第7話 霧中の襲撃~銀仮面

ガシッ


だが俺が態勢を整えるよりも前に、何かが素早く飛びかかってきて俺の首をつかんだ。

同時に襲撃者の体重がかかり、勢いもあって俺は押し倒されてしまった。


(しまった)


クアッ


アクーは驚いて俺の肩から飛び上がった。

襲撃者の手から伸びる爪が、首に食い込んでくる。


「動かないで。ペットもおとなしくさせて」


舌ったらずの声だ。生臭い息が顔にかかった。

瘴気しょうきは感じない。

先ほどの黒いヴェールの女かと思ったが違った。

獣のようだが人語を話す。斑点模様のついた豹のような毛むくじゃらの顔、二足歩行のそれを半獣半人ライカンスロープの類だろうと俺は見当をつけた。王都では見かけない種族だ。


「アクー、おとなしくておいてくれ」


俺が命じると、アクーはまた俺の肩に収まった。


「お前もだ」


俺は豹人の首筋に当てた小剣ショートソードに力を込めた。豹人がつかみかかってきた時、同時に俺も相手の首を目掛けて小剣を突き出していた。


「『悪鬼』の仲間か?」


俺の問いを聞いて、豹人はわずかに頭を振った。


「そいつは奇遇だな。俺もだ」


俺と豹人はお互いに相手の急所を抑えたまま、クルクルと位置を入れ替えた。

一見、互角に見えるかもしれないが、正直、まともにやり合って勝てる気がしない。


「なあ、ここらで手打ちにしないか。俺には、やり合うつもりはない」


豹人は何も答えず、俺の眼を見つめた。何かを推し量っているようだった。


(アクー、いつでも飛び掛かる準備はしておけよ)


しばらく沈黙が続いたが、俺は是と捉えた。


「よし。お互い、ゆっくり離すぜ。ゆっくり、ゆっくりだ」


豹人の手の圧力が緩まっていく。合わせて、俺も少しずつ小剣を引いた。


ザザッ


互いに影響力がなくなった所で、俺たちは跳び退すさって距離を取った。

だが豹人は警戒を解かず、身構えている。俺も小剣を突き出したまま、左手で長剣ロングソードを拾って構え直した。


「俺はただの職工員だ。あいつらに盗られた積荷を取り返したいだけだ」


正確に言えば、命が助かれば、別に荷物なんかどうだって良かった。ただ盗賊ローグの好奇心は止められない。


「ただの工員には見えないけどね」

「よく見ろ。ただの子供ガキだ。あんたの方がよっぽど怪しい」

「それはそうだね」


豹人はニッと牙をむき出しにした。

互いに目を離さず、身構えたままで、俺たちは悪鬼の後を追った。

歩き始めると、次第に豹人の息遣いを感じなくなった。もうどこかへ行ってしまったのではないかと思えるほどだ。


(こいつやるな)


半獣半人の特殊能力なのか、盗賊のスキルなのか分からないが、この豹人はなかなかの隠密能力を持っている。

俺たちは互いにけん制し合いながらも、悪鬼たちとは一定の距離を保ったまま追い続けた。


百メートルも歩いたところで、悪鬼たちは足を止めた。

俺と豹人の歩みも、それに合わせて止まることになった。

木々のばらけた、少しひらけた場所だった。

悪鬼たちは、何かを待っているかのようにたたずんでいた。

俺たちはしゃがんで息を潜めた。


やがて霧が薄れてきて、月光が木々の隙間から悪鬼たちを照らし始めた。

そこへ、周囲を確認するかのように見回しながら、長衣ローブ姿の人影が姿を現した。ゆったりとした服のせいで、体型はよくわからない。

人影が右へと向き直った時、帽巾フードの下に隠された銀の仮面が月の光に輝いた。


(ウォルザの仮面か?)


