第6話 霧中の襲撃~黒いヴェールの女
(ふせてッ!)
突然、頭の中に声が響いた。
俺はすかさず頭を下げた。
同時にアク―が肩から飛び上がる。
何かが俺の後頭部をかすめた。
続く攻撃を予想して、俺はそのまま荷台の上を後方へと転がった。
転がった拍子に積荷がいくらか荷崩れし、中身が荷馬車の床にぶちまけられた。
床に散乱した武器の中から、俺は
さっきまでガランが座っていたそこには、長く黒い毛に覆われたオラウータンのような何かが立っていた。
(こいつが『悪鬼』か!?)
前前世で多くの魔族や魔獣を見たが、どれとも合致しない。しかも魔物なら通常、うすぼんやりとしたオーラのような光をまとっているはずだ。それがない。ならば、どちらにも分類できない
いずれにせよ、この状況でやることは一つ。
「アクー、逃げるぞ!」
掛け声に合わせて、背後からアクーの羽ばたく音が聞こえた。
振り返って、俺も幌馬車の後部から跳び出ようとした時、ぬっと黒い頭が現れて行く手を遮った。
御者台に立っていた黒い毛の奴と同じだ。
(もう一匹いたのか!)
おかしい。<気配感知>がまったく効いていない。
先ほどの怪物――悪鬼としておこう――も今現れた悪鬼も、<気配感知>に引っかかっていない。
不意に前前世で殺された時の記憶がよみがえり、背筋に冷たい物が走った。
そう、あの時も気配をまったく感じることができなかった。
(こんな所で死んでたまるか)
正体不明の敵に立ち向かうなんてバカな勇者のやる事だ。
前門の虎、後門の狼となれば……。
「横しかないだろ!」
長剣で幌を縦に引き裂き、すぐさま裂けた布の間から外へと飛び出した。
これが刃物の正しい使い方というものだ。
"スキル<逃走>が1上昇しました。"
(上げてる場合か!)
幌馬車の掲げる
だが逆に言えば、身を隠しやすいので助かる。
俺は頭の上から暗視ゴーグルをずらして装着した。これは暗視機能だけでなく、熱探知の機能も付いている
"スキル<聞き耳>を発動しました。"
幌馬車から距離を取りながら耳を澄ますと、上空から耳慣れた羽音が聞こえた。アクーは上にいるようだ。
周囲からは、わずかだが足を引きずるような音が聞こえる。
(二匹だけじゃないのか?)
三、四、五……そこかしこから聞こえる足音を拾うと、周囲からかなりの数が馬車に向かっているようだ。
暗視ゴーグルの熱探知には反応がない。
(まえッ)
まただ。また、頭の中に声が響いた。
それが何かを考える間もなく、霧の中から黒い毛に覆われた悪鬼がぬっと顔を出した。
(クソッ、足音がしなかったッ!)
目の前に突然現れた悪鬼は、俺の方へ一足飛びに跳躍し、人の一倍半ほどはある長い右腕を振り下ろしてきた。
俺はとっさに右手に握った小剣でそれを受け止めると、回り込みながら悪鬼の肘関節を左手の長剣でしたたかに打った。
ガチン
硬質の音が闇に響いた。
悪鬼の右手はだらしなく下にぶらさがった。肘から下が取れかかっているようだ。
この悪鬼は、先ほどの二体よりかなり小振りだった。だから身軽で近づく音も小さく、複数の標的がいる中ではうまく聞き取れなかったのだろう。
(違うタイプもいるのか)
素早く悪鬼の背後に回り、長剣の平を使って後頭部を殴りつける。
鈍い音をさせて悪鬼が膝をついた。
思ったより弱くて助かった。ロール・プレイング・ゲームで言えば
とどめを刺そうかという所で、他の悪鬼たちが例の重い足取りで近づいてくる音に気づいた。
長居は無用だ。ここは引いておこう。聞こえないだけで他にも軽量タイプの悪鬼がいるかもしれない。
"スキル<隠形>を発動しました。"
俺は気配を完全に消し、闇と霧に溶け込んだ。
悪鬼たちは深追いはしてこないようだった。
道を外れ、幌馬車の
(そういえばアクーはどうした?)
周囲はシンと静まり返り、羽音も聞こえない。
その時、また頭の中に言葉が響いた。
(うえだよ。どこ?)
俺は驚きのあまり声を出しそうになり、慌てて自分の口をふさいだ。
(まさかアクーか?)
(うん。クラウド、どこー?)
