3toz:使徒
海に身を浸している様な、穏やかな感覚だ。
徐々に光が薄れ、全身に重力がかかっていくのが分かる。
目を開けると、緑が生い茂り水場が太陽の光を反射していた。
手足を動かしてみるとやけに重い。肉体を得る事が、こんなにも制限が科されるものだとは知らなかった。
冥界にいた時は、宙に浮くほど軽かったのに。
一先ず今世は成人女性になれた様で安心した。
鏡を見たいけれど、この時代は王宮くらいにしかないだろう。
あたしは水辺に近寄り、そっと水面を覗き込んでみた。
「あら…随分美人ね…」
自分とは思えない程パッチリした目元に綺麗な肌、何よりチュニックから溢れ落ちそうな胸部が邪魔で水面がよく見えない。
「うぅむ、これは肩が凝りそうね」
「やっほ!アミカちゃん!」
振り返らずとも分かる。白い布に身を包んだ変質者に違いない。
軽くため息を漏らし振り返ると、巨大なのっぺりしたものが眼前に現れた。
「えっ?!ちょ…メジェドでかくない?」
小さめだったメジェドは今や3メートルはあろうかと言う大きさになっていた。
「あぁ〜これでも頑張ったんだけどね」
そうか、アストラル質は振動が高く密度が薄いから、現世では大きく見えるのか。
エジプトの図鑑で垣間見た、神殿の大きな神々の石像が等身大だったとは。
「それで?これからどうするの?」
セシェト曰く、神々は普通の人には見る事ができないらしい。
こんなのを引き連れていたら、陸上まで帆船で突っ込んできたアホ海賊だと疑われかねない。
「まずはお仲間ちゃん達のところに行こうか!でもその前にアミカちゃん、そこの布を被っておいた方がいいよ」
振り返ると岩にボロ布が引っかかっていた。馬車の幌だろうか?
「こんな感じで目だけ穴開けて…」
「嫌よアホみたいじゃない!」
「アホとは何だ!私がアホと言いたいのかね?」
転生後の初動がメジェドコスなんて笑えない冗談だ。
「…日焼け対策ってこと?」
「いや、アミカちゃんは私の加護の影響で、この世界では有数の美人になっちゃったから、顔を隠さないと攫われて奴隷に逆戻りだよ」
メジェドの加護の影響だと?…メジェドの中身は美人だとでも言うのか?
「アホみたいなのは嫌だけど、奴隷はもっと御免ね」
あたしは渋々ボロ布を羽織り、パッと見盗賊にまではアレンジする事ができた。
「それじゃあ、行こうか」
オアシスから陽の傾く方角に数時間砂漠を歩くと、河に行き着いた。
そういえば古代エジプトの文明はナイル川に沿って発展していた。
「ナイル川に沿って歩けば街に着くと言うことね?今の首都は上流?下流?」
「ん?これはニャイル川だよ?」
なるほど平行現実というもので、若干異なる事象があるのか。
過去というよりもあくまで異世界と捉えた方が無難のようだ。
「まずはツェーヴェに行ってみよう!あそこはとても居心地がいいんだよね〜」
やけに上機嫌なメジェドはフワフワと上流の方に揺蕩う。
何やら先が思いやられるけれど、取り敢えずメジェドの後に続く。
数十分は歩いただろうか、ようやく街の影が遠方の地平線に見えてきた。
それにしても少しおかしいのは、これから有数の大都市に向かうというのに、河川に商船が見当たらないということだ。
街に近づくに連れて嫌な予感が的中した。
「これは…酷い…」
大型商船は陸に打ち上げられ、街の建物は崩壊し、所々に火が立ち込めている。
やけに静かなのは、一切の人の気配が感じられないからだ。
街の人全員が放棄して逃げたとも考えにくい。答えは自ずと予想がつく。
「あ…」
目の前の光景に言葉が出なかった。
惨殺された人々が無惨に打ち捨てられている。立ちこめる血の匂いに、吐き気を抑えるため強めに鼻を握る。
甘かった。物語の勇者の様に颯爽と敵を倒して、元の世界で甘味に溺れようと企てていたあたしの何と浅はかなことか。
「うぅ…」
心が痛い。本当にこんな酷いことをする様な奴らと、喧嘩もした事がないあたしが対峙できるのだろうか。
「アミカちゃんっ!」
あたしを呼ぶメジェドの声を認識したのは、メジェドの布に包まれた後のことだった。
禍々しい殺気に呼吸が止まる。今少しでも息をしたら見つかってしまう。背筋が凍る様な悪寒に体が震えるのを必死で抑え、視線を上げる。
メジェドの布越しでも陰が動いているのが分かる。巨大なヒト型の四肢に、頭から蛇の様なモノが複数生え蠢いている。
その一つ一つが残りの生き残りを根絶やしにせんと目を光らせているのが、肌にビリビリと伝わってくる。
メジェドの能力で見えなくなっているとはいえ、今目が合ったらたまらず叫び声をあげてしまうに違いない。
あんな化け物と戦えだなんて、地獄で釜湯に浸った方がまだ生ぬるい。
邪悪な化け物がいなくなるまで、セシェトの授業よりも長く感じた。生きた心地がしない。
「ふぅ…いやぁ〜危なかったねぇ〜」
ようやくメジェドに抱き締められているのを知覚し、振り向いて喫驚した。
何ったる美貌!艶やかな髪、吸い込まれる瞳、透き通る肌、けしからん乳、そしてなぜ裸っ?!
