋もやってみるか?」

 俺が提案すると、皆が一斉に顔を上げて、頷く。


「腹筋!? わたし、できるかな……」

 ウェンディが少し心配そうに呟く。目はまだ諦めていないけど、少し不安げだ。


「大丈夫、最初は誰でもきついもんだよ。続けていけば慣れるさ」

 俺が励ますと、ウェンディは少しだけ安心した表情になった。

 その時、セシリアが落ち着いた声で言う。


「続けていけば、必ず結果は出るし、焦らず、ゆっくりやろう」

 セシリアの言葉が、みんなの気持ちを軽くしてくれる。彼女の落ち着きは、周りに安心感を与える。


「そうだね、焦らない方が長続きするもんね」

 ウェンディが頷き、少し笑顔を見せる。


「うん、強くなるためにやってるんだもん。急いでも意味ないよね!」

 フレイヤが元気よく言って、みんなの顔に自然と明るさが戻った。


「よし、みんな、始めるよ?」


 俺の声に応えて、仲間たちがそれぞれ準備を整え、訓練が始まった。


 時間が経つにつれ、みんなの額には汗がにじみ、息が少しずつ荒くなっていく。

 それでも誰一人として手を止めることはなく、全力で取り組む姿がそこにあった。


 やがて訓練を終え、みんなで汗を拭きながら顔を見合わせた瞬間、そこにはただの疲労ではなく、どこか誇らしげな笑顔が浮かんでいた。


「ふぅ、今日はここまでにしとくか」

 俺が言うと、フレイヤが不満そうに唇を尖らせる。


「えー、もう終わり?」

 その声にはまだやり足りないという思いがこもっていた。

 俺はそれに応えて、にっこりと笑う。


「また明日、休息も大事だよ」

 俺がそう言うと、みんなの疲れた顔に少し笑顔が戻る。緊張で張り詰めていた空気がほぐれ、自然と穏やかな雰囲気が広がった。


 少し疲れた体を引きずりながらも、彼女たちの顔には満足感が漂っている。限界まで頑張った証拠だ。俺もその姿を見て、胸の奥が温かくなるのを感じる。

 その姿を見ながら、俺は静かに息をついた。

 最初、俺は一人で黙々とやる方が効率的だと思っていた。


 自分の限界を試し、結果だけを追い求めることが最善だと思っていたんだ。


 だけど、彼女たちはそれ以上のものを俺に教えてくれた。

 一緒に取り組むことで生まれる連帯感。共に汗を流すことで深まる絆。


 そして何より、仲間と困難を乗り越えることの楽しさ。


 効率や結果だけでは得られない、もっと大切な何かがそこにはあった。

 それは俺が今まで見落としてきた、大きな価値だった。


「仲間って、こういうもんか…」

 ふとこぼれた独り言に、誰も気づくことはなかったが、胸の奥に広がる温かさは言葉にしきれないほどだった。


 俺は心の中で、自分の未熟さを静かに受け入れると同時に、彼女たちに心から感謝していた。そして、この訓練が、ただの鍛錬以上の意味を持つものに変わったのを感じていた。


 こうして俺たちの訓練は続いていく。

 疲れた体に、ほんの少しの充実感と、新たな価値観を抱えながら――一歩一歩、確実に前に進んでいる実感と共に。


 ※ 初心者です。誤字報告やアドバイスお待ちしてます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る