(馬車が走ってきた道をたどれ。公園と反対側の道の側にいる)
(わかったー)
何がどうなっているのか。困惑する。
だがこれで先ほどから俺をナビしていた声の謎は解けた。
(なるべく静かに来いよ)
(むりー)
羽音だけは隠しようがないのだろうから仕方がない。アクーと合流してからまた位置を変えれば済む話だ。
ほどなくしてアクーの羽音が近づいてきた。
"スキル<隠形>を終了しました。"
(見えたぞ。そのまま、まっすぐ降りながら進め)
(ただいま)
(これってテレパシーみたいなものか?)
(テレっしーってなに?)
(……いや良い。こうして話せるならなんで今まで黙ってたんだ?)
(わかんない。きゅうにできた。クラウドあぶなかった)
人間の子供も言葉が出るまでは時間がかかるし、似たようなものかもしれない。
(よし。肩に乗って静かにしてるんだ)
"スキル<隠形>を発動しました。"
俺たちはそれからしばらく、馬車が元来た道に沿って、自然公園の中を港とは反対方向へ歩いた。
時折、夜行性の獣が周囲を走っているのに気づくが、特に怪しい気配は感じなかった。
(ここまで来れば大丈夫だろ)
と、気を抜こうとした矢先だった。
黒いブルカのようなヴェールで、頭と口元を覆った女と鉢合わせした。
気配もなく突然現れたということは、相手も<隠形>を使っていたのだろう。
女は全身黒づくめだが、清廉さを感じさせるシスターたちの雰囲気とはほど遠い。所々薄い生地から、肉感的な肌が透けて
(まさか目撃者を消しに来た
女の出で立ちは、大陸南部の国ウルグスクの暗殺者を連想させた。
俺は、草むらで斬殺されているドニーとガランの
黒い布の隙間からのぞく眼が俺の眼と合った。
(やばい!)
回れ右。
何者か分からないが、関わらないに越したことはない。
俺は後先考えず、慌てて走り始めた。
道路沿いを必死に走っていると、やがて霧の中にぼんやりと灯りが見えてきた。
(元の所に戻っちまった。こりゃ、身動き取れないぞ。林の中を突っ切って南か北へ行くしかないか?)
それはそれで不安ではある。
霧は先ほどよりも濃くなっていた。
後ろから追いかけて来る気配はない。だからと言って安心はできなかった。相手も<隠形>スキルを使えるのだから。
(おい、アクー)
返事がない。だが俺の肩の上には確かにアクーの重みがある。
(おいアクー、聞こえてんだろ)
(アクーしずかにしてるよ)
(いいんだよ、敵に聞こえなけりゃ)
(あーよかった。いきのねがとまるかとおもった。じゃあいいよ。なに?)
(息が詰まるだな。お前、夜目が効くだろ? 後ろから不意打ち食らわないように見張っておいてくれよ)
(うえからもね)
(ああ上からもな)
(したからもね)
(下からはないだろ……多分)
気配を消したまま辺りの様子をうかがっていると、何かを担いだシルエットの悪鬼たちが、俺のいる方へそろそろと近づいてきた。
(見つかっ……てないよな)
俺は手近な
悪鬼たちは、四体一組で積荷の入った箱を棺のように担いで進んでいた。何組にも連なるそれは、あたかも葬送の儀式のようでもあった。
見続けていると、他の一体を担いで歩く悪鬼が霧の中から姿を現した。
担がれている悪鬼の四肢は、力なくだらりと垂れ下がっている。大きさからして、俺が先ほど倒した小振りの悪鬼に違いない。
(こいつが最後尾みたいだな。……おっと)
尾行を始めようとした矢先に、担がれている悪鬼から何かがボトリと落ちた。
悪鬼たちは、それに気付くことなく公園の森の奥へと歩みを進めていく。
(なんだ? 何を落とした)
罠かもしれないと警戒しつつも、俺は引き寄せられるようにその場所へと近づいた。本能的な恐怖を感じる一方で、何が起きているのか、悪鬼たちの目的はなんなのか知りたい、という好奇心を抑えられない。
(まったく
職業による能力値補正や、職業ごとに与えられる天性のスキルと同様に、行動にも職業による影響はあるらしかった。
草むらには棒状の何かが落ちていた。
片膝をついて目を凝らしてみる。
(腕?)
それは例の悪鬼の腕と
そういえば戦闘の時に一体の右関節を強く叩いたが、それで取れかかっていた腕が落ちたということだろうか。
俺は長剣を地面に置き、その腕らしきものに左手をかざした。
"スキル<魔力感知>を発動しました。"
残留したわずかな
(帰ったら調べてみるか)
俺は悪鬼の腕を
(うしろッ!)
不意に響いたアクーの声に、俺は即座に振り向いた。
ガシッ
だが俺が態勢を整えるよりも前に、何かが素早く飛び掛かって来て俺の首をつかんだ。
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