仮面は『知恵の神ウォルザ』の顔を模しているようだ。

額から顎までを覆う仮面はしかし、口元の所でひらいていた。


(魔法使いか)


俺は直感した。

正しく魔法を詠唱するなら、口元は露出していなければならない。

は悪鬼たちの中心まで歩みを進めると、長杖スタッフを天へとかざし、朗々と魔法の言葉を呟き始めた。

すぐにぼんやりと地面が輝き、魔法陣が浮かび上がった。

月光の下で詠唱は滔々とうとうと続けられた。顔の右半面を覆うほどの長髪は風にたゆたい、金色のきらめきを散らす。

そうして一分ほどが経った頃、銀仮面と共に悪鬼も積荷も忽然こつぜんと姿を消した。


(転移魔法だな)


こうなるともう、盗賊の俺が跡を追うのは不可能だ。

豹人と共に、俺は悪鬼たちが消えた所までそろそろと近づいて行った。


"スキル<気配感知>を発動しました。"


当然ながら銀仮面の気配はすでにない。

銀仮面たちがいた所、草が刈られた剥き出しの地面には、魔法陣らしき物が描かれていた。

そこへ、今度は黒いヴェールの女がぶらりとやってきた。


(さっきの奴!)


「お姉さま」


俺の隣で豹人が口を開いた。


「こいつ、馬車の近くに潜んでたの」

「私もさっき会ったわ」


黒いヴェールの女は、俺を値踏みするように上から下へと視線を動かし、観察した。


「あなたでしょ? ギルドには所属してるの?」

ギルドならな。俺は奪われた貨物を追いかけてきただけだ。被害者だよ」

「そうなの。残念だわ。弟子にしてあげようかと思ったのに」

「お姉さまッ!」

「冗談よ」


女が喉でくくと笑って、ヴェールが揺れた。


「でもあなたなかなか見込みがあるわ。その子もね」

「それッ! 見たことないビーストッ! さっきの群れは偽物だったけど、これはホンモノよ! いくらぐらいつくかな!?」

「おい。アクーはやらないぞ」


名前を呼ばれたアクーが、俺の肩の上で身じろぎした。


「何もしないわ。同業者から力づくで奪うほど恥知らずではないの。私たちはこの辺りの獣の調査に来ただけ。あいつらとは関係ないから、余計なことを吹聴しないことね」


何も言わないのが解放の条件というわけだ。盗賊同士は話が早い。


「分かった」


是非もない。

俺が応えると、黒いヴェールの女は、もう興味はないという風にくるりと背を向けた。


「巻き込まれる前に帰りましょ」


言い置いて、すぐに霧の中へと消えて行った。

豹人の気配もすでにない。

首が痛いが、とりあえず命まで取られなかったことにほっとした。


(後は当局に任せるしかないか)


俺はきびすを返して道路へ戻ると、すっかり空っぽになった幌馬車をぎょして帰路についた。


ポツポツ


雨粒が、手綱を握る俺の頬を叩き始めた。



◇ ◇ ◇



同刻。エルドゥーン城では、夕刻からの晩餐ばんさんがつつがなく終わり、舞踏会が始まっていた。

円舞曲ワルツに合わせて、黄やすみれ、色とりどりの衣装を身に着けた男女たちが優美にホール中を周っている。


そんな貴族たちの享楽のさまを壁際にたたずんで見つめる女がいた。十四歳のみぎりに別世界アロスから召喚され、今や宮廷魔術師にまで上り詰めたヴィシラスである。その身を包んだ鮮やかな真紅のドレスとは裏腹に、彼女の貴族たちを見つめる目は冷ややかだった。


――こんなことをしている場合ではないのに。


血煙の舞う戦場から戻ったばかりのヴィシラスの目には、無邪気に踊る貴族たちの姿は退廃としか映らなかった。


ヴィシラスの獅子奮迅ししふんじんの働きもあって、押し込まれていた戦線は三年ほど前の位置に戻り、魔王軍との戦いは一時鎮静化している。しかし、こうして貴族たちが喜び呆けている間にも、魔族たちは着々と反抗の備えを行っているだろう。

ヴィシラスは戦場に留まりたかったのだが、王からの帰還命令とあればあらがうわけにもいかない。ここしばらく――少なくとも年明けまでは王都で英気を養うことになる。


ヴィシラスは玉座に収まっているカルネア国王イジドールを一瞥いちべつした。

王妃との舞踏ダンスを終えた王は、玉座に肩肘をついて舞踏会の様子を俯瞰ふかんしている。平時であれば善き王となっていたであろうが、戦時においては暗愚でしかない人物。


――こんな物まで着せて。


実はヴィシラスは、晩餐会のためにしとやかな紺一色のドレスを用意していた。だが、功労者の凱旋をねぎらう会の主賓格が地味な服装ではいけないと、ひときわ目立つ真っ赤なドレスを王から下賜されたのだ。