女性であるあたしですらその瞳に覗き込まれると赤面し、緊張で鼓動が脈打つ。
「ちょっと、もう離してよ変態っ!」
「変態とはなんだ!助けてあげたのに」
「何で裸なのよ、それじゃあ完全に露出狂じゃない」
「裸じゃないよ、これ着てるじゃん!下着をつけない主義なだけ。どうせ皆には見えないし、スースーして気持ちいいんだもん!」
何だか緊張の糸が切れてしまった。
「はぁ…あれがアポピスの化身なの?とてもじゃないけどあたし倒せそうに無いわよ」
「確かに、今のままではね。セシェトちゃんに教わった魔法も、現世ではかなりの制限がかかっちゃうし、慣れるまで時間がかかるんだよね〜」
「どうすればいいの?」
「ふふん、修業ですな。でもその前にツェーべでお仲間と合流だね」
ここがツェーべじゃなかったのか。随分と大きい街の様に思えたけれど。
アポピスの化身の気配はないけれど、極力隠れながら音を立てない様に移動した。
街の反対側に出て川沿いに出ると、見慣れない痕跡があった。
赤黒い液体が、密度の濃い液体を沸騰させた様に泡を発している。
「何これ…」
「あぁ〜化身はこっちを通っていったみたいだね」
「上流の方に向かってるってこと?ツェーべの方角じゃない」
この街の惨事が繰り返されるのは見過ごせない…しかし既に地平線にも姿を確認できない化け物を見つからないよう追い越して、危機を伝えて回るなんて無理な話だ。
「一体どうしたら…」
「大丈夫だよ、ツェーべには3人いるから。ここは遅くなっちゃったけど」
「え、誰がいるの?」
「神官たちだよ」
現世には私以外にも神々から加護を与えられた神官が複数人いて、顕現したアポピスの化身の対処にあたっているらしい。
「ツェーべってここからそんなに離れていないはずよね?3人いて近隣の被害を抑えられないということは…」
複数のアポピスの化身がツェーべに向かっているのだろうか。
「いやぁ〜あそこは広いからねぇ〜」
この後もメジェドに疑問を投げかけては核心に迫らぬ漠然とした回答にヌルリと躱わされつつ歩いていると、小高い砂丘まできた。
頂上からの景色に息を呑む。
目の前には、河川沿いに地平の先まで都市が広がっていた。
奥の方は蜃気楼なのではと錯覚するほど大都市である。
この広さをたった3名で外敵から守っているとなると、完全に業務過多だ。
しかしおかしい、アポピスの化身は何処だろう。
目を凝らして川沿いに町付近を見ていると、急に悪寒が走った。
振り向くと7メートルはある巨大な化け物がこちらにゆっくり向かってきている。
「え、何?!なんで背後にいるのっ?!」
直に見てよく分かった。巨人の四肢に頭から8つの蛇の頭が生えている。大きいくせにちゃんと実体があるのを圧で感じる。
「完全にバイオハザードじゃん!」
向こうもこちらを認識し、蛇の頭が此方を睨みつけた。勢いよく此方に向かってくるのは、見なくても分かる。
全力で走って逃げる間、常に背中に殺意が向けられる恐怖に必死に耐えながら街から逸れるように河から離れた。
「うわぁああああ何何何っ?!やめてやめて!」
聴いたこともない邪悪な雄叫びを上げながら、怪物が迫る。
目の端に閃光を捉えたのは、ものの数秒後の出来事だった。急に静かになった怪物を振り返る余裕もなく走り続けていたら、斜め前から人が近づいてくるのが見えた。
「おーい!」
女性だ。こちらに手を振っている。
「逃げて!ヤバいのくるっ!」
「はは、大丈夫。見て」
物騒な弓を片手に持つ女性の指さす方を見ると、アポピスの化身が力尽きて倒れる瞬間だった。
一体何が起きたというのだ。
「急に帆船が陸に乗り上げてきたと思ったら、化身に追われてるみたいだったし、倒しちゃったけど気にしない?ノルマとか気にする人?」
「え…あ…大丈夫です。ありがとうございます」
帆船と言ったか?
「もしかして…」
目を凝らすと、彼女の背後に神々しい弓を持った大きな女性が透けて見えた。
「私はネール・ネイト。ツェーべを守護する弓の射手よ」
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