異世界の塩事情◆海塩余話
「現代」知識を駆使して製塩方法を云々する以前に、日本に於ける海塩の変遷は、塩の形態という観点だけで幾つかの時代に分けることができるように思います。現状の塩にたどり着くまでに、歴史的にどういう段階が存在したかということをおさらいすることで、異世界での塩がより変化に富んだ趣き深い存在になれましたら幸いです。
ちなみにこの文章中での塩に主眼を置いた「時代」という呼称は、今回便宜上つけた仮称であって、実際にそう呼ばれているわけではありませんのでご注意ください。
◆無塩時代
塩を必要としなかった時代。いわゆる狩猟採集の時代。中国山東省の
自主的に製塩活動を行うことのできない動物の世界を見渡せば、塩という形体での摂取を必要とするのはあくまでも草食動物であって(いわゆる塩場・塩なめ場の利用、海水の飲用など)、肉食動物は塩そのものを必要とはしない。これはナトリウム分の少ない植物を食餌とするか、ナトリウム分をたっぷりと含んだ肉類を食餌とするかの違いから生じる。
この世界の人類もまた塩という形体をわざわざ必要とするのは、農耕が始まり、菜食が盛んになってからのことである。そのため、もし「農耕が始まっていない時代」や「農耕そのものが存在しない世界」、はたまた「ナトリウム分が少ない食材を多く摂取することがない世界」もしくは「ナトリウム分をたっぷりと含んだ食材を多く摂取する世界」が舞台であった場合、塩が登場しないという可能性もありうる。
◆液状塩時代
液状の塩を摂取するようになった時代。なお、液状塩の存在そのものについては
伝存する最古の正史『日本書紀』と現存する最古の歴史書『古事記』、さらには現存する最古の和歌集『万葉集』にも液状塩に関するものと思われる記述は見られる。
『日本書紀』と『古事記』に関してはどちらも国生み、オノコロ島作りに関する記述である。「矛の切っ先を滴る『シオ(潮/鹽)』が固まって島となった」と書かれれば、滴ることができる「シオ」とやらは液体だろうなと思わざるを得ない(ちなみに液状塩を「潮」と書くのが『日本書紀』、「鹽(塩の旧字)」と書くのが『古事記』である)。
『万葉集』では恐らく山上憶良の「
最古の液状塩(シオ/潮/鹽)は勿論、「海水そのもの」であろう。
そもそも「その辺の海水を汲んできて煮炊きに使う」というスタンスは、仮に塩という存在を知らなかったとしても、十二分にあり得る話ではないかと思われる。天然の調味料入りなのだから当然のことだが、「味がない川の水(を代表とする真水)より、飲むには辛い海水を使った方が煮炊きはおいしくできる」などと思われていたかも知れない。「塩分濃度(=塩類の濃度)3.5パーセント程度の水溶液」、塩化ナトリウム濃度に換算すると「2.7パーセント程度の食塩水にその他ミネラルが溶け込んだもの」が海水であることは「現代」では常識の一種だけれども、当時の人々が知っていた(もしくはイメージできていた)とは想像しにくいから、もしかしたら「海水そのもの」が近くに海のない村落との交易品になっていたかもしれない。運んでいる途中で水分が蒸発したことで、「
そういった可能性を
勿論、いつまでも「単なる海水を汲み置いて水分を蒸発させて鹹水化する」止まりでいるわけではなくて、やがては「(そのままでは食べられないほどたっぷりと塩気を含んだ)海藻の塩分を海水に溶け込ませることでより手軽に鹹水化する」という進化を遂げた可能性は十二分に考えられる。
当然のことながら「海岸に流れ着いた海藻そのものを食材の一つとして煮炊きに使う中で偶発的に塩分の摂取が始まったのであって、液状塩の時代などなかった」あるいは「海藻の表面に付着していた結晶塩を直接削ぎ採るという採集型の塩分摂取が最古の状態であって、液状塩の段階などなかった」、はたまた「液体の塩など(水分という)不純物が多すぎて、保存や運搬の面から考えると不経済で、文化として定着したとは思えない」といった反論はあるかもしれない。
しかし、膨大な燃料を注ぎ込んで直煮し、海水の結晶塩化まで漕ぎつけるチャンスがあったと仮定しても、その状態の維持は困難であったはずなのである。これは結晶化したばかりの生塩(荒塩、粗塩とも)に含まれるいわゆる「にがり」の持つ吸湿性の高さが塩を溶かす方向に働いてしまうためであり、単純に結晶化しただけでは塩の液状化は避けられない問題だったからである。たとえその原因が「にがり」にあることを突き止められなかったとしても、少なくともその対処法を思いつかない限り、湿度が高く潮解が起こりやすい日本に於ける塩は、極度に濃い「鹹水」止まりにならざるを得ないのであって、そういった意味でも液状塩の時代は一定期間は存在したであろうと思われる。
◆
固形の塩を作り出し、摂取するようになった時代。完全に農耕の時代に入ったと言える。堅塩とは、結晶化したばかりの生塩を貝殻や土器などに堅く詰め、焼き固めたもの。要は焼塩の一種である。シオ(液状塩)を堅く焼き固めたものだからカタシオ。固塩、片塩とも。
そもそも海水から結晶化されたばかりの生塩には、いわゆる「にがり」や有機物がたっぷりと含まれており、それぞれが舌を刺すような苦味や鼻が曲がるような異臭の素となる。しかも「にがり」は吸湿性が高いことから、味と手間を考慮すると「にがり」の問題を解決しない限り結晶化にはあまり意味がないといえる。