転移後より目をかけられてきたヴィシラスでさえ、客観的に見てカルネア王を暗愚と評せざるを得ない。ましてや重用されない下級貴族、騎士たちの間では相当に不満が高まっている。そのことはヴィシラスも薄々感じていた。


こうして華やかな舞踏会に参加しながらも、ヴィシラスの思考は戦場を彷徨さまよっていた。

三十五年前、魔王に敗北してから五年間、ヴィシラスは生き永らえた――いや死なせてもらえなかった。その間、殺してくれと懇願するほどに、ありとあらゆる責め苦、拷問を受けた。死にかければ治癒され、来る日も来る日も嗜虐的サディスティックな魔族の慰みものとなっていた。死はヴィシラスにとって解放だった。


――絶対に許さない。


転生した日本アロスでは記憶を失い、安寧な日々を送っていたヴィシラスだが、突如、こちらの世界ゲアに召喚されたことで、忌まわしい記憶も喚起された。

ヴィシラスは魔法制御に必要な精神統制のスキルを転用し、過去生の記憶を意識下に封印している。だが時折、それは不瑞ふずいな蛇のように頭をもたげてくる。


――必ず、今度こそ必ず魔王を倒す。


いつの間にかヴィシラスの淡水色アイスブルーの瞳は真っ赤に染まっていた。今やヴィシラスには踊り狂う貴族たちさえも魔族に見える。


「主役が壁の花はいけませんねぇ。踊っていただけますか?」


そんな形相のヴィシラスにおくせず声をかけてきたのは、同僚――ヴィシラスと同じ王立職工ギルドの監督官であり、宮廷魔術師でもあるアルマン・ピケッティ侯爵だった。口髭を綺麗に撫でつけた、いかにも貴族然とした四十絡みの男である。


キッ


反射的ににらみつけたヴィシラスに、肩をすくめて見せたピケッティだが、改めてうやうやしくヴィシラスを誘った。

ヴィシラスも儀礼上、すげなく断るわけにもいかなかった。


「一曲だけ」


そう断ると、ヴィシラスはピケッティが差し出している手を取った。いささか強めの香水の匂いが鼻についた。


――この匂い、苦手だわ。


ヴィシラスは、今でこそ国王自らの引き立てによりヤヨイズミ卿などと呼ばれている身分だが、前世では貴族でも官吏でもなかった。だからこの世界の貴族たちの香水文化には慣れない。特にピケッティに関しては、付け過ぎの感があると思っていた。


一曲を終えた宮廷楽団が次の曲を奏で始めた。


一、二、三、一、二、三


円舞のステップに合わせて、ヴィシラスのシルクのドレスが軽やかに宙に舞った。


ヴィシラスはこの世界に転移後、貴族の子女たちが通うゲルタハト王立学院に通わされた。興味が持てないながらも、そこで舞踏は一通り習得マスターしていた。その動きにそつはなかった。


今夜の主賓の一人、ヴィシラスとそのパートナーが魅せる見事な舞踏は、次第に衆目を集めていた。


「お上手ですねぇ」


ピケッティは柔和に微笑んで見せた。

内心ではいささか機械的だと評していた。ヴィシラスの動きは正確だが、優雅さが足りない。そう考えるピケッティの舞踏は、幼少時代から磨かれているだけあって、さすがに洗練されていた。


曲は終盤に差し掛かり、最高潮クライマックスを迎えようとしている。


「ピケッティ卿、ギルドの入出庫表を見たわ」


ピケッティの眉がピクリと動いた。

場違いな話題が、優美な世界に浸っていたピケッティの気分をぶち壊した。


「私がいない間――」

「回りますよ」


ピケッティは追及の言葉を遮り、老練な動きでヴィシラスを導いた。

鮮やかな真紅のドレスが花開く。

今や会場中の視線がこの二人の踊り手に注がれていた。


「ちょっと!」

「もう一度」


ピケッティのリードに合わせて、ヴィシラスは続けざまに回転した。


「――在庫の移動に不――」

「オーバースウェイ」


曲が終わり、拍手が巻き起こった。

ヴィシラスに会釈すると、ピケッティは拍手で迎える貴族たちの中へ足早に消えていった。


「ピケッティ卿、ピケッティ――」


ヴィシラスが呼び止める声は、虚しく拍手の音に吸い込まれた。

貴族たちに囲まれ立ち尽くすヴィシラスに、いつの間にか玉座を降りてきていた国王イジドールが右手を差し出した。



◇ ◇ ◇


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