異躰の造形

――人間がみな人形に見えたっていう、例の話か? よく聞かれるが、人形作家の宣伝としては通俗的過ぎるな。そもそもドールと糸繰人形マリオネットは区別すべきだ。あたしの造る球体関節人形ドールに糸はない。人間に似たポーズをとって、ただそこに在り、傷痕を曝け出す異物。そういうものだ。――ああ、佐藤カラスね。同級生だったよ。あたしの人形はみな彼女の面影を宿している、そういう話がしたいわけだな。取材というが随分踏み込むんだな?――いや、いい。お望みなら少し話をしよう。

 初めてカラスを見たのは中学二年の初夏のことだった。転校生の名が黒板に書かれたとき、女の子につけるにはあんまりなその文字面にみなが見入っていたが、あたしの目はあの子から離れなかった。あたしと同じブレザーにスカート、なのにあの子が着ると、それは角や毛皮のような、野生動物のからだの一部になった。目元を隠す前髪もどこか引き攣った立ち姿も、人間離れしていた。あたしの全身の知覚神経が発火していた。天敵を察知したネズミみたいに、あたしの脳は必死にその情報を処理しようとしていた。生存を脅かすものを注視するのは本能だろう?

 佐藤カラスはひとと目を合わせず、あらゆるものごとに気を留めず、好きにスマホをいじり、本を読み、廊下を闊歩した。みんなはカラスの扱いに戸惑い、やがて見ないふりをして日常を続けることにした。それが正解だ。でもあたしには見ないでいることができなかった。あれは恐怖に似ていた。あたしにとってカラスは、静かな世界を脅かす異物だった。

 そう、あらゆる人間はシンプルだ。みな仕組みに沿って動くだろう? 法令、慣習、周囲の反応、自己像、そういうものに。力学がわかれば、父も教師も級友もみな同じだ。どう挙動するかは予測できるし、制御もできる。平穏な世界だろう? だがカラスは違った。

 あの子の生い立ちについては噂がやかましかった。父親は詩人だったというが死んだか失踪したかで、カラスが生まれたときは母ひとり。その母親も幼いカラスを実家に預けっぱなしにした。そこにはカラスの祖母と、遊び仲間と騒ぐ叔父がいて、面倒をみていた祖母が亡くなるとカラスの生きる環境は劣悪なものになった。幼いカラスが荒っぽい男たちや派手な女たちの出入りする家でどんな扱いを受けていたか無責任な憶測が飛び交ったが、あたしはそのおぞましい話の数々より、そこでカラスが身に付けた「空気を読まない」わざに戦慄した。無視したり逃げたりしてはかえって暴力に晒されると学んだんだろう。カラスは徹底して、人間の・・・ように・・・反応しない・・・・・独自の在り方を身体に覚え込ませていた。それがカラスの挙動を予測できないものにした。その一挙手一投足は、あたしを脅かす世界に空いた穴だった。だから戦うしかなかった。

 最初のうちは生身でやった。それから女子トイレの清掃モップを、そのうち技術科の工具を使うようになった。どう使うにしてもひと目につく部位は避けたし、あたしに同調する子たちはもっとオーソドックスなやり方をしたから大ごとにはならなかったが、カラスが痛いそぶりすらしないから「いじめ」をやる子たちはすぐ飽きてしまった。でもあたしはやめるわけにはいかなかった。こっちは本能的な闘争だったからな。天敵から逃げられないなら、排除するしかないだろう?

 今日はどこで――校舎裏であたしを待つカラスは淡々とそう言ったものだ。どれほど逃げ出したかったかわからない。それでもあたしは逃げなかった。既にあたしはカラスに仕える従者のようなもので、あたしたちの行為は儀式だった。繁華街ビルの非常階段やゲームセンターのトイレで、あたしは丁寧にカラスに傷をつけた。右目の角膜、薬指の関節、両足の爪。痛いね、そう呟きながら傷のひとつひとつをあの子は数える。叔父の家でつけられたもっと多くの傷を塗りつぶすように。

 カラスがひどい怪我で入院したとき、飛び降りに失敗したとか、ひどい暴行を受けたのだとか言われたが、詳しいことは誰も知らなかった。あたしは、これで恐ろしい日々から解放されると思ったが、そのときにはもう以前の平穏がどんなふうだったか忘れていた。

 カラスが入院する二カ月ほど前、大規模な豪雨があって、その日あたしはあの子とふたりきりで夜を過ごした。夏休み明けすぐで、生徒はみな体育館に集められて、だけどあたしに迎えに来る親なんていなかったし、カラスもそうだった。ほとんど陽は沈み、薄暗い教室のなか窓際の席にカラスがいた。机には古びた本が載っていた。なぜかそのときだけ、カラスが恐ろしいとは感じなかった。あたしは何も言わずに隣の席に座った。しばらくあたしたちは、外の唸るような水と風を聴いていた。これお父さんの、と本を指したカラスにあたしはふうんと答えた。その本は詩集で、タイトルに「金烏玉兎」という文字が入っていたはずだ。それが中国の古い言葉で、金烏とは太陽を象徴するカラス、玉兎は月を象徴するウサギなんだとあの子は話した。カラスが太陽だというのがおかしくて、あたしはちょっと笑って、そして似合ってるんじゃないと言った。あの子も少し笑った。あの夜だけは、あの子の手の冷たさが心地よかった。

 カラスは入院三日目に死んだ。お別れの会があって、あたしはあの子を見に行った。死んだカラスは制服も髪型も綺麗に整えられ、窮屈そうに棺で眠る姿は人形めいていた。世界につけられた傷痕みたいに綺麗だった。

 それで世界は平穏に戻った。だがカラスのつけた傷痕は、あたしには触れも癒しもできないところで世界の外を指し続けていた。平穏とは牢獄みたいなもので、常にその外があるんだ。――いや、寂しいとは思わない。これは好奇心だよ。あたしの人形たちは、世界の外に在って制御のできない絶対的な異物……まあその成り損ないだ。カラスが太陽だとすれば、人形たちは月といったところだな。

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【掌編集Ⅴ】解体する痕 灰都とおり @promenade

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