そういった「にがり」や有機物の問題を解決したのが「貝殻や土器に詰めて焼いてしまう」という方法である。焼くことで「にがり」や有機物が変質し、(この場合は液状化しにくいという意味で)溶けにくく味がまろやかになる。しかも焼き固めることで運搬や保存にも適した形になる。ちなみに製塩に使われた土器はその土地土地でサイズや形はまちまちであったようである。
実際に使用する際には勿論そのままではなく、割ったり(=割塩)、
大量生産を視野に入れてさらに新しい塩の製法が生み出されると、焼き固めるための追加の燃料や手間、使用時の手間などから、堅塩は徐々に廃れていってしまう。最終的には伝統を重んじる神事用に、細々と作られるのみになっていくようである。そのため「前時代的な古臭い塩」というレッテルを貼られてしまう。
やがて一般には出回らなくなり、「神事からの払い下げ専門の塩」という存在になってしまうと、先人の絶え間ない研究の末にたどり着いた高級塩だったはずの堅塩は、新時代の塩よりも扱いの低い、自力ではまともに塩さえも買えないような低所得階層用の塩という目で見られていく。そこで「神様からの下され物」もしくは「神様の御力の宿ったスーパー・ソルト」といった扱いにならなかったところが返す返すも残念な話であると言わざるを得ない。
◇堅塩黒塩時代
海藻由来の塩を使うようになった時代。黒は海藻の持つヨードの色である。中には「黒」を塩を焼く時に出る煤の色であるかのように説明している場合があるようだが、白い堅塩が存在している以上、その説明には無理があるように思われる。
液状塩の中でも軽く触れたが、液状塩の進化の過程で、海水そのものを鹹水化した液状塩から海岸に流れ着いた海藻を利用して手軽に鹹水化した液状塩にシフトしていたであろうこと、さらにはそれをそのまま煮詰めることで生塩を作り始めたであろうことは想像に難くない。
そこからさらに安く手軽に塩分濃度を上げるため、海藻を一緒に煮込んでみたり、海藻をすりつぶして海水に混ぜ込んでみたりといった試行錯誤を経て、最終的には海藻を焼いて、その灰を使った生塩作りに到達したとしても、何の不思議もないように思われる。製塩土器は出土しても、製塩法の方は今ひとつはっきりしないというところからも、思いつく限りの様々な方法で塩作りに励んでいたことが窺える。
◇堅塩白塩時代
砂由来の塩を使うようになった時代。これは塩浜(塩田は明治以降の法律用語)の出現を意味している。『日本書紀』にも白塩の記述(卽以白鹽塗其身/即ち以て白塩をその身に塗らる)は見られる。伊勢神宮では神饌として現在でも奉製されている。
海藻への依存から解放され、より大量の塩の製造が可能となった。ただ「黒塩」という言葉がそのまま「堅塩」のことを指し示している例があることから鑑みても、実際には砂を活用した白塩が出現した辺りで、伊勢神宮のような「昔ながらの堅塩製法を堅持したまま派」と「大量生産に耐えうる新製塩法に飛びついた派」とに別れたのではないかと思われる。
◆
使用時の手間を省くため、生塩を土器に詰めて焼き固めるのではなく、塩釜などを活用して煎ることで仕上げるようになった時代。仕上がりは散状塩になり、見た目ではもう現在流通しているものと大差なかったものと思われる。これもまた焼塩の一種であると言える。炒塩、煎塩とも。
形状は違っても、焼いて仕上げることには変わりないので、味は堅塩に近いまま、手軽に使える塩として一時期使用されていたようである。黒塩は堅塩と同義のように扱われていることから、恐らく塩浜を活用した白塩が主流だったものと思われる。
当時そのままの製法かどうかは不明だが、宮城県塩竈市にある
◆
焼く以外の方法で「にがり」の問題を解決することで、日本で一般的にイメージされるところの「塩」、つまりは「精製塩」や、いわゆる「自然塩」とやらが摂取できるようになった時代。淡塩とも。
ただでさえ塩浜を利用することでいくらでも鹹水が手に入るようになっていたところへ、焼かなくても「にがり」の処理ができるようになったことで追加の燃料が節約できるようになり、その分ますます多くの製塩が可能になったものと思われる。
これ以降の製塩の進化とその歴史は、いかに効率よく濃い鹹水を作り出すかの一点に集約されていったと言っても過言ではない。――少なくとも、その技術が確立されるまでは。
ちなみに同じ「沫塩」の時代の中でも、「混じり物のない沫塩」を作り出せないことで「混じり物のない沫塩」に価値を見出すようになる時代、そのために技術の革新を推し進める時代、技術が確立したことで「混じり物のない沫塩」の価値が失われると同時に「混じり物の多い沫塩」にむしろ価値を見出すようになる時代へと順当に変化を遂げていった点については、「塩よ、お前もか」と言わざるを得ない。
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砂糖を取り巻く諸々が気になる方は、『砂糖の歴史』(川北稔・岩波ジュニア新書・1996)もしくは『甘さと権力―砂糖が語る近代史』(シドニー・ウィルフレッド・ミンツ、平凡社、1988)または『甘さと権力―砂糖が語る近代史』(シドニー・ウィルフレッド・ミンツ、ちくま学芸文庫、2021)辺りをご参照ください。
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