続異世界の塩事情◆中編
「異世界物の下敷きにされる率の高い地域は?」と問えば、「ヨーロッパ」と答えざるを得ない昨今。
「中世ヨーロッパ風」なる呪文の是非についてはこの際さておくとしても、「ファンタジーのストーリーを創作するときに知っていてほしい歴史・文化・お約束を事典形式でまとめたネタ帳」と紹介されている『ゲームシナリオのためのファンタジー事典 知っておきたい歴史・文化・お約束110』(SBクリエイティブ)に拠れば、「(ゲームシナリオにおける)王道のファンタジー世界とは、中世ヨーロッパの原風景に、古代ローマ帝国や近世ヨーロッパの社会・文明・経済・技術を取り入れ、さらに魔法による技術的進歩を加えることで、人間がより活発に活動できるようにした世界のこと」であるといえるようですから、知らず知らずのうちに「ファンタジーなら(中世)ヨーロッパ」「異世界物なら(中世)ヨーロッパ」という刷り込みがなされているのかもしれないですね。
では、塩と言えば「手軽で安い岩塩」と「手間暇かけた天日塩」が入り混じるヨーロッパにおいて、「白い黄金」とまで言われた塩に対してどのような信仰が育まれたのか。どのような目線を持っているのか。今回はそれをおさらいしておきたいと思います。
◆塩とギリシャ神話
古代地中海世界における伝承や説話の集積であり、やがてはヨーロッパの精神的脊柱ともいうべき存在にまで発展したギリシア神話。言わずと知れた、綺羅星のごとく居並ぶ神々の物語である。『大地を揺るがすもの(エノシガイオス/Ennosigaios)』という異名を持ちながらも、海の女王アンピトリテに婿入りして海神となったポセイドン(Poseidon)は地震と馬、そして塩をも司る。
つまりギリシャ神話における塩への信仰は「海洋信仰から派生した宗派」に分類されるであろうと思われる。神に関わる塩は当然「神聖なもの」として扱われた。塩によって病気を治したり、何らかの力を身につけたりすることができるとも考えられていた。
さてそんなギリシア神話を生んだギリシアの塩、ギリシャ語でいうところのハルス(αλς)は、天日塩。手間暇かけた、エーゲ海由来の海塩である。
◆塩と『聖書』
ヨーロッパのもう一つの精神的脊柱と言えば、やはりイェシュア・ハ・ノツリ(ナザレのイエス)をキリスト(救世主)と信じる「キリスト教(宗派は問わない)」とその宗教文書である『聖書』を外すことはできない。特に『聖書』は「世界で最も読まれた本」の第一位に輝いている以上、世界への影響を無視することはできない。
では『聖書』世界内で塩と言えば――「アラバの海(死海のこと)」という言葉からも分かるように――恐らく湖塩を指しているであろうと思われる。その南西には岩塩の山として知られるソドム山もあることから、岩塩もまた一般的だったかもしれない。
そして『聖書』中の塩に関するフレーズの中で有名なものは恐らく、「A Pillar of Salt(塩の柱)」や「A Covenant of Salt(塩の契約)」、「The Salt of the Earth(地の塩)」辺りであろうと思われる。
「塩の柱」とは『旧約聖書(創世記 第19章26節)』にてロトの妻に与えられた神罰(?)であり。
「塩の契約」とは『旧約聖書(民数記18章&歴代誌第二13章)』において「神と人との永遠に変わらぬ聖なるきずな」を言い表したものであり。
「地の塩」とは『新約聖書(マタイ福音書 第5章13節)』のいわゆる「山上の垂訓」において、師であるイエス・キリストが「世の光」と並んで自分の弟子を言い表した言葉である。
塩はどうやら「不変なもの=神と人、人と人とを永遠に固く結ぶ力を持つもの」「腐敗を防ぐもの=清める力や聖なる力を持つもの(purification salt)、知恵や知識、高い道徳心の象徴」として信仰されていたようで、『旧約聖書』には上記以外にも幾つかエピソードが紹介されている。
例えば「出エジプト記」では「薫香を純にして聖なるものとするもの」として扱われているし、「列王紀」では「死や流産を呼ぶ悪い水を清めるもの」として川に投げ入れられているし、「エゼキエル書」では「主(ヤーウェ)へと捧(ささ)げる生贄の動物に対して祭司が振りまくもの」として登場する。
また、レオナルド・ダ・ヴィンチの手になる「最後の晩餐」では、キリストを売った代金・銀貨30枚が入っているであろう巾着を握り締めるユダの右手の甲の辺りに倒れた塩壷が描かれている。これは「神との契約の破棄」を意味しているという解釈が一般的である。そこにあるのは「塩をこぼすのは不吉なことだ」という意識である。少なくとも日本のような「海に還っていくもの」であるという目線はそこにはない。あるとすれば「(神に授けられた)塩を受け取らなかった、拒否した」ということはそのまま「神への拒否」となるという意識だけである。
つまり『聖書』における塩への信仰は「混じり気なしに塩そのものを信仰する宗派」に分類されるであろうと思われる。
ちなみに「悪魔は塩を嫌う」だの「サバトの料理は塩抜き」だのと考えられていたのもまた、塩そのものへの信仰の表れであろう。
しかし塩は同時に――死海という名が示すように――死や不毛を表すものとして捉えられる側面もあったようである。『旧約聖書(ヨブ記 第39章6節、エレミヤ書 第17章6節)』にも出てくる「salt land(荒れ地)」がまさにそれである。
◆塩と錬金術
古代エジプトの冶金技術に端を発した錬金術もまた、異世界物において人気のキーワードであると言える。古代エジプトから古代ギリシアに伝播し、やがてアラビアへと流入した錬金術は、後に中世ヨーロッパに再流入して最盛期を迎える。ヘルメス・トリスメギストス(三重に偉大なヘルメスの意。錬金術師の祖とされる)、ジャービル・イブン=ハイヤーン(ラテン名・ジベール。中世ヨーロッパの錬金術に最も影響を与え、かつ最も権威のあった錬金術師)、テオフラストゥス・フォン・ホーエンハイム(自称・パラケルスス)などが著名な錬金術師として知られるようである。そんな「錬金術」を支えた理論としては、エンペドクレスが唱えた「四元素説」を元にしたアリストテレスの「四大元素説」、ジャービル・イブン=ハイヤーン(ラテン名・ジベール)の提唱した「三原質」などが有名である。
卑金属から貴金属(特に金)を精錬しようとする試みであった「錬金術」は、やがて、ありとあらゆる物質(目に見えるか否かは問わない)を完全な物に練成しようとする試みへと発展していく。少なくとも創作の世界においては、ある一定の代償(例えば魔力など)を支払うことで、その物体に無制限の変化を起こせるように描かれることが多いようである。
そんな「錬金術」に於ける「塩」はと言えば、「蒸発(風化)によって大地の水から解放された火」と解されていたようで、「地」「水」「火」「風」という四大元素の全てを受け継ぐ完全な存在として大切に扱われたようである。
古代ギリシャから伝播し、発展したアラビアの錬金術に於いては、「硫黄・水銀・塩」の「三原質」が提唱され、男性的能動的な属性をもつ「硫黄」と女性的受動的な属性を持つ「水銀」の仲立ちをする存在として、「塩」はまた大切に扱われたようである。
では錬金術における塩への信仰はどうなっているかといえば、塩を「完全な存在」と解していたところから見ても、「混じり気なしに塩そのものを信仰する宗派」に分類してしまっても差し支えないのではないかと思われる。
塩とヨーロッパの係わり合いについては、具体的な時代や地域を避けさせていただきましたが、そこにあるであろう精神のような物を感じ取っていただけましたら幸いです。
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今回はあえて触れませんでしたが、ヨーロッパで言うところの「中世」って伝統的に「西ローマ帝国の滅亡(476年)辺りから東ローマ帝国滅亡(1453年)辺りまで」のざっと1000年ほどを指す訳で。
要は「大移動したゲルマン人が定住してから絶対王政を成立させるくらいまで」ですからね。
日本で言えば『万葉集』の冒頭歌で有名な雄略天皇(第21代。古墳時代?)から後花園天皇(第102代。室町時代)まで。
古墳時代(百済滅亡)から室町時代(応仁の乱)までをひっくるめて「中世」と言う訳ですから、間に挟まれる飛鳥も奈良も平安も鎌倉も勿論、すべて「中世」。聖徳太子も足利義満も同じくくりに入っちゃうんです。
記号としてキャッチーで優れているように見えるとはいえ、どれほど暴論なのか、お分かりいただけるのではないかと思います